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鑑賞対話ファシリテーターという仕事 1. 発信コンサルタントと語る

このインタビューでも話した、ずっとやりたかった表現と鑑賞に橋をかける場をつくること、作り手と届け手と受け手が作品を囲んでフラットに対話する場を、まずは映画でひとつ形にすることができた。


さて、これからだ、というところで、あらためて自分の仕事について、はたらきや機能について、わたし以外の人、専門分野を持つプロに言語化してもらい、それを持って、パートナーシップを組める人とコミュニケーションしていきたいと思っている。

今回は、フリーエディターで発信コンサルタントの東麻吏(ひがし・まり)さんとお話をさせていただいた。



東: わたしは事象の構造を読むのが好きなのですが、今回聖子さんが映画を観て語る場をつくられて、実際にわたしも参加してみて、今後どうしていかれるのか、とても興味深く見ています。

聖: ありがとうございます!

東: あの場で起こっていた事象は、図にするとこのようなことだと思います。

東: ここに映画とわたしたち観客との個別の関係性がありますよね。

聖: はい。映画という一個のものと、それぞれの観る人と。

東: 配給さんがつないでるわけですよね?

聖: はい、そうです。

東: 今回の対話イベントで起こっていたのは、参加者個人の中の深まりもあるんですが、場にいた他の人たちの話を聴いたりもあったじゃないですか。リフレクションしたりとか。

聖: はい、相互にありました。

東: 配給、監督、出演者など、映画側の人たちと参加者とのやりとりもありましたよね?

聖: ありました。

東: そうしたら、ほらこの図を見てください。


東: マトリックスになってますよね。こっちのほうが、先ほどの個別の関係性より全然強い。

聖: ああ、映画との結びつきっていうことですよね。そうそう、そうなんです!

東: これになるともはや配給ではなくて、エンゲージメントですよ。エンゲージメントという価値になる。

聖: 名前が違うんですね。エンゲージメント...。

東: 名付けてしまえばいいんですよ。マトリックス型配給とか、エンゲージメント型配給とか。それをやることの意味合いを、パートナーシップを組む人たちにはお伝えしたらいいと思う。

聖: はい。

東: わたし個人の所感として、このマトリックスがいっぱいあるというか、自分から出ている線がいろんな人に行って、作品ごとにマトリックスがある、網目のようにあると、一人ひとりの満足度はすごく高いんじゃないかと思います。

聖: そうなんです!そう!絶対そうなんです!個別で観に行って、その人の中で大事にする、時間をかけて深まっていくっていうものも、もちろんあるんです。でも、みんなで対話したほうがいいなって思う映画に関しては、やっぱりマトリックスになるほうがいいんです。いろんな人と対話すると映画がすごく立体的に見えてくる。自分も話を聴いて、自分とは違う他の人の話も聴いて、すごく刺激を受けて考え、その場でまた話し、聞いてもらい、応答があることによって、「自分にとってこの映画はこういう存在なのか」が明らかになってくるときの感動というか心の満たされ感というのは、これ生きててよかったぐらいの希望になると思うんです。そしてそういう圧倒的な濃い体験っていうのは、すごーく時間をかけて、その人の人生を温め続けると思うし、人間に対する信頼とか、世界に対する信頼がすごく高まると思うんですよね。

東: 今の部分はきっと、詩とか短歌にしたほうがいいですよ。今のフレーズを元にして。

聖: は、はい。詠めなくないです(笑)。

東: 今のは説明文章じゃなくて、アートの文章だったと思います。

聖: うーん、わたしどうしてもこういう風にしか言えなくて(笑)。

東: 「その人の人生をその後も温め続ける」って詩的な表現だと思う。聖子さんは詩的な表現で、パートナーになる人たちとの間に橋をかける。間を保つ、そのやり方ってアリだと思います。こういう場づくりの価値を考えてほしいとか、価値を認めてほしい人たちに対して。

聖: なるほど。

東: さっきのエンゲージメントの話に戻りますが、映画って通常一回しか観ないですよね。

聖: そうですね。

東: 一回しか観ないということは、一つの側面、一つの印象が残ると思うんですが、これが対話をやると、いろんな側面が生まれてきますよね。「あ、その人にとってはそういうシーンだったのか」とか。これが厚みだと思うんですよね。

聖: 映画の?

