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父の影を追う

父はとても怖い存在だった。よく怒鳴られ、手を上げられたこともしばしばだった。怖くて言いたいことが言えず、根性がないと怒られる。逃げる。また怒られる。

実家が寿司屋ということもあって計算が得意になるよう、小学校に入って間もなく、半強制的にそろばん学校に入れられた。ねがいましては〇〇円也、〇〇円也、〇〇円で~はという先生の言い方が面白く、最初は試験にもとんとん拍子で合格して調子に乗っていた。

が、まだ遊びたい盛りで、野球もやりたい。週2回のそろばんにだんだん嫌気がさした。いかにサボろうか。ある日、遊びに出かけようとして父に捕まった。「今日はそろばんないんか?」「う、うん。ないで」と私が言ったか言わないかの刹那、目の前を通った近所の友達の自転車のかごには、そろばん学校のかばんが入っていた……。父は「こらっ」と言ったと同時にげんこつが飛んできた。

だが、決して今時のドメスティック何とかではなく、昭和のオヤジは忙しく、寡黙で手が早いのが相場だった。それを証拠に、もう一つの心象風景がある。

まだ大阪に住んでいた頃。父は休憩時間になると、私をひょいっと片手で抱きかかえて店の前の大通りを越えた先にある線路まで連れて行ってくれる。ただ通り過ぎる電車を見るだけなのだが、それがいつも楽しみだった。いつも立つ位置にはいちじくの木が生っていた。私にとって大和路線といちじくはセットの思い出だ。だからいちじくを見るたび、あの大阪の線路を思い出す。

いずれその線路の先にある奈良に引っ越すのだが、そこは家族がバラバラになった地。長く暮らしたが、どうしても自分の地と思えなかったのはそんな原体験があったからだろう。いつも大阪に帰りたいと思っていた。いや、物理的な場所ではなく、まだ祖父も健在だったあの頃に帰りたかったのだ。

***

父とはキャッチボールの思い出だけでなく、阪神戦を見に甲子園にも出かけた。毎日テレビで試合を見ては、一喜一憂する。阪神が勝てばご機嫌。負ければぼろくそにののしる。ベンチがあほや、と。試合が後半戦に入り、相手に打ち込まれて大差がつき始めると「けったくそ悪い。もう止めや」と言ってチャンネルを変えてしまう。往々にして、そういう時は大逆転し、「見といたらよかった……」となったりする。

話はいつも一方的で、聞く耳を持たない。自分の言いたいことだけをひとしきり言えばすっきりするのだろう。話をじっくり聞いてもらった記憶もなければ、褒めてもらったという記憶もほとんどない。ずっと褒めてほしかった父とは親と子、男と男として腹を割って話したと言う記憶も無かった。

育ててもらっているという恩は横に置き、思春期に入ってからは煙たい存在になった。田舎の学校だったから、小学校でも中学校でも親の離婚のことで後ろ指を指されることもあった。それがもとでけんかしたこともあった。母の日が嫌いだった。学校に提出する何かの書類を作成する際、父親と母親の名前の欄があり、母の名前のところに祖母の名前を書いて提出した。その原因をたどれば、父にも夫として家族を幸せにできなかった責任がある。

大学から家を出た。早くこの家を出て一人で暮らしたかった。以来、社会人になっても盆と正月以外は家には帰らなかった。ソウルで暮らし、結婚して東京に住むことになってから、帰省するたびに父の老いを感じ、独り残している後ろめたさもあった。ただ、一緒に住んでもうまくいかないことも分かっていた。父は不器用な男だから。たまに会うのと同居は意味合いが異なる。

父は引退するまで、大阪のタクシー会社に勤務して私や弟を育ててくれた。運転は見事で、道もよく知っていた。なぜタクシーなのかを聞くことはなかった。聞けば「給料がええからや」と返ってくるのが関の山だっただろう。

ストレスフルな職場であることは、父の言葉の端々から感じ取れた。事故を起こしてしまえば途端に仕事にあぶれてしまう。酔客にくだを巻かれたことも一度や二度ではないだろう。勤務態勢は実入りのいい「隔日勤務」だった。夜通し働いて朝に仕事を終え、一日休んでまた夜通し働く。深夜は割増料金が付くが、それだけ体は蝕まれる。

今から思えば、その大変な仕事のお陰で今の自分があるわけで、感謝しても仕切れない。が、ふと思う。父のやりたかったことは何だったのか。夢はあったのか。タクシーの運転手は、行く道を自分では選べない。

気がつけば父は70を越えていた。東京に呼び寄せるかどうかの相談を妻とするようになった頃、父から入院したという連絡があった。自転車で倒れ、病院に運び込まれ、自分で連絡して入院したという。

それ以来、父の看病のため奈良にしばしば帰省するようになった。いつも家族で帰るわけにもいかず、一人で帰省して病院に向かった。盆正月の帰省なら家族がいて、ワイワイしている間に帰ることになる。結局それまで、父との対話をする機会はなかったし、そういう話をすることもないだろうと思っていた。

