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やるべきこと、やりたいこと再確認
1年前の8月2日。52歳で個人的な文章を書き始めた。とにかく、もやもやしたものをどこかに吐き出してみたかったのだ。
ただ不思議なもので、自分の気持ちを吐露すればするほど、気持ちはどんどん楽になっていった。この間、ずっと自分の中の声に耳をそばだて、お前は一体何者なのか、何が好きで、何が嫌いで、何をやりたいのか。夜ベッドに入ってから、犬の散歩のとき、日課のジョギングで、食事をしているときも、頭の中で
撮れなかった家族写真
子どもの頃の夢はプロ野球選手だった。とてもそんな素質はなかったが、あの頃はサッカーもまだ人気がなく、寝ても覚めても男は野球だった。根っからの阪神ファンだった父の影響も大きかった。初めてグローブを買ってもらった日のうれしさ。今でも父とのキャッチボールで受けたときの感触を忘れない。
が、本当の夢は「一家団欒で食卓を囲むこと」であり、「みんなが笑う家族写真を撮ること」だった。誰もが使う一家団欒という響
人生の宿題を鹿児島で終える
どんな旅も楽しい。
子どもの頃はまともな家族旅行もできなかったせいか、はたまた乗り物にはめっぽう弱く、遠足のバスではいつも酔って、吐いて、ぐったりして、楽しみな弁当も半分味がせず……という経験をしてきたせいか、自分が長い旅に出る、というイメージができなかった。
だが、人生は分からないもの。きっかけはあのシベリア鉄道だろう。初めての海外旅行先はあまのじゃく精神を発揮してソビエト社会主義共和国連邦
セネカに学び、過去を旅せよ
人生のなんと儚いことよ。あっという間に50を超えてしまった。これまでいったい何を成してきたのか、と思うと愕然とする。「忙しい」が口癖になったのはいつの日か。心を亡くすと書いて「忙」と書く。つくづく漢字とはうまくできていると思う。では、心を取り戻すにはどうすべきか?
ゆとり。うん、誰もが余裕のある生活を望む。だが、子育てをして会社に勤めて、責任あるポジションに着けば、暇になどしてられないのだ。でも
風の島で、風の詩を聴く
済州島は「風、石、女」の三つが多いとされ、別名を「三多島」という。そういえば、済州島に来てからずっと風が吹いている。
このところの悪天候の影響もあるだろうが、昨日も夜半から風が強まり、ゴウゴウという音で目が覚めた。ただ、その音は決して不快ではない。仕事をしばし離れた今。明日が豪雨でも台風でも、それはそれ。むしろ、成り行きに任せられる心地よささえ感じている自分がいる。
強風の前では全ての正解が通
済州島でソジュを飲む
ソウルからわずか1時間ほどで済州島に着く。こんなに近いのか、と改めて思う。これまでずっと来たいと思いつつ、やっとのことでこの地を踏むことができた。
韓国に初めて来たのは1995年。それから行ったり来たりで長らく韓国に関わってきたが、暮らしたのはソウルだけで、済州島には一歩も足を踏み入れたことがなかった。
前職で同僚だった友が亡くなったと聞いてから10年が過ぎた。仮住まいだった京畿道の共同墓地か
言葉は向こうからやってきた
ずっと苦しかった。1年数か月前に韓国に来てからではなく、来る前からだ。50歳という年齢を意識し始めてからは特に。
何をしてもしっくりこない。凪の時間。凪ならまだよく、そこから沈んで、もがいても浮き上がれない感覚が絶えずつきまとう。家でも会社でも、傍からは平然として見えたかもしれないが、内心は満たされない。
そんな精神状態になると「決める」という行為が困難になる。日常生活は起きた瞬間から決断の連
これからやるべきこと、やりたいこと備忘録
昨夜、正確には今日の明け方に始めての文章をアップした。やっと第一歩を踏み出せた。
さて。本来なら、ここにはこういうテーマで一貫して書いていきますと言えればいいのだが、そうもいかず。なので手始めに、これまでぐずぐずとやり過ごしてきたこと、やれずじまいだったことから手を付けていこうと思う。自分を反省する意味も込めて、まずは「これからやるべきこと、やりたいこと」を思いつくままに羅列してみる。
これか