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精神障害者への偏見はもう辞めよう

精神障害者への偏見はもう辞めようよ

精神障害者は異常でもないし異質でもない

病気に過ぎない

病気により精神や心理が制御出来なくなる事はあるがこれが全て他外に向かっているかと言えばない

どちらかと言えば自分自身に向かって攻撃する

それが自傷とかの行為になれば異常とか怖いとかになるかも知れないが本人に取って周りを攻撃する事はない

自傷行為事態、かまって欲しい想いがあるでしょう

ただ自傷行為がやれるが、おかしいで終わり、その次のなぜ皆さんは自傷行為をやったのかを考えない

ただおかしい人で、終わっては解決しない

行為に及んだは、なぜかは必ずあるのです

でも精神障害者だからで終わるのです

それでは精神障害者は救われない

精神障害者への対応の一つは話しを聞いてあげる事です

詳しく聞くと具体的な問題が出て来ます

それを一緒に解決出来る人達が多く居ればいいのですが精神障害者だからの偏見で周りは煙たい視線しか向けないのです

この国の精神障害者への、閉鎖的偏見はどうしようもない

何を根拠に偏見を持つのか自分には理解出来ない

自分は自分を分析対象にします

確かに異常性とは言えるだろうと想えます

でもそれは症状や状態であって、行動や倫理観、道徳観はあると想えます

ルールを守れないのは健常者の方が多いし、精神障害者だから特別目立つ事もない

ただ精神障害者は肩身の狭い生活をしていると想います

精神障害者の家だと近所にわかれば偏見や差別的な視線で見る人達がこの国にはどのくらい居るのだろうかと29年前から想っていました

時代が変わっても精神障害者への見方がなかなか変わる事はありませんでした

この偏見の見方を終わらせたい

だから自分は芸術を持って精神障害者の芸術文化革命に名乗りを上げたのです

ただこの国の制度は精神障害者に芸術をさせる法律はあるのに制度どがないのです

その制度が整ってなかったばっかりに母は精神が崩壊して施設に入所して、そして脳梗塞になり今も闘ってくれてます

母の想い出あれば自分はフィルムプリントをするべきだと想っています

フィルムプリントしたフィルム写真こそが、先ず精神障害者の芸術文化革命の発生だと想います

後一歩まで来てます

諦める訳にはいきません

ここを超えた精神障害者は居ない筈です

新しい風をそよがせるには新しい血脈を注ぐしかありません

そこには痛みがあるでしょう

それが精神障害者、精神病という痛みなのです

それが病気の痛みなのです

病気と闘っての芸術活動なのです

それを理解して下さい

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