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〜潜水〜

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心のつぶやき
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#今こんな気分

合掌とは
心の中で 橋を架けること…なのかな
わたしが ばらばらにならないように

「推」さないです。
私がその人やその作品を好きなだけ。
ただそれだけ。
私がそれを慈しんでいる様子が
あなたにとって不愉快でなければ
それで充分だと思うのです。

(「推し」という言い回しがずっとしっくりこないのです)

2024 辺野古 Jan.

2024 辺野古 Jan.

今朝は悪寒がした
気圧と寒さのせいと言い聞かせ
起き上がれない身体を説得した
何も食べられなかった
気象のせいにしてしまいたい
でも海からの叫びが聞こえる
心の痛みは
もはや身体的な痛み
凌辱される島は
私のからだ

🌿imo

2024.1.9(火)夜

私は…やはり…Smileは必要だと思う。それを無理に声や表情に出さなくとも。ユーモアとは…何よりまず自分の内側から処方箋として用意されているものだと感じている。勿論、何かの引き換えに「笑い」があってはいけないと思っている。
卑屈さや駆け引きではない笑いがある。島に育まれた宝物だ。

先日「負の連鎖を自分の所で止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けている」と呟いた。その「止めてる人」は、なかなか人に悩みを打ち明けられない。そんな人の想いのはけ口は何だろう?そう考えていて…それは“文学”なのでは?と思った。読(詠)んだり綴ったり。…なんと切ない事だろう…

一条ゆかり先生の、そして当時、少女まんがを描いていた女性達の大変さが「やっと」詳らかになり、私は溜飲が下がる思い。
いま放映されている「100分de名著」林芙美子さんについて知る度に、私は一条先生のエッセイ漫画を思い出していた。とても似ているのだ。他の先生方も本当に大変だった。。

さみしいなあ。私は少ない。持ってるものが。/いや充分ではないか。何を贅沢なことを。/(沢山持ってると管理しきれなくて不安になる、だから制限してるのに)/(でも少ないものに頼り切ってるのがわかるから)/おちついて/力いっぱいな蝉の静けさに身を委ねよう/好きな本の中に入ろう寂しさは友

負の連鎖を自分のところで止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けているんだよ…(そこからもがこうと必死なんだ…)

「男だって生きづらいんだ」と気づけた事で、一方で同じようにつらいと悩み続けている女性たちと、少しでも生きやすい方法をつくりだす事こそ、最も身近な「弁証法」なのではないだろうか。
その為にまず対話がある。自らの問題を見つめ、相手の苦しみを想像し受け止める土壌を、根気強く耕し続ける。

追いかけているうちは追いつけない。それはそうだよね。。追いついたとしても。追い越したつもりでも。相手の眼中にないなら、併走する日は来ない。…だから、いずれ立ち止まる日が来るのだろう。。

私の読書はまだこれから。。本当に始まったばかりです。たぶん一生、追いつけないままでしょう。だからといって沢山は読めない。再び読めなくなる時が来るかもしれない。だから1冊ずつ、ゆっくりゆっくり沈み込んで、味わって、私の細胞に落とし込むしかないのだろう…。「今を読む」。祈りとして。

「暴力は言葉を奪う」と意識しだしてから、今日ふと思ったこと。
琉球が併合され言語が「標準語」に塗り替えられたその時から、世代を経てもう元の言葉が取り戻せないまでになっている現在、このこと自体、ずっと暴力を受け続けている状態なのではないか…と。。
(思案中)

気温は高い。蒸し暑い。
でも手足が冷たい。
…島のこと、一向に良くならない。
伝わらなくて虚しい。
「虚無」に蝕まれて心が冷たい。
…まわりを一生懸命たすけても励ましても空回り。
「微力でも無力ではない」「継続は力」大切なことば。それはわかっている。でも。
私も病み、疲れている。

「“祈り”として本を読む」、というのは、あることなのだろうか。。