見出し画像

撮れなかった家族写真

子どもの頃の夢はプロ野球選手だった。とてもそんな素質はなかったが、あの頃はサッカーもまだ人気がなく、寝ても覚めても男は野球だった。根っからの阪神ファンだった父の影響も大きかった。初めてグローブを買ってもらった日のうれしさ。今でも父とのキャッチボールで受けたときの感触を忘れない。

画像1

が、本当の夢は「一家団欒で食卓を囲むこと」であり、「みんなが笑う家族写真を撮ること」だった。誰もが使う一家団欒という響きは、私にとって格別で甘美な響きがある。その心象風景は、叶わぬ夢として胸の奥に今もしまってある。

画像2

***

母と再会して何度目かの大阪での日々を過ごした。車でこれから奈良に行くという私の言葉に対し、茶目っ気のある母はこう言った。

「わたしもそこに乗っていこかしら」

みな笑ってやり過ごした、本当にそうしてしまったらどうだっただろうか、と今でも思う。振り返れば、それが事実上、私が子どもとしての両親の再会の最後のチャンスだった。

父は4年前にこの世を去ってしまった。生前、母を捜し当てたことは話したが、時々連絡したり、年に数回会っていることまでは話さなかった。父はどう思っていたのだろうか。

一度くらい、会ってみたいか聞いてみてもよかったなと思う。母の方から願い下げだっただろうが、気持ちだけでも確かめてみたかった。以前ここにも書いたが、死の間際に父の本心を垣間見ていたから、なおさらそう思う。

あまりもう思い出したくもないが、父が他界する数年前から、母とも音信不通になってしまった。毎年のように会っていた頃が懐かしい。そのうち、会いたいといっても都合が合わなくなり、ついには電話にも出なくなった。父の葬式の前には留守電をいれたが、それも聞いたかどうか……。

母には、私より10歳ほど若い娘がいる。私に対してはお兄ちゃん、妻に対してはお姉ちゃんと呼んで親しくしていたが、母をことさら大切に思っていた。そういった感情の揺れやもつれもあったのかもしれない。いや、全てが私の邪推にすぎないと思うのだが。それとも、単に私という存在が負担になったのか。

人生とは皮肉なものだ。こんなことになるのなら母捜しなどしなければよかった、と思うこともしばしばある。一念発起し、ためらい、あきらめかけ、また勇気を振り絞り、崖から飛び降りる気持ちで向かった鹿児島。人生の宿題を終え、また新しい人生が始まるような気さえあったあの日々は、一体何だったのか。

母と会えた日。タイムマシンがあるならば、あの暗鬱な時代に戻って自分に教えてやりたいと思った。

画像3

将来のこといろいろ心配やろうけど、心配すんな。お前は曲がりなりにも書くという仕事につき、海外もいろいろ旅して韓国で暮らし、東京に住んで、ちょっと遅いけど結婚して女の子が生まれ、家も買う。ついでに愛犬もそばにおる。そしてとっておきの秘密を教えたる。お前、お母ちゃんに会えるで、と。

画像4

ただ、断りを入れなければならない。子どもやから「あと何回寝たら、お母ちゃんに会えんの?」って聞きたいやろうけど。回数で言うと、1年が365日として、約32年。単純に掛け算すると、1万1,680回寝なあかんな。

画像5

そこまで教えたら、果たしてうれしいだろうか。

そしてもう一つ言い残したことがある。再会は果たすがまた会えなくなってしまうことは、過去の自分に言わずに戻ってくるかもしれない。それはあまりにも、酷すぎる話だ。

私の手元にはそれぞれの写真がある。小さい頃の私と弟が写ったもの、父の若い頃、そして再開した時にもらった母の若いころの写真。それらを並べてみても、それはまやかしの家族にすぎない。もう決して一つにはなり得ない写真のパッチワークとでも言うべきか。

一家で食卓を囲むという夢はついに果たせなかった。ただ、せめて1枚、家族写真を撮ってみたかったなと思う。

画像6

***

今までたくさんの自分が結婚してできた家族の写真を撮ってきた。過去を取り返すように。上手い下手は別にして、これまでの自分史上の最高傑作は、桜が咲く隅田公園で撮った妻の写真だ。

心地よい春の日。妻はそっと目を伏せて、大きくなったお腹を撫でている。その二人の家族を、夫であり、いずれ父となる自分が撮っている。そこに意味がある。

幕末の歌人・橘曙覧の短歌が好きだ。特に、「たのしみは」から始まる一連の素朴だが味わい深い作品がいい。「橘曙覧全歌集」からいくつか抜粋してみる。

たのしみは 紙をひろげて とる筆の 思いの外に 能くかけし時 
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時 
たのしみは 物識人に 稀にあひて 古しへ今を 語りあふとき 
たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時 
たのしみは 銭なくなりて わびをるに 人の来たりて 銭くれし時 
たのしみは 明日物くると いう占を 咲くともし火の 花にみる時

その中でも最も好きな歌はこれ。

画像7

たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時 

私以外の誰にも撮れない写真を大切にしたいと思う。そして、こらからもできるだけ家族で食卓を囲み、いつも笑いの花を咲かせたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?