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吉岡彌生さん

附属病院の一斉退職騒動で揺れる、東京女子医科大学――。
https://toyokeizai.net/articles/-/423926?utm_source=auweb&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

創設者は、吉岡彌生(1871-1959)という人だそうだ。

明治期から女性医師育成に尽力したパイオニアである。
https://uec.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=9913&item_no=1&page_id=13&block_id=21

 

臨終の際は本人の希望で解剖が行われており、その記録を見ることができる。
https://twinkle.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=11037&item_no=1&page_id=49&block_id=53

実に献身的な態度だが、そうした献身性ゆえか戦時期には次のような文章を残している。

「銃後の三大任務」(1937)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seikatsueisei1925/13/9/13_9_31/_article/-char/ja/

盧溝橋事件からの日中戦争勃発を受けて、戦時体制における女性の役割を説いたものらしい。

いかにも戦中的で、エスノセントリックな内容である。

 

もし吉岡彌生が朝ドラの主人公にでも選ばれれば、附属病院も潤って職員の処遇改善につながるかもしれない。

しかし、企画段階において「銃後…」のような文章がネックになるだろう。

ちなみにフジテレビでは、1977年に彼女の生涯がドラマ化された模様。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

 

写真は、東京女子医科大学の弥生記念講堂。

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