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風の島で、風の詩を聴く

済州島は「風、石、女」の三つが多いとされ、別名を「三多島」という。そういえば、済州島に来てからずっと風が吹いている。

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このところの悪天候の影響もあるだろうが、昨日も夜半から風が強まり、ゴウゴウという音で目が覚めた。ただ、その音は決して不快ではない。仕事をしばし離れた今。明日が豪雨でも台風でも、それはそれ。むしろ、成り行きに任せられる心地よささえ感じている自分がいる。

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強風の前では全ての正解が通用しない。そんなものは一瞬にして吹き飛ばされてしまう。だから建物は無骨でもそれに負けない堅牢さが重視される。でなければ椰子の木や竹のように、どんな風にもなびいていなす柔軟さが必要だ。明日は明日の風が吹くと思えれば、気持ちはぐっと軽くなる。

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村上春樹のデビュー作でもある「風の歌を聴け」はこんな言葉から始まる。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

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この言葉から始めたということに意味があると思う。自分に書く資格はあるのか、と自問自答する日々。この一節は、文章はこうあるべきという正解はないのだと理解させてくれる。そして、少し癒やされる。

モノを書く人にとって、書くという行為は人生と同じことではあるまいか。「完璧な人生などといったものは存在しない」と言い換えれば、人生は人それぞれ違って当たり前と思える。だから一生懸命、借り物ではなく自分の言葉で語るしかない。

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風が心地いいと思えるのはそういうことか。「完璧な風などといったものは存在しない」のだから。いま吹いている湿り気を帯びた強い風も、この一瞬一瞬にしか存在しない。そう感じることができれば、この風に吹かれること自体に意味があるような気がしてくる。

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韓国のイ・ソラという有名な女性シンガーの「바람이 분다(風が吹く)」という歌がある。「風が吹く」という言葉から始まるこの歌は、同じ時間を共有したはずの二人だとしても、記憶は決して一致しないんだという事実を改めて気づかせてくれる。

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自分にとってはかけがえのない記憶も、往々にして相手にとっては取るに足らない過去の一場面であったり、記憶にさえ残っていないという事実を突きつけられることが、人生にはある。

私にはとても大切で眠れないくらいの日々が あたなにとっては今と変わらない時間にすぎなかった 愛は悲劇 あなたは私ではない 刻まれた思い出は異なる 私の別れは サヨナラの一言もなく終わりを告げる 世界は昨日と同じで 時間は流れていて 私だけが独り こうやって変わってゆく 私にとっては千金の価値がある思い出がいっぱいの頭の上を 風が吹く……涙がこぼれる

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この旅は、同じ時間を過ごした家族一人一人の記憶にどう刻まれたのだろうか。



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