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歴史考察

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歴史について考察した記事をまとめています。
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2021年12月の記事一覧

自ら耕し、狩りに行く

自ら耕し、狩りに行く

…ウサギが木の株で転んだ。
農民はたまたま獲物を得た。
それからその農民は、
畑を耕すことなく木の株を
ずっと見守るようになった。
畑は荒れ放題となり、
彼は笑い者になった。…

こんな話があります。
『守株』『株を守りウサギを待つ』
という故事成語の由来です。
今日では「古い習慣にこだわる」
という意味で使われます。

そんな幸運が
何度も起こるわけないだろ!
棚からぼたもち的な、
ラッキースケ

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賛否両論シリーズ連載終了のお知らせ

賛否両論シリーズ連載終了のお知らせ

ここ6回ほど、「賛否両論」の視点で
歴史上の人物を取り上げる投稿を
してみました。

◆賛否両論徳川慶喜
◆賛否両論ヴィクトリア女王
◆賛否両論伊藤博文
◆賛否両論ビスマルク
◆賛否両論犬養毅
◆賛否両論ウィルソン

(よろしければこちらからぜひ↓)

日本史で言えば幕末~戦前のあたり、
世界史で言えば大英帝国~一次戦後
のあたりで活躍した、
象徴的な人を取り上げてみました。

言うまでもないこと

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賛否両論ウィルソン

賛否両論ウィルソン

ウィルソンと言えば、第一次世界大戦後に国際連盟を提唱したアメリカ合衆国の大統領として知られている。国連の生みの親、素晴らしい政治家!…とも言い切れない、賛否両論がある、というのが、本記事の趣旨である。

1856年の生まれ。牧師の家に生まれた彼には、文字の読み書きが苦手、という学習障害があった。9歳まで文字が読めず、11歳まで文章を書くことができなかった。しかし、速記を独学で覚え、政治学を修めた。

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賛否両論犬養毅

犬養毅(いぬかいつよし)。1932年の「五・一五事件」によって暗殺された総理大臣。

「話せばわかる」「問答無用」。

議会政治の申し子のような彼が、有無を言わせぬ暴力の軍隊に殺された! 以後、議会は徐々に力を失い、軍部が台頭した…。

だが、そんな一文「だけ」で彼の業績を片づけるのは、いささか乱暴ではないだろうか? そもそも、犬養毅は、議会でどのように活躍してきたのか、知っているだろうか? 死ん

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賛否両論ビスマルク

賛否両論ビスマルク

19世紀、大英帝国は「世界の工場」とも呼ばれ、全世界に影響力を持っていた。フランス革命を成し遂げたフランスも、ナポレオン三世の下で勢力を広げていた。

幕末~明治維新の頃の日本も、この2つの国の干渉を受けている。薩摩藩とイギリスは「薩英戦争」で戦い、後に交流を深めた。徳川慶喜たち幕府側は、フランスの援助を受けて幕政を改革しようとした。

日本はこの時、まさに生まれ変わろうとしていた。事実、明治維新

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賛否両論伊藤博文

賛否両論伊藤博文

伊藤博文(いとうひろぶみ)は、日本の初代内閣総理大臣。

日本の近代化を進めた政治家と言えば、真っ先に彼の名前が挙がっても良いだろう。ところが、彼もまた賛否両論にさらされて、「掛け値なしの英雄」とみなされることは、少ない。

「否」のほうから先に言えば、やはり1910年の「韓国併合」までの流れの、象徴的な人物というイメージが根強く影響している。1905年に、彼は韓国統監府という組織の初代統監に就任

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賛否両論ヴィクトリア女王

賛否両論ヴィクトリア女王

イギリスのヴィクトリア女王についてのお話。

彼女については、そこまで日本では知られていないのではないか。歴史の授業で名前だけ知っていて、どんな人だったのか知らない人も多いだろう。

イギリスは、伝統的に女王が有名である。

例えばエリザベス1世(在位1558年~1603年)は、日本で言うと戦国時代から関ケ原の戦いの頃に活躍した女王だが、当時最強と言われたスペインを海戦で破るなどして名声を高めた。

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賛否両論徳川慶喜

賛否両論徳川慶喜

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は「期待され続けてきた」人物だった。1837年に生まれた。水戸藩主、徳川斉昭の子として。子どもの頃から、父親に特に目をかけられて、将軍候補として育てられたというから、よほどの才能があったのだろう。

この当時の日本は、まさに内憂外患であった。

幕府の役人であった大塩平八郎の乱(1837年)は起きるわ、アヘン戦争で中国が負けるわ(1840~1842年)、挙句の果てにはペ

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英断家康

英断家康

優れた決断が、英雄には必要だ。
その意味では徳川家康は、決断力があった。
しかしその決断は「血断」と言えるほど
凄まじいものも、多かった。

3歳頃、母と生き別れた。
6歳頃、人質生活の開始。
8歳頃、父と死に別れた。
これだけでも精神的にきつい。
いつ死ぬかわからぬストレスフルな毎日。
しかし家康は、決断した。
運命を受け入れ、前向きに生きることを。

今川家の一武将、松平元康として
先鋒を任さ

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常に味方を多く

常に味方を多く

秀吉ほど人集めに長けた人は、いない。
「味方が多い」ことの利点を
存分に知っていた、と思う。

明智光秀を倒す際には、
スピード勝負で走って戻って
光秀が仲間を集めきる前に
数で圧倒して、勝った。

柴田勝家を倒す際には、
北国の冬で相手が動けない間に
存分に仲間を集めて
数で圧倒して、勝った。

徳川家康と戦った際には
現場では奇襲に負けてしまったが
家康の味方といつのまにか講和、
数で圧倒して

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必要最小限

必要最小限

意外に思われるかもしれないが
織田信長は無駄な戦いを好まない。
必要な戦いだけ、行った。

「桶狭間の戦い」のあと、
東に向かって今川家を滅亡
させようとすればできたはず。
でも、しなかった。
上京することを優先していたから。

武田信玄とはひたすら
恭順の姿勢をとり、戦わなかった。
すぐには勝てないことが
わかっていたから。

宿敵である本願寺とは
城を明け渡させて講和している。
全滅させようと

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三国志演義からのリーダー対比論

三国志演義からのリーダー対比論

「三国志」というお話には
三人の象徴的なリーダーが登場しています。
※正史の三国志ではなく「三国志演義」を
イメージして書いています。

①魏(ぎ)→曹操
②呉(ご)→孫権
③蜀(しょく)→劉備

本記事では、
この3人(のイメージ)を対比させることで
リーダーの在り方を考えてみましょう。

(三浦 孝偉 さんの
『変わりつつある「理想のリーダー像」の話』
という記事に触発されて書きました。
コメ

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デイリー思想戦

デイリー思想戦

価値観と価値観のぶつかり合い!

時代の変わり目には「思想戦」とも
言うべき合戦が行われるものだ。
ある一方の考えが、他の一方の考えを
「悪」とレッテルを貼り、
「我こそが正義である」と
正当化して、体制化していく。

例えば日本史から例を探せば、
『島原・天草一揆』などはそうだろう。

戦国時代~安土桃山時代~江戸時代という
時代の変わり目。
乱世から安定の時代へ。

1549年以降に日本に入っ

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