東: 映画と自分の関係性の。さっき言ったようにこれが個人と映画のつながりの強さになるから、そうなったらその人たちはファンになる。ファンになったら例えば、DVDが出たら買うかもしれない、グッズ買うかもしれないというふうに。

聖: あと、家族、友人、知人にオススメしますよね。観たほうがいいよとか、観て感想を聞かせて、とか。一番効くやつ。

東: そうですね、それが第一義的か。これはベンチャー企業やWebサービスなんかはみんなやりたがっている。そんなに珍しいやり方じゃないです。

聖: そう、そうなんです、そんなに珍しくない。

東: でも配給の世界ではやったことがない?

聖: おそらくそうだと思います。

東: それはもう「発見」だから。

聖: そうそう、そういう売り方っていうのかな、こういう興行スタイルは。

東: それをもしかして詩的に伝えるのか、わたしみたいに解説するのか。

聖: ああ、なんかすごく自分が何をやっているのかっていうことが解説されてすごくうれしいです(笑)。

東: ということが伝わるといいですね。

聖: ありがとうございます。

東: 配給側がマトリックスなりエンゲージメントの網を提供するということが、新しいスタイルの発見ということですよね。今まではファン同士でつながるとかオフ会は、自然発生的にあった。

聖: そうでした。自然発生でした。

東: そして自然発生しようとする動きもあった。

聖: ええ、それもありましたね。

東: それをもう、自然発生に任せるとか、自然発生を促すのではなくて、「こっちがやっちゃいます!」みたいな(笑)、ことなんだと思います。

聖: そうそうそう。ただ、そういう「自分たちでやっちゃえ」というときに、映画側のほうでは何が不安や怖れや負担なのかなって今考えているんです。一つは、それは役目じゃないと思っている可能性がある。その他には何があるんだろうなぁって。

東: そうですね。あとは門外漢とか。「やり方がわからない」というハードルがあるのかもしれない。

聖: あるかもしれない。

東: でもそれは「こういうエンゲージメントの場をやりたい」という意欲が出てからの話ですからね。配給側もこれをやっていいんだけど、自分たちがやることじゃないと思っているとしたら、でもじゃあ配給会社ってなんなんですかっていう命題を遡って考えたら、絶対当てはまることですよね。

聖: 映画をたくさんの人に届けるんですよね。

東: 深度をどうやって測るか。結局あれですね、定量から定性へ。

聖: ああ、そうですね。多くのものがその流れですよね。

東: でも配給において動員数という定量のことを基準にしてやるっていう道しかなかったのを、今度は定性でやるっていう新しい道が配給の中でもスタイルとして動いていく、最初のうねりなんじゃないでしょうか。

聖: すごくそれをやっている映画もあって、でももっと加速させられるし、もっと増加させられる。それは場の力で。設計や進行。わたしがちょっと懸念してるのは、「舟之川聖子が場づくりをする」という場合に、わたしは事前に準備していくし、想定していくし、進行も考えていくんですが、実際その場になったら、起こっていることについて行くときもあります。でもその場で「予定」を変更していくことが、もしかすると場当たり的に見えるかもしれないなぁと思っていて。

東: なるほど。

聖: でもそこはちゃんと考えてやっている。予定通りやらないということについては鍛錬してきているっていうことが、なかなか説明しづらいなぁと思っています。「ファシリテーター」と聞くと、【合意形成のための対話】の場のファシリテーターを思い浮かべる方もいるかもしれません。鮮やかにまとめあげる。対して、【自分のための対話】の場のファシリテーターは、わりと不確実性こそが本質だと考えている方が多い印象です。ちろんわたしもそうで、その場で起こることに感覚をそばだてていて、舵を切りながら場を進めています。

