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『わたし、定時で帰ります。』第5話 セクハラはどこからどこまで?

簡単なあらすじ(ネタバレ有り)

前回、20周年を記念して取引することになったランダー社から、サイトのデザインに文句が入る。その理由は「ピンとこない」と言う曖昧なもの。そのミーティングには、ランダーの中でも唯一話がわかり味方だった部長は担当から外れており、担当の脳筋・中西の主導となる。とにかく代案を出すよう支持するが、具体的なテーマは一切ない。そこで、桜宮がが自信を持って、任せてくださいと言うと、脳筋は「桜宮さんに任せておけば問題なし!」と、何か違和感を感じるやりとりがあった。

翌日、朝倉宮は早速「これならいけると思います」と、代案の候補を提出してきて、その早さに驚いた東山がその理由を尋ねると、「昨日飲み会に誘われて、色々希望を聞いたんで、これで大丈夫だと思います!」と答える。桜宮は個人的に脳筋たちと飲みに行っていた。桜宮は、「私、飲み会好きなんで大丈夫です!」と言うが、心配になる東山だった。

今のご時世、ちょっとしたことで「セクハラ」「パワハラ」だと騒がれるが、飲みに誘われたことも、見ようによっては「セクハラ」になる。桜宮の代案をランダー社に持っていった際、東山は「桜宮を飲みに誘ったんですよね?それってセクハラではないですか?」と聞くと、飲み会の動画を見せる脳筋。そこには、率先して盛り上がる桜宮の姿があり、「これって、セクハラですかねぇ?」と丸め込まれてしまう。

後日、桜宮にまた脳筋から誘いが入る。一緒にランニングしようと。勇気を出して誘った吾妻の誘いをキャンセルし、約束の競技場に行くと、「これを着て感想もらえるかな?」と、露出度の高いウェアを渡すと、さすがの桜宮も「これはちょっと・・・」と言うと、「いいんだよ?嫌なら別に着なくても。」と、断れない言い方をされてしまう。

翌日、吾妻は東山を昼食に誘い、ランダー社にできたオタク仲間から、前日のランニングの動画を見せると、そこには嫌々走らされている桜宮の姿があった。「これはどう見たってセクハラでしょ!?」と憤る東山。東山は、「YAH-YAH-YAH」が如く、主任の種田を置いて、ランダー社に殴り込みに向かう。

始めこそ、冷静に対応するが、サイトの代案にまた「ピンと来ない」と曖昧な返答に、東山は条件を出す。一つは、要望を明確にすること。そして、桜宮へのセクハラをやめること。マウンティング脳筋は恫喝するような口調になると、そこに種田が遅れてやってくる。部下の非礼を詫び場を収めるが、資料を見せるふりをして、東山に、「先方を怒らせるように話を続けろ」とメッセージを見せる。東山は脳筋にではなく、種田に怒りをぶつけると、その言われように脳筋はブチ切れ、「この案件、他社に渡すからな!」と口走ると、「それで結構です」と種田が対応し、その場を後にする。

種田が遅れたのは、ランダー社の悪い噂を聞きつけ、上層部に取引の中止の許可を得る為だった。その為に、一芝居打って、ランダー社から契約を取り下げるように仕向けたのだった。

翌日、ランダー社のパワハラやブラック企業っぷりが週刊誌に載り、被害は最小限に抑えることができた。しかし、体を張って、身を削った桜宮の頑張りは無駄になってしまう。東山に、「本当はこんなことしたくなかった。私には実力がないから、人付き合いで仕事をするしかなかった。」と泣きながら話す桜宮。そんな桜宮に、「桜宮さんは腕あるよ。だから、自分を大切に仕事しよ。」と、涙ながらに伝えて抱きしめる。「そんなこと言われたの、東山さんだけです。そろそろ飲み会続きも飽きました。無理しないで、次行きましょう。」と桜宮は前を向くのだった。

それにしても、部長は常にいい顔するだけで、一切役に立たない。部下に働かせるだけ働かせて、業績を上げる為に、本人がいいならセクハラも厭わないどころか推奨する始末。桜宮のことを、「ほんと便利な娘だね。」と言ったり、この後の展開で、中心に描かれることがあると思いますが、ユースケ演じる部長のような存在に悩まされている人もいると思うので、今後の展開が楽しみです。


セクハラの境界線はどこ?

