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「逃げてもいい」では逃げられない ~仕事や学校から逃げたい人へ~


ある日、気が付いたらネットカフェに居た。

前日の朝どうしても上司の顔を見たくなかった。
なぜかわからないが、もし上司に会ったら死んでしまうような気がした。

「もし家にまで上司が呼びに来たらどうしよう」

という一心で家を飛び出したのである。

――
という小説チックな語り口で書いてみましたが、これは筆者自身の話です。

会社にも連絡せず、いかなるメール・電話・ラインを完全にシャットアウトし、2日間失踪してました。
非常に多方面、様々な方にご迷惑をかけました。もう少し何とかならなかったのかと自分でも思います。

ただ、表題にもあるとおり、私が言いたいのは

「逃げてもいい」では逃げられないということなのです。

なぜそんなに思い詰めていたのか

所謂、パワハラです。

直属の上司と折が合わず、出会って3か月で吹き飛んでしまいました。
当時の日記を読み返すと

「お前は頭が悪い」
「黙って、そうですと言っていればいい」
「俺を納得させられるなら自由にやっていい。お前には無理やけど」 etc

色々言われていたようです。

最終的には

「殺すぞ」「死ね」

という脅迫にエスカレートしていくのですが。


最初に「殺すぞ」と言われたときは、恐怖というよりも、相手に対する呆れや諦めの念が先行し、生まれて初めて血の気が引きました。

ただ何度か繰り返されていくと、次は相手に対する嫌気、忌避感が自分の中で湧き上がるようになります。肩が触れるだけでも嫌なのです。

そもそも自分のミスが多かったのも事実ですが、こうなるともうミスは止まりません。

そして家具屋勤めだった私は、街中でイスやテーブルを目にするたびに上司の顔が目に浮かぶようになっていました。

他にも、気が付いたら高速を営業車で140㎞/hで走っていたり、涙が急に出てきたり、壁に枕や服を投げつけたりしていました。そして毎晩夢でも上司に脅迫されていたのです。

「速度オーバーは絶対にしない主義」の私がです。

「なぜ相談しなかったんだ」と思った方へ伝えたいこと

おそらく多くの人は

「なぜもっと早く相談しなかったんだ?」

とお思いのことでしょう。

もともとの私の性格もありますが、当時私はこんなことを考えていました。

「きっと俺と反りが合わないだけだろう」
「この人にも嫁と子供がいるってことは、この人が好きって人もおる」
「もし逆ギレして、相手が病んでしまったらどうしよう」

善い人ぶりたいわけではありません。

思うに、なんとか理由をつけて、相手のことを考える時間を極力減らしたかったのだと。

もし相談してしまうと、上司のことを考える時間が長くなるような気がしたのです。

事実、失踪する直前まで誰かと遊んでいました。
年末年始だったこともあり、大阪の実家に帰り、旧友らと飲みに出かけ、地方の友人に会いに行き、挙句、祖父と祖父の故郷へ旅行にまで行っています。

でも、相談しなかったのです。

「せっかくこんなに楽しいのに、愚痴を言って、上司のことを思い出したくない」

と本気で思っていました。

「逃げてもいい」では逃げられない

実家で療養したこともあり、外出できるようになると、有難いことに友人たちが食事に誘ってくれるのです。

自分の中で心に残っているのは「大丈夫か」という言葉とは少し違います。

「逃げてくれて良かったわ」
「よく逃げた」

「逃げた」という結果に対する肯定の言葉なのです。

これは私の家族や親類も同じ言葉をかけてくれました。

逃げたことは過ちではない。そう思えるようになりました。

おそらく今しんどい・逃げたいと思っている方は、

「逃げてしまったらどうなるのだろう?」

とお考えかと思います。実際、「逃げてもいい」なんて言われても、そのような勇気ありますでしょうか?

私はありませんでした。それゆえ、突然、吹っ飛びました。

だからこそ吹き飛んでしまった私が、もし今辛くて逃げたい人にお声がけするなら

「今すぐ逃げなければならない」
「逃げる以外の選択肢はない」
「逃げろ。さもなくば死ぬぞ」

という言葉を贈ります。

「逃げてもいい」なんて生半可なことはいいません。

私も辛いとき「逃げる」ことについてネット記事や本を読み漁りましたが、「逃げてもいい」としか書いていません。

「逃げても」という時点で、「逃げない」という選択肢が残されているのです。そのような甘い選択肢は存在しません。

「逃げる」しかないのです。

「逃げた」という結果は絶対に肯定される

そして何より「逃げた」という結果は肯定されるものです。

貴方をよく知らない人や匿名で誹謗中傷を繰り返す人、旧態依然な価値観でいる人は

「甘えてんじゃねぇ」
「逃げるなんてみっともない」

と貴方を否定してくるかもしれません。

でも、きっと貴方をよく知る家族や友人は「逃げた」という結果を肯定してくれるはずです。

はずなんかではない。絶対に肯定してくれます。

もしこれでも誰からも肯定してもらえないと思うのなら、私に連絡をください。絶対に肯定し、心から祝福します。

逃げてきてくれたら、なんなら数日ぐらい、かくまっても問題ありません。

そのときはビールでも、ジュースでも、肉でも、魚でも美味しいものをたらふく飲んで・食べましょう。

テレビでも見て、ごろ寝して、昼まで寝てやればいいのです。

スマホなんて屋根裏にでも隠してしまえばよいのです。連絡なんて数日とらなくてもいい。

多方面に心配をかけた私が言うのもおかしいかもしれませんが、心配で済むのなら、無事で生きてさえいれば、最後は皆許してくれます。

いくら心配の度合いが大きくなろうとも、心配で終われば皆万々歳です。

もし周囲が許してくれないとすれば、心配が後悔に変わった瞬間だと思います。

だからこそ、「逃げなければならない」のです。

ーーー

長々と書きましたが、自分の心の整理のためにも文章にしました。
今は祖父の故郷である香川県丸亀市の離島「さぬき広島」で農地を耕しながら、生活しています。

自分の暮らす家が、地域が、誰かの逃げ場でありたい

と思う今日この頃です。

お読みいただきありがとうございました。

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