見出し画像

言葉は向こうからやってきた

ずっと苦しかった。1年数か月前に韓国に来てからではなく、来る前からだ。50歳という年齢を意識し始めてからは特に。

何をしてもしっくりこない。凪の時間。凪ならまだよく、そこから沈んで、もがいても浮き上がれない感覚が絶えずつきまとう。家でも会社でも、傍からは平然として見えたかもしれないが、内心は満たされない。

そんな精神状態になると「決める」という行為が困難になる。日常生活は起きた瞬間から決断の連続だ。それができないと何も進まず、やるべきことが渋滞していく。

ある週末の朝。早く目が覚めた。もう一眠りするか、思い切って起きるか。後者を選べたご褒美か、空は晴れている。顔を洗って歯を磨き、携帯だけを持って外に出る。家から少し歩けば博物館があり、そこには緑が多い。独り、愛犬の散歩の前の散歩に出る。

誰もいない大きな博物館の広場を歩く。建物の中庭のようになった空間の先にソウルタワーが小さく見える。まるで映画のスクリーンのように。歩けば何か発見がある。こんな景色が近くにあったのか、と。スマホで何枚か写真を撮る。今度、久しぶりに一眼レフを引っ張り出して撮ってみたいなと思う。

韓国人が好きなスポーツはサッカーに野球が代表的だが、庶民の中では登山にサイクリング、ウオーキングが人気だ。大きな道に出ると、今日も朝から歩く人たちとすれ違う。韓国に来てからずっとマイブームのポール・キムを聴きながら歩く。どこまで歩けば気持ちは晴れるのだろうか。

言葉は向こうからやってきた。

何曲目かに流れてきた「초록빛(緑の光=信号の色を差しているので、日本語なら「青い光」か)」に足が止まる。もう一度聴く。また聴く。気持ちが落ち着いてくる。また聴きたくなる。風が吹く。緑の色が濃くなる。また聴く。自分流に訳してみる。

僕はまた感傷に浸る 今夜はなぜか何か違っていて 独りでいても寂しくなくて 会いたかった友達にも会う 緑の光の信号機は明るいばかり 吹きつける風も和んでいる 自分の気持ちが変わったから余計にそう思うのかな揺らぐ風になびく木も 僕のこころをくすぐって 昔の自分を呼び起こす

普通の人ならやり過ごす歌詞に、耳が止まった。聴けば聴くほど気持ちが少しずつ楽になる。「若い人」に助けられた気になる。

自分の気持ちが変われば景色が変わる。また歩けるような気がしてくる。

ふと、不義理をしている友を思い出した。あいつなら黙って聞いてくれるのではないか。もうあれから10年。友が眠る済州島に行こうと思った。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?