が、病室で父と二人きりの時間を過ごすことになった。見舞い以外に予定は特にない。父も老いてきている。あと何年、こうやって時間を過ごすことができるだろうか、と考えてみたりする。体調を聞いた後は話すこともさほどない。

時間をもてあまして、何気なしに昔話になった。長男でありながら一緒に暮らすこともせず、兄らしいこともできず後悔していると言うと、珍しく父も「俺もそうや」と、これまでの振る舞い、特に弟に対してお互いに心残りがあるといった話を途切れ途切れにつないだ。その時初めて、父の気持ちの一端に触れた気がした。と、父はこんなことをぽつりとつぶやいた。

「今日が一番ええ日かもしれへんな」

実は恥ずかしがり屋の父が、精一杯伝えてくれた温かい言葉。そしてこう付け加える。「ワシの時代は終わりや。後はお前に任せるから頼むで」。その言葉を聞いて、父を最後まで看取ってやろうと思った。すると、今までのわだかまりも嘘のようにするするととけた気がした。

若い頃から素っ気ない人だった。私が東京に帰ろうとすると、冬ならコタツに入ったまま「遅ならんうちに早よ帰り」と急かす。いつもそんな別れ方だった。

だがいつの頃からか、最後まで送ってきて手を振るようになった。電車の駅で、病院の玄関で。そんな時は後ろ髪を引かれる。私は「ほな、帰るわ」と素っ気なく言い、父をずっと見ていたいという気持ちを抑えて実家を後にするのが常となった。

ヘビースモーカーだった父は「ピース」や「エコー」など強いたばこを好んで吸っていた。お陰でいつも咳が酷かった。医者に止められた時には肺がただれてしまう肺気腫になっていた。70での禁煙を何とか達成した。孫娘の「おじいちゃん、たばこやめてね」の言葉に、目を細めて「よっしゃ。わかったで」と答えて我慢していた。

父がとうとう体調を崩して入院した。病状は思った以上に悪かった。精密検査を受けた結果、酷い肝硬変で腹水が溜まっているという。運動不足で太っているだけと思っていた自分を恨んだ。なぜもう少し早く気づいてやれなかったか。

集中治療室(ICU)に担ぎ込まれた父は、水も飲めずうめいていた。そして、駆けつけた私に開口一番。「水を飲ませてくれ」。何とか命を取り留めて一般病室に写ってからも、毎晩もがき苦しんだ。性格が変わった気がした。「もうええわ。殺してくれ」と私に言うこともあった。一瞬だけ春が訪れた。病室に行くと、今日は自分で立ってシャワーを浴びられたと。「もうちょっとしたら家に帰れるで」と父は笑った。

しかし、私は「そうやな」と言うだけで、二の句を継げなかった。もう長くないということは父に言わないと決めていた。腎臓が機能しなくなったため、毒素が外に排出されない。水分はどんどん腹に溜まってしまう。そのままだとはち切れてしまいそうで、先生に処置をお願いした。「穿刺」という言葉を初めて知った。穿刺とは、腹に直接管を刺して水を抜くこと。それは想像を絶するほど痛いというが、父は泣き言も言わず我慢した。その処置は二度行われた。

穿刺をしても所詮は気休めで、一瞬楽になるがまた腹がふくれてくる。見ているのがつらい。父の意識は遠のいたり近づいたりを繰り返した。そんなある日。また父がうめきだし、しきりに誰かに呼び掛けている。

それは、私の母の名前だった。

時々、母をちゃん付けで呼び、詫びを入れ、帰ってきてくれと懇願していた。意識が混濁しているのだろう。息子が横にいるのも忘れ、どこか別の世界にいるように、泣くような声で母の名前を繰り返し繰り返し呼んでいた。

父が心の底に蓋をして置いておいた箱が、断末魔の叫びとともに開いた瞬間だった。つらかったが、「父は母のことをこう呼んでいただな」と知ることができて、うれしい気持ちもあった。

生前の父に涙を見せたことはなかったと思う。が、父が逝き、葬式を終えて火葬場に行くとなって、猛烈に悲しみがこみ上げてきた。妻も娘もいる前で、涙が止まらなくなくなった。父の前で、初めて泣いた。

「おとうちゃん、よかったな。みんな送ってくれるで」。そう声に出して別れを告げた。

***

ちょうど初七日の頃に夢を見た。それは家の中なのだが、今の東京の家ではない。薄暗くて、育った奈良のような、生まれた大阪のような、そのどれでもあるような。そこに父がいる。それも、自分が記憶している父よりもっと若く、見たこともない青っぽいスーツにネクタイ姿だ。その若い父は時計を見ながら言う。

「時間ないねん。もう行かなあかんわ」

そう言って父は出て行く。仕事に行くのか、それとも別のどのか、と思ったら目が覚めた。ああ、父は無事に新しい世界に行けたんだな、とほっとした。死に目には会えなかったが、最後のあいさつに来てくれたんだと思うと、胸がじんわり温かくなった。





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