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ミュージシャン『スティング(Sting)』と『ザ・ポリス』について

今回はミュージシャン『スティング』についての簡単な紹介記事です。(と言うよりも初期の頃在籍していた『ザ・ポリス』と言うバンドについて)

 Quoraにおいてだいぶ以前に次のような質問をリクエストされ、作成した回答を大幅に書き直しました。

質問『スティングとは何ですか?何系バンドですか?』

『スティング(Sting)』略歴

本名
『ゴードン・マシュー・トーマス・サムナー 』(Gordon Matthew Thomas Sumner, CBE )1951年10月2日生まれ

アーティスト名『スティング』の由来

ポリス結成以前のライブなどで、蜂を連想させる黄色と黒の縞の上着を愛用していたことから。スティング(sting=「ちくりと刺す」の意味)

1971年〜1974年 イングランド北部教員養成大学(現ノーザンブリア大学)に通う。
卒業後はニューカッスル北部にあるセント・ポール小学校の国語教師として5歳から9歳までの児童を受け持った。

Don't Stand So Close To Me.The Police.

・『高校教師』
『高校教師』という邦題の曲のために『スティングはもと高校教師だったと誤解される』ことが多いが、この歌は教育実習で15歳の生徒を担当した経験を元にしたもの。
ただし、実体験を表したものではなく、スティングによると、
『人気絶頂のロック・スターと若い女性ファンとの関係を暗喩として表した』歌詞とのこと。

『ザ・ポリス(The Police)』結成

1976年末 イギリスのニューカッスルで、当時プログレッシブ・ロック・バンドの『カーヴド・エア』に在籍していたドラマーの『スチュワート・コープランド』が、偶然ジャズ・フュージョン・バンド、『ラスト・イグジット』で活動していたベーシスト兼ボーカリストのスティングのステージを見た。
コープランドからスティングへの度重なる説得の末、1977年ギタリストの『ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニ』を加えた3人でポリスを結成。
後に、『ストロンチウム90』を通じて、『元後期アニマルズ』のギタリスト、『アンディ・サマーズ』が加入し4人編成となる。
さらにパドゥバーニが脱退しトリオとなる。

要するにメンバー3人ともアマチュア・セミプロ時代から相当な技巧派。

ライヴ活動がメインだったポリスは、『サリー・サウンド・スタジオ』でアルバムを製作することにした。(いわゆる自費製作、このアルバムはインディーズで発売される予定であった)
録音自体は、10日間でかつ1500ポンド未満で済んだという。
後にマネージャーになる『マイルズ・コープランド(スチュアート・コープランドの兄)』「ロクサーヌ」を聴いて気に入り、アルバム音源がA&Mに持ち込まれた。

 1978年 アルバム『アウトランドス・ダムール』でデビュー。

『アウトランドス・ダムール』ポリス リリース 1978年11月2日レーベル A&M
プロデュース スチュワート・コープランド、アンディ・サマーズ、スティング

Roxane.The Police.

・『ロクサーヌ』
ポリスのデビュー曲。南フランスの娼婦について書かれた曲である。

メンバーは最初、パンク全盛当時にゆっくりとした曲調であるこの曲に自信を持っていなかった。このシングルは最初チャート入りしなかった。

白人ロックバンドでギターが刻むスカビートはクラッシュの方が先だけど、初期The Policeはスカビートをトレードマークにしていた印象。

So Lonely.The Police

・『So Lonely』
PV撮影は、東京都営地下鉄浅草線の地下鉄車内や駅構内で行われた。
怪訝な顔をしてポリスメンバーを振り返る一般乗客の顔があちこちで見られるため、お忍びの秘密撮影を敢行したものと思われる。
香港滞在中の街頭撮影ビデオと一緒に編集したらしく、日本の光景とが混合されている。

『白いレガッタ』ポリス リリース 1979年10月5日レーベル A&M
プロデュース スチュワート・コープランド、アンディ・サマーズ、スティング、ナイジェル・グレイ

Message In A Bottle.The Police

・『孤独のメッセージ』
2作目のアルバム『白いレガッタ』の先行シングル。

遭難者は助けを呼ぼうとボトルメール (Message in a bottle) を送る。それから長い時を経て、海岸には非常に多くの助けを求めるボトルメールが来てしまい、遭難者は目を疑うという内容。
『人間は誰しも孤独であり、疎外感を抱いているということ』である、と作曲したスティングは述べている。
自分は孤独だというメッセージを他人へ送ると、自分も孤独であるというメッセージが戻ってくる。

