#読中
考えごと日記その15 「アヘン戦争から解放まで」を読んで、日本が明治時代のころの中国(清)を考える
なるほど、わかってきたでぇ〜ッ、毛沢東の尋常でない共産主義化への執念の源が。
日本が明治時代のころの中国(清)はもう悲惨。アヘン戦争なんか始まりにすぎず、列強はよってたかって中国をむさぼり喰いつくそうとしたんだな。これはエグいでぇ。そして中国を滅ぼしたあとは、次はロシアを狙っていたと思われるんだな。
そこへ毛沢東があらわれて強い中国を作ろうとしたんだから、そりゃ中国からしたら英雄だわ。これはス
考えごと日記その9 「『アヘン戦争から開放まで』を読んで、宣教師の役割を考える」
今、「アヘン戦争から開放まで」を読んでるのだが、そこにイギリスから中国へ渡った宣教師の役割が記されてある。そこには、表向きはキリスト教の布教、しかし裏の役割は中国の調査と中国語の習得だというのだ。
そしてアヘン戦争後の談判で、中国語を習得した宣教師が通訳をつとめるのだ。宣教師は当然ながらイギリスに有利になるよう交渉を運んでいく。そして不平等条約が結ばれるようにしたのだという。
そこで思うのは、
「サピエンス全史 下」 スペインによるアステカ帝国の植民地化と日本の幕末明治維新を考える
15世紀にメキシコ一帯を支配していたアステカ帝国。本書にはそのアステカ帝国をスペインが滅ぼし、植民地にした工程が記されている。これが非常に興味ぶかい。
なぜかというと、その流れが日本の幕末にそっくりだからだ。とはいえ流れはそっくりであっても、その異国人の来訪にたいしてのアステカ人の行動と、日本人の行動に違いがみられる。その違いについて考えてみたい。
そのまえに、まず幕末における欧米の日本植民地
小説「土を喰らう十二ヵ月」にある「竹笑う」
風で竹がなびく様子を「竹笑う」というそうだ。
強風であろうが、弱風であろうが、順風であろうが、逆風であろうが、どんな風が来ようとも平然としてあらがわず、涼やかに揺れる竹の様子が、笑っているように見えるからだそう。つまり「竹笑う」とは、どんな風が吹こうとも、抵抗も我慢もしない生き方をいう。
ついでにここでいう我慢とは、耐え忍ぶこと、こらえること、という意味ではない。我慢とは仏教語で七慢という傲慢