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セネカに学び、過去を旅せよ

人生のなんと儚いことよ。あっという間に50を超えてしまった。これまでいったい何を成してきたのか、と思うと愕然とする。「忙しい」が口癖になったのはいつの日か。心を亡くすと書いて「忙」と書く。つくづく漢字とはうまくできていると思う。では、心を取り戻すにはどうすべきか?

ゆとり。うん、誰もが余裕のある生活を望む。だが、子育てをして会社に勤めて、責任あるポジションに着けば、暇になどしてられないのだ。でも、今頑張れば老後にはきっと……。と、ふと思う。老齢期に入ってから楽しむ?とすると、そこまでは頑張り続けるということか。

若い頃、会社の飲みの席か何かで、そこにいた先輩に何気なく聞いたことがある。「なんか最近、時間の過ぎるのがすごく早くなった気がするんですよね」「時間を長く感じたいなら、やりたくないこと、いやなことをやればいいんだよ。好きなことばっかりやってるとあっという間に時間が過ぎるだろ(笑)」。なるほど、と思うと同時に、そんな人生まっぴらごめんだと思った。

時間は容赦が無い。起きていようが寝ていようが、誰もが平等に過ぎていく。この呪縛からは誰も逃れられない。このnoteに文章を書こうと思い立ったのは、もう遅いと思いたくなかったから。遅いと思ってしまったら、もう人生終わりじゃないか。余生をどう色濃く生きられるか――。

セネカの「人生の短さについて」を再読する。昔ざっと読んだ記憶があるが、若すぎてピンとこなかった。適当に読み飛ばして本棚にしまい込んだままだった。ここ最近、何度も読み直している。人生の後半戦に差し掛かった身に、その一言一言が突き刺さる。

2000年前の古代ローマを生きた哲人が語る警句はまず、事もなげにその「短い」という嘆きを否定する。

人生は短くなどありません。与えられた時間の大半を、私たちが無駄遣いしているにすぎない。
あなたのような生き方をしていると、人生は、たとえ千年あっても、実際ははるかに短くなる。

人生は十分に長いんだ、とセネカは喝破する。上手に使いさえすれば「偉業を成し遂げられる」ほどに長い、と。そう言われると、まだ時間はある、と思える。勇気が湧く。その一方で、間違った行き方をしているとすぐに使い果たしてしまう。「たとえ人生が千年あっても、とても短く感じてしまうものだ」と戒めることも忘れない。

多忙な人間が何よりもなおざりにしているのが、生きるという、最も学びがたい学問である。
あなたがせわしなく過ごすうちに、人生は急ぎ足で過ぎ去ってゆく。
あなたはなぜ何カ月も何年もはるか先のことを思い描いているのか。

時間というものは、いまこの文章を書いてる間にも流れている。寝ても覚めても、それが止まることはない。セネカは言う。なにをぐずぐずしているのだ。時間はつかんでおかなければすぐ逃げるぞ。のんきに構えている場合ではない。すぐに逃げるものは、それに負けないくらいすぐ使え、と。

セネカはその一方で、誰もがぞんざいに、あるいは蓋を閉めようとする過去というものの大切さを強く訴えている。

過去は運命の女神の支配も及ばず、どんなに強い人間の手にも戻らない時間である。

現在は短く、未来は不確実だが、過去は過ぎ去ってしまった時間なので変わることがない。それは何人も侵せない聖域となる。永遠に所有できる武器にもなる。

ストレスはなぜ起きるか、それは過去を嘆き、将来に不安を抱くからだ。だから、今この瞬間に集中する。そうすればおのずとストレスは薄れていく。なるほど、それも正解だろう。ただ、人生という大きな流れを考えたときはどうだろう。過去があって今の自分がいる。その自分が未来を創っていくと考えれば、来し方を振り返ることこそ、未来を実りあるものに変えることに繋がるのではないか。

雑事に忙殺される人間はその過去を失っている。多忙な人間に過去を見つめ直す時間など無いためだ。この本にもあるが、人は恥ずべき所業をあえて回想する必要もない。過去を振り返るより、目の前の仕事だ、と。

自分は本当は何が好きか。何をやっている時が一番楽しいのか。私にとって、それを全て叶える方法こそ、表現することだ。ものを書く、写真を撮る、絵を描く、好きな音楽を聴く、好きな場所を旅する。そこから人生の糧を得て、これからも成長していきたいと思う。

自分とは何者か。それを知るために、古い記憶の埃を払い落とし、自分の過去を巡る旅に出ようと思う。そこから、自分の知らない自分が発見できるかもしれない。

もう一つ忘れてはいけないことについても、セネカの警句に従うことにする。

このちっぽけで儚い時間など放棄して、膨大で永遠なる過去に全神経を捧げ、優れた人々とともに過ごしてどこがいけないのか?

セネカはこう付け加える。

過去の偉人たちは、多忙で会ってくれない人など一人もいない。必ず訪問者を来たときより幸せにし、いっそう強く思慕の念を抱かせる。

老眼で小さい文字を見るのが苦痛、などと言っている場合ではなかった。幸い、文明の利器は手軽に、文字も大きく見せてくれるではないか。これらをフル活用して、ここまで語り継がれてきた言葉に耳を傾けよう。

それは全て、ここに集約されるはずだ。

穀物管理のあり方よりも、自分の人生のあり方を知ることのほうが、人間にとっては大切である。

この「人生の短さについて」は、セネカがローマ帝国の食料管理官であったパウリヌスに宛てた手紙だという。セネカはその優秀な男に諭す。仕事に追われて自分の人生を無闇に短くしてしまうのではなく、人生はどうあるべきかを考え抜け、と。

***

セネカの時代からさらに200年ほど前に遡る。紀元前221年に中国史上で初めて国を統一した秦の始皇帝は、北狄の侵入を防ぐために万里の長城という長大な建造物を手掛けた。そしてもう一つ、壮大な望みを持っていた。それは不老不死。その薬を探そうと徐福に命じた。それが日本や朝鮮半島に今も受け継がれる「徐福伝説」だ。

この夏休みに済州島を旅した際、西帰浦という地を訪れた。そこにも徐福伝説がある。この地を訪れた徐福(徐市)は、この地にある世界でも珍しい海に落ちる滝「正房瀑布」を訪れた際、絶壁に「徐市過之」という文字を刻み、日本に向かったと言い伝えられている。徐福はこの地を去るとき、「西(中国)にいざ帰えらん」との言葉を残したため、この地は「西に帰る」と港を意味する「浦」を加えて「西帰浦」になったと言われている。

徐福がいたかどうかは別にして、きっとその男は命を燃やしたはずだ。薬はそもそもなかったとしても、自ら大海原を旅した。

残念ながら、不老不死の薬はいまだに見つかっていない。いや、人生は短いからいいのかもしれない。祖父母から両親、そして私がいる。われわれ夫婦はいずれ、娘にバトンタッチする。この世を去った人々のことを想えば、今生きている自分は一人ではない気がしてくる。

私がなぜいま、この文章を書いているか。それは、自分の来し方を振り返り、地に足を付けてこれからの人生を歩んでいくための手段だ。そしてもう一つ。わが娘にも、いつか父の手紙を見てほしいと思う。どんな仕事に就くにせよ、どんな家庭を持つにせよ、何らかの形で新たな時代を表現してくれればいい。表現こそが、自分を癒やす最大の手立てだと思うから。



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