今回は、「セクハラ」が一つのテーマでだったかと思いますが、難しい問題ですよね。どこからどこまでが「セクハラ」なのか。私も今だったら確実に「セクハラ」になるようなことをしていたと思いますが(-_-;、時代や価値観が変わるように、「セクハラ」の概念も変わってきています。

個人的に思うことではあるのですが、「男女平等」を謳いながら、男女格差があった以前よりも「セクハラ」というものが厳しくなっているように思います。そもそも、何を持って「平等」というのか。その基準がいい加減なのに「平等」と謳うのに嫌気がさします。女性の尊厳を大事にする、というのは大賛成です。それが、イコール社会進出になるかというのは別問題です。

ちょっとテーマから逸れたコラムになりそうなので留めますが(笑)、「セクハラ」に明確な境界線はないのではないでしょうか。

日本テレビの人気アナウンサー水卜麻美さんは、その体型について色々いじられますが、「私はあまりセクハラを感じたことがない。むしろイジってもらえてありがたいです。」と言っていました。もちろん、人や立場によって通用するとは思えませんが、やはり、「捉え方」もあると思います。それと、一番重要なのは、セクハラは「相手による」という所が大きいです。

明らかにいやらしい、デブハゲにされることは、下手したら何をされても話しかけられても、セクハラに感じるかもしれません。しかし、爽やかで優しいイケメンだったら、むしろ話しかけられたい、可愛いって言われたい、誘って欲しい、なんなら触って欲しい、とまで思うのではないでしょうか?

女性を敵にしてしまうかもしれませんが(笑)、本質を見るウラヨミストの私からすると、「セクハラ」の本質は、言動ではないと思います。とは言っても、「セクハラ」の境界線は、男女双方とも違うと思うので、無難な言動をするのに越したことはないでしょうね。セクハラに当たる言動が、意図するものなのか、そうでないかはわからないので、明確なセクハラの境界線を引くのは難しいですね。
ただ、痴漢冤罪のように、「セクハラ」を盾にして、男をハメるような女性にはつかまらないように、男性諸君は気をつけていきたいですね(^^;

都合の「いい人」になるな!

桜宮は、可愛くて気が利いて人に気に入られやすい人たらしな所があります。それは、自分の仕事能力に自信がなく、それを補う為に人の名前や作品を覚えていたり、人付き合いで仕事をしようとしていました。それも大事なことではありますが、ウェアを着させられた時に、「流石に情けなくなりました。」と言いましたが、そこまでいかないと、本人も自分の愚かしさが自覚できないのでしょう。セクハラの境界線はわからなくても、「これはセクハラ」というところまでいかないと、本人も会社も対処できないのかもしれません。

また、桜宮のそういった働き方や人柄が、セクハラを増長させたとも言えます。男にとっては都合のいい天然キャバ嬢のようなものと言えます。桜宮自身も、「私は断らないキャラと思われている」と言っていますが、本人が望んで体を張るならいいですが、意に反してやっていたことで、笑顔の裏では苦しんでいました。「もう嫌だ!」と思うところまでいかないと、変わるきっかけを作れなかったのでしょう。

世で言う「いい人」とは、「都合のいい人」という意味です。誰かの都合のいい人になってしまうと、弱みに付け込まれたり、自分を犠牲してしまうからです。気をつけないと、「いい人」になることで身を滅ぼすことになります。自分の意思をしっかり持って、Noと言えるだけの自信を身につけていきたいですね。

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