東: ファシリテーションの意義も定義も一人ひとり違うし、ちゃんとモデレーターのように進めてもらう、仕切ってもらうほうが安心という方もいるのは事実ですよね。

聖: もちろんあります。相性もあると思いますし。

東: でも不確実性というか、安定性がないところでの発言や思考が、その人の本質に近かったりもするわけじゃないですか。

聖: そうなんです、だからこそ「そういう場だと思っていなかった!」ということを避けるために、事前に告知の段階で言っておく必要があります。その場で目指すのが正解がない対話であるとか、その日その場でそのメンバーで起こることを楽しむ場で、ファシリテーターも揺れながら進んでいくような場だということをですね。そうでないと、「なにあの人、自信がないのかしら」と不安になったり、「何か教えてもらえるんでしょ」「見ているだけでいい」というズレが防げると思います。その、見せ方はいろいろあると思うんですが。「このファシリテーターはこういう芸風ですよ」とか。

東: 聖子さんが大切にしているのは、「その場で生まれているもの」で、それに忠実に従うから、すごいしっかりした仕切りを求めている人だとちょっと違うと思うというのは、事前に共有しておいたほうがいいですよね。

聖: そうですね。...あとちょっと思ったんですが、映画側の人は、日々お客さんや映画を見た人からいろんな感想をたくさんもらいますよね?

東: ああ、そうですね。

聖: 自分でも積極的に取りに行くだろうし。そういう「へー、そんなふうに見たんだ」という多角的で深まる体験を、観客一人ひとりの側も求めていると知って、その体験をデザインする場を引き受けられるかどうかが大きいと思ってます。

東: なるほど。

聖: そこまで映画側がやる必要があるのか、その人がどうにかする問題じゃないか...つまり自分で友だちを誘っていくとか、SNSで発信するとか、と思うかもしれない。あとはそこにどれだけ工数がかかるんだろう、という怖れもあるかもしれないです。

東: そうですね。定量で見ないということは、人間一人ひとりを見るということになるから。

聖: そうなんです、覚悟が要る。

東: 参加者を観客という記号で捉えるのではなく、実体のある人間がいると考えると重みが増す。

聖: でも、対象の作品がドキュメンタリーだとしたら、相性がいいんじゃないかと思っています。人間を知る、人間について考える映画だから。

東: なるほど。まぁでもすべての作品が、人間について知ったり考えたりする映画ですよね(笑)。

聖: ああ、まぁそうですね(笑)。そう考えるとやっぱり何にでもセットできますね。あとすごく大事なことは、このマトリックス的な鑑賞対話の場の中には、作り手と届け手と受け手がフラットにいるということですね。作った人が観る人より偉い、ということはない。作った人は自分を通過させて作品を生み出していて、それを観た人もまた、自分を通過させながら味わい、語る表現をします。それは作っただけでは完成はしなくて、観てもらうことで完成するというのは、作った人も観た人も同じことをしているんだと思う。

東: 相似形ですね。そうなるともうハイエンゲージメント配給ですね。聖子さんは普段ハイエンゲージメント鑑賞の場をやってるじゃないですか。予習して、体験して、語って...そして参加した人がまた自分でも場をつくりはじめちゃったり。

聖: ああ、そうですね。友人で場づくりはじめちゃった人が何人もいます。わたしは場づくりのコンサルティグもしていて、場をつくりたい人はどんどん増えている印象です。

東: そういうエンゲージメントのプレイヤーになってほしいってことですよね。一緒に組む人に。

聖: そうそう!まさにそうなんですよー!

東: 聖子さんは最初のペンギンですね。

聖: 最初に海に飛び込むペンギン。

東: そう。鑑賞対話の場をつくる人は、やはりプロとして、この価値を周りに伝えていく使命があると思います。がんばってください、応援してます。

聖: はい、きょうはほんとうにありがとうございました!

東: こちらこそ、ありがとうございました。


東 麻吏 (ひがし・まり)
フリーエディター、発信コンサルタント
自ら発信したいことがある、所属団体でブログ発信しなくてはいけない、会社でオウンドメディアを作ることになった、などなど、「発信」「伝える」でお困りの方の伴走をします。原稿やブログ投稿の添削も。
http://leavesandwords.strikingly.com/

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