とにかくポリスにとって初のヒット曲。今でも代表曲の一つ。
初期はスカビートとともに、わざと音質を悪くレコーディング していたんじゃないかと思います。

『ゼニヤッタ・モンダッタ』ポリス リリース 1980年10月3日レーベル A&M
プロデュース ポリス、ナイジェル・グレイ

上にあげた『Don't Stand So Close To Me』はこのアルバム収録曲。

『ゴースト・イン・ザ・マシーン』ポリス リリース 1981年10月2日 レーベル A&M
プロデュース ポリス、ヒュー・パジャム

※プロデューサーに『ヒュー・パジャム』が加わっている。

Every Little Thing She Does is Magic.The Police

・『マジック』
スカビートを推し進めてアフリカンビートを大々的に取り入れます。
これはスティングがもともとやりたかったジャズ/フュージョン界ではすでに起きていた流れ。
※以降ロックも巻き込んで、世界的に『ワールド・ミュージックブーム』が起こります。

Invisible Sun.The Police.

・『インヴィジブル・サン 』
激化する北アイルランド紛争をテーマにした曲。
「北アイルランドでの対立を扱っている」と言う理由でBBCではビデオ・クリップが放送禁止になった。

Demolition Man.Grace Jones

スティングが『グレース・ジョーンズ』に楽曲提供。

Demolition Man.The Police.

ポリスがアルバム内でロックアレンジでセルフカバー。さらに、

Demolition Man.Sting

1993年公開の映画『デモリションマン』の主題歌として、さらにスティングがセルフカバー。

『シンクロニシティー』ポリス リリース 1983年6月1日レーベル A&M
プロデュース ポリス、ヒュー・パジャム

1983年 5作目のアルバム『シンクロニシティー』が、Billboard 200に於いて17週連続1位。

Every Breath You Take.The Police

・『見つめていたい』
前作のヒットで下地はあったのだろうけど、この曲が記録的ヒット。
アルバム先行シングル『見つめていたい』はBillboard Hot 100で8週連続1位、さらに年間チャート1位にも輝いている。
※ちなみに1983年の年間アルバムチャート1位はマイケル・ジャクソン『スリラー』

Murder By Numbers.The Police.

・『マーダー・バイ・ナンバーズ』 
オリジナルのLP盤にはこの曲は、収録されていない。この曲が収録されているのは、カセット盤とCD盤のみである。

 Murder By Numbers.Frank Zappa & Sting

1988年 スティングは『フランク・ザッパ』のシカゴ公演にゲスト参加してこの曲を歌った。

『ブロードウェイ・ザ・ハード・ウェイ』フランク・ザッパ リリース 1988年10月25日 レーベル バーキング・パンプキン・レコード
プロデュース フランク・ザッパ

その模様はザッパのライヴ・アルバム『ブロードウェイ・ザ・ハード・ウェイ』に収録されている。

King of Pain.The Police

『見つめていたい』に続いてリリースされたシングル。

この後6枚目のアルバム制作は行われるが、いろんな理由でレコーディングは頓挫。
ベスト・アルバムに『高校教師'86(Don't Stand So Close To Me'86)』という焼き直し曲のリリースに留まる。
この『高校教師'86』はコープランドが落馬で足を骨折。このため、『高校教師'86』のドラムはすべて打ち込み。

その後3人のメンバーはそれぞれソロ活動を始めます。

『スティング』ソロ活動始動

1983年のポリスとしてのラストアルバム『シンクロニシティ』の直後、そしてポリスとしてのラストシングル『高校教師'86』リリースよりも前、

1985年 スティングはソロ活動を本格的に開始しました。

『ブルー・タートルの夢』スティング リリース 1985年 レーベル A&M
プロデュース スティング、ピーター・スミス

参加ミュージシャン
・ドラム ーオマー・ハキム
・ベース ーダリル・ジョーンズ
・キーボード ーケニー・カークランド 
・サクソフォーン ーブランフォード・マルサリス 

このアルバムにジャズ界の大御所が参加しているのもあり、スティング自身はポリス時代から担当だったベースからギターにチェンジ。

If You Love Somebody Set Them Free.Sting

PVは元10ccのメンバーで映像作家である『ゴドレイ&クレーム』が監督した。
『セット・ゼム・フリー (If You Love Somebody Set Them Free)』のPVは傑作と云われている。

スティングのソロ一デビューがこの曲。
ポリス『シンクロニシティ』の特大ヒットがあったからこそ実現できた、実際の当時のジャズ畑の一流ミュージシャンをバックバンドに従えてのソロ活動開始。

シングル『セット・ゼム・フリー』はアメリカで3位になったが、イギリスでは26位にとどまった。
ヒットの要因はいろいろあるだろうけど、ポリスとしての前作のヒットの余熱と、ジャズを生んだ国としてアメリカの方が理解があったんだと思われます。

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