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済州島でソジュを飲む

ソウルからわずか1時間ほどで済州島に着く。こんなに近いのか、と改めて思う。これまでずっと来たいと思いつつ、やっとのことでこの地を踏むことができた。

韓国に初めて来たのは1995年。それから行ったり来たりで長らく韓国に関わってきたが、暮らしたのはソウルだけで、済州島には一歩も足を踏み入れたことがなかった。

前職で同僚だった友が亡くなったと聞いてから10年が過ぎた。仮住まいだった京畿道の共同墓地から、生まれ故郷のこの島に移ったと聞いて以来、墓参りに行きたいと思い続けてきたのだが……。

正直、来ようと思えばいつでも来られた。しかし、自分の中で、行くときには何かいい報告をしたい、友が「お前も良くやったな」と言ってくれるような土産話を持ってきたい、そう思っていたのだ。

もやもやした気持ちから抜け出したい、ともがいていた日々。最初の小さなきっかけは、早朝の散歩で聴いたポール・キムの「초록빛(緑の光)」。気持ちが変われば自分も変わる。

この曲を聴いて少しずつ前を向くことができ、友の奥さんに連絡することができた。「済州島に旅行をかねて墓参りに行きたい」と。タクシーで行くので場所を教えてほしいと伝えたが、「行き方が難しいので、済州島に住む親戚に連れて行ってもらえるよう連絡を取ってみる」とのこと。その申し出に甘えることにした。

済州空港に迎えに来てくれたのは、友のいとこに当たるミンチョルさん。墓地は山の中にあり、分かりにくいからと車を出してくれた。ありがたい。友とは年が離れており、まだ30代だという。いとこだが、何となく見た目や雰囲気に友の面影がある気がして、親近感がわいた。言葉はそんなに多くはないが、よく通る声で話す気持ちのいい青年だ。

空はどんよりしたままだが、雨も上がったようだ。車は済州島の中央部を縦断する格好で、韓国最高峰の漢拏山の方向へ向かう。約1時間の旅が始まった。

想像していたより道は整備されており、信号もほぼない。車はくねくねとした木立の中の幹線道路を快走する。「西表でレンタカーを借りて走った道を思い出すね」「ここ青森に似てないか?」「奈良にもこんな道があった」。道々、家族でそんな昔の旅の思い出にダブらせて、流れる風景を眺めた。

しばらくして、また雨が降り始めた。雨脚は次第に強まり、いつしか本降りになった。ミンチョルさんは言う。「このまま降り続けたら、墓まで行くのは難しいかもしれません。もし今日行けなければ、また後日、宿まで迎えに行きますよ。駄目なら日を改めましょう」。

こちらが恐縮していると、「いやいやうちの親戚のことをずっと覚えてくれていて、こちらの方がが感謝しているんですよ。当然のことです」ときっぱり。その気持ちが嬉しい。

途中、コンビニに寄ってもらった。ソジュ(焼酎)を1本買いたかった。その旨を告げると、ミンチョルさんが小走りでコンビニへ。「漢拏山21」という地元の焼酎を買ってきてくれた。

「ミンチョルさん、イム・チャンジョンの『소주 한 잔(焼酎を一杯)』って歌知ってますか?」

「もちろんですよ」

「あの歌を聴くとね、昔を思い出すんですよね……」

幸いにして、雨は上がった。車は幹線道路から脇道に入る。舗装道路が終わり、土の道に変わる。雨でぬかるむ道をなおも進む。「ああ、奥さんが『道を説明できない』と言っていたのはこのことか」。車がやっと止まった。

「ここから歩きます。雑草の中を行くので濡れそうですが、靴は大丈夫ですか? サンダルか何かあれば、履き替えた方がいいかもしれません」。雨露をたっぷり含んだ雑草の生い茂る道を行く。しばらく行くと、こんもりした韓国のお墓が連なっている場所に着いた。「この奥です」。ミンチョルさんの先導でなおも歩く。

「ここです」。墓の小山の前には墓石がある。そこには、友をたたえた有志によるこんな言葉が刻まれていた。

もう見ることができないあなたの微笑みと、鳴らなくなったあなたの電話が、あなたの不在をより大きく感じさせます。立派な会社を立ち上げ、これからは家族を守る夫として、父として生きようとしていたあなた。誰よりも厳しい道を歩み、縁を結んだ全ての人々にいつも配慮を欠かさなかったあなたを、わたしたちは永遠に忘れません――。

南の島の風が吹いてきた。

なんだかほっとした。済州島で生まれて育った友は、ソウルに出て闘っていた。そして愛されていた。弁理士になるために10年の歳月を要したという。同じ職場で働いていた時、その合格の知らせを聞いた。あの時も、焼酎で乾杯した。

「合格した時の気持ちはどうだった?」

「『ショーシャンクの空』って映画知ってるか。あんな感じだったよ」

後日、友の家に遊びに行くと、書斎には映画のポスターが貼ってあった。男が雨に打たれるまま、天に向かって両手を広げている。先が見えない怖さに苛まれた日もあっただろう。いや、ずっとそうだったかもしれない。

その闘いの日々の不安やつらさはいかほどのものだったか。経験した人間にしか分かるまい。ただ、友はあきらめなかった。ちょっとの雨風ではびくともしないこの島の岩のような固い意志で。あきらめなかったから、夢を叶えた。

「家族に迷惑をかけた。これからは恩返しの人生」。友は飲みながら、そうも語っていた。苦楽をともにした妻と2人の息子のために……。

「俺もがんばってみるよ」と心の中でつぶやき、焼酎を一献傾ける。10年ぶりの一杯。熱い流れが胃の腑を通り、五臓六腑に染み渡る。風が吹く。草や木々が揺れている。

「あの二つ向こうがハルモニ(おばあさん)の墓です」とミンチョルさんが説明してくれる。ここには親戚で年に2回、草を刈りに来るそうだ。よかったな、と思う。肩の荷を下ろした友は、故郷の自然の中で、親戚の近くで眠っている。心地よい南の風に吹かれて。

日が暮れてきた。今日から宿泊するペンションまでもう少しの道のりだ。車は少ない。一本道を走る。と、空港からずっと静かだった車内に、聴き慣れた曲が流れた。

イム・チャンジョンのあの歌だ。夕闇迫る一本道。ほろ酔い気分で、あの頃を頭の中で回想する。ミンチョルさんの粋な計らいに感謝。

一緒に歌ってみる。別れた女性とその思い出に浸る男の歌だが、聴くとなぜかあいつを思い出す。

酒を飲みたいなと思う夜、一緒にいるようだよ あの素晴らしい日々 いまは全てため息に変わってしまった(中略)人は変わるもの 以前よりずっとあたなを求めている こうやって酔った時は 変わってしまった電話番号を押して 俺だよ そこで元気に暮らしているか?―― 

フロントガラスにまたポツポツと雨が当たり始めた。ミンチョルさんが言う。「友人がわざわざ来てくださったらか、墓参りの間だけ雨を止めてくれたみたいですね」。

そうだったらありがたいな。覚えてくれてたのだろうか。

ミンチョルさんは受付を済ませるまで世話してくれた。どうもありがとう。済州島に来て本当に良かった。

人生は一人でも生きていける。いや、自分一人の力で生きていく術を得なければならない。でも、自分には結婚して子どもができて、また愛犬という家族が増えて、友がいて。みんながいろんなところに連れて行ってくれる。

今回もまた、旧友がこの島に連れてきてくれた。









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