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自分の息の分だけ潜る

海無し県で育ったせいか、大海原はあこがれの場所であると同時に、未知の世界としての恐ろしい存在でもあった。小さい頃は水が大の苦手で、体育の授業では25メートルを泳ぎ切れない。いつも途中で息が苦しくなって溺れかける。もがけばもがくほど体は沈み、しこたまプールの水を飲む羽目に。

思い出すだけで、鼻がツーンとする。なんとか人並みに泳げるようになり、齢50を過ぎた今でも、そのプールに引きずり込まれるような恐怖感は体の底に染みついてる――。

***

ソウルに帰る前日。ずっと曇っていた空が奇跡的に晴れた。せっかくなので、島の東海岸に突き出たユネスコ世界遺産の「城山日出峰」まで足を伸ばした。

約10万年前の海中火山の噴火で誕生したというこの奇岩の小高い山は、遠くから見ると王冠のような形に見え、中はすり鉢状の平原になっている。その先には果てしない大海原があるばかり。眼前に広がる緑と海の青のコントラストは今も目に焼き付いている。

その帰りに立ち寄ったショップで、「私のおかあさんはヘニョ(海女)です」という絵本を買った。そこには、済州島で暮らす娘と母のこんなやりとりがある。

「波はとても怖いよね」 
「海はもっと恐ろしい場所だよ」 
「なのに、なぜ海に潜るの?」 
「毎日潜っても、決して見えないのが海の気持ちだからだよ」

少女の祖母も、済州島に住む海女。そして、ずっと若い母よりも漁がうまい。母よりも背が低く、手も小さく、目も悪いのに。祖母はこう言ってほほえむ。

「それはね、海の神様の言葉をよく聞けばいいんだよ」

海の中では、そこで生きた経験の長さと海への愛情がどれだけ深いかという器がモノをいう世界なのだろう。祖母の教えに従っていれば、いずれは母が海を理解して、祖母を超える日がきっと来る。

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だが、母は若い頃、海に嫌気が差してしまう。もう二度と戻らない決心をして都会に出て、美容師として働き始める。なのに、そこに居場所はなかったようで、次第に疲れ、耳が痛くなる。はやり海が恋しくなり、自分の母と同じ海女として生きると決める。すると、耳の痛みは嘘のように消えていた。

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ある日、母は海の底でとても大きなアワビを見つける。息が続かなくなり、胸が苦しくなっても戻らず、アワビを持って帰ることだけに必死になっていた。次第に体は鉛のように重くなり、もがけばもがくほど体が海の底深くに引き寄せられる。

ああ、私は死んだんだなと意識が薄れてゆく母を救ったのは、近くで漁をしていた祖母だった。

海は絶対に人間の欲を許さない。
海の中で欲を出せば、息ができなくしてしまう。

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少女は祖母に、素朴な質問をする。

「タンクを使えばいいじゃない」
「そもろん、それはみんな知っている。でも、海女の海では、遙か昔から伝えられてきた美しい約束があるんだよ」
「約束?」
「私らは海を『海の畑』と呼ぶんだ。その畑にはアワビやサザエの種を植える。子どものアワビやサザエは絶対に採らない。海藻などを食べてしまうヒトデは見つけたらすぐに取る。海女は自分の海の畑をそれぞれの花畑のように美しく手入れする。その花畑で、自分自身の息が続く分だけそこに留まり、海がくれるだけ持っていくのが海女の約束なんだよ」

海は絶えず動いている。海に正解というものはない。だからその声に耳を傾けながら、自分だけの海を創っていくしかない。それこそが、海に潜る楽しさにもつながるのではないか。潜り続けるからこそ、見えてくるものがあるはずだ。

そういう意味では、書くという行為も同じこと。自分だけのフィールドで、自分だけの世界観を創ることが、生きることにつながってゆく。

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絵本の最後は、こんな少女の言葉で締めくくられる。

明日も母は海に出るでしょう
明日も祖母は海に出るでしょう
明日も祖母は、忘れずに母にこう言うでしょう
今日一日も、欲を出さずに自分の息の分だけ潜ってこよう

「なぜ文明の利器を使わないのか」の答えは、人間が海を支配するのではなく、海と共存するため。自分の息の分だけ海からもらってくることを誓えば、海は永遠にその幸を人間に分け与えてくれるのだから。

その代わり、欲を出せば海は人間に牙をむく。まるでこれも人生ではないか。なぜ祖母は若い母よりもたくさんの幸を持って帰ってこられるのか。

それは、単に時間を浪費したのではなく、一日も欠かさず海の言葉を理解しようと努めてきたからこその賜だ。

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自分の息の分だけ潜る。

それはたやすいようで難しい。余力を残し、ちゃんと自分の家に元気で戻ってくること。そして、日々の生活の中でもう息が続かないと判断すれば、欲を出さずに一休みする。そうすれば、もう少し深く潜れる力が湧いてくる。

***

ソウルに帰る日はまたあいにくの雨。台風5号が済州島に最接近したため、欠航も出ているという。タクシーを呼び、ペンションの個別棟の前まで来てもらったが、あっという間にびしょ濡れになった。

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済州空港に着く頃には台風がさらに北上したようで雨も上がった。濡れた服を着替えると、気持ちもさっぱりした。この数年の溜まった垢まで抜けたような気がした。

一念発起してやってきた済州島では、日常をしばし忘れて自然と一体になった感覚を味わえた。猫の目のように変わる天気も、娘とともに童心に返って楽しめる自分がいた。来て良かったな、と心底思う。

この島の「石と風と女」に深く感謝したい。

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