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ヤドカリ放浪記2024〜岐阜編〜

7月5日
5:21
道の駅塩津街道あぢかまの里

起床
やっぱり煩くて熟睡出来なかった
トラック駐車場から離れて停めてたのにすぐ隣にトラックが停まりやがってた
でもまぁ〜充分に睡眠は取れた
昨日、飛ばしたお陰で今日は観光にも時間が使えそうだ
よし行くか〜
ずっと敬遠していた彼処へ∑m(`・ω・´ )
…とその前に歯を磨きながら道の駅の敷地内を散策
5:31
丸子船の館

江戸時代には北国諸藩から京都-大坂に向け、湖上の物資運搬を支えた琵琶湖特有の木造船丸子船である
江戸時代には西浅井地域の大浦・菅油・塩津浜の三つの港に積載量が米俵約二二五俵以上の大きな丸子船が八九隻あったとの事
駐車枠があった
今度から此処でいいや
さて出発しますか
6:31
岐阜県突入

伊吹山を眺めつつ、本日メインの県に突入
交通量も増えてきた
早目に出発して正解だな
6:37
ローソン関ケ原町店

歯磨きの影響でウン気づいたのでちょいと寄り道
トイレに飛込む
スッキリした所で少し立ち読み
週刊少年チャンピオンにて聖闘士星矢が最終回を迎えたので立ち読みする
7:00
道の駅池田温泉

こんな道の駅あったっけか?
温泉名が付いていたので急遽立寄る
なんか屋台村みたいな道の駅だ

色んな店舗が軒を連ねている
無論こんな時間から開いてはないけど…
そんな道の駅の隅っこに〜
7:05
池田温泉足湯

十時からだけど、お湯は張られている
そしてシートも張られている
シートをめくって足を浸けてみた
ぬるめだけどぬめり最高♪
此処に泊まれば良かったw
7:58
恵時尊なんじゅ

今日の目的地のルートで開いていたカフェ
六時から開いていたらしい
でメニューを見ると流石は岐阜と云ったところか
ドリンクを注文したらモーニングは無料である
だが俺は+150円だして、リッチモーニングを注文
するとパンがドンと一斤

パンを裂くと湯気が立つ
旨いじゃないか♪
ちなみに月曜から夜ふかしで紹介された店らしい
知らんかった〜
8:45
鏡岩緑地

長良川沿いにある無料駐車場
もう結構な車が停まっている
何はともあれ一度訪れたかったあの場所へ
その前に〜
8:50
岐阜護国神社

日本の平和と美しい山河や家族を護る為に戦争で亡くなった岐阜市・中濃・東濃出身の約三万八千人を神様として祀る神社
本殿前迄は行かず、二の鳥居前から参拝する
なるべく寺社仏閣に行かない様にしてるのだ(´・ω・`)
8:56
岐阜公園

金華山の麓にある都市公園
戦国時代の岐阜城主であった斎藤道三や織田信長の居館があったとされる場所を整備して市民及び観光客に開放しているスポットである
見所の多い公園でこんな早い時間にも関わらず観光客が多い
8:57
滝庭園

昔、池の後ろの山に伊奈波神社があり、この池で手を洗って参拝した事から御手洗池と呼ばれる池が広がる庭園
滝が流れる音がすると思ったら滝あった
だから滝庭園なのか

此処の名称は後で知ったから納得する
ちなみに関ヶ原の戦で岐阜城が落城するおりに、多くの奥女中が断崖から御手洗池に身を投じたらしい
以来、御手洗池には幽霊が出るとか、釣針に髪の毛が引っかかってくるという噂があとを断たなかったという…
滝行で池に入らなくて良かったとつくづく思いました(´・ω・`)
9:01
瞑想の小径

金華山頂上に続くルートの一つ
体調が万全なら登るつもりだったが、流石に今の俺は自信がない
なので入口の数㍍だけ歩いて岐阜公園の正面口へ抜ける
9:04
信長公の庭

1567年9月、織田信長は岐阜に居城
同年十一月、信長は天下布武 印を使い始める
それ以降、信長は天下という言葉を多用する様になり、時代は信長、そして天下を巡って戦乱から統一へと大きく動き出した
信長が安土へ移るまでの九年間、日本の歴史は岐阜を中心に展開したといって天下布武の印判と信長の場名は岐阜市歷史博物館所蔵の信長文書を素材にしています
なんか庭には関係ない説明書きがあった
多分だけどそんな天下布武の印が地面に書いてるから信長の庭って呼んでるだけかもね
9:07
岐阜城の井戸

この辺り一帯は戦国時代に斎藤道三や織田信長が山頂の城と共に山麓に建設したとみられる居館区域に当たる場所で、この井戸は平成十一年の発掘調査で見付かったものを復元したもの
発掘した際は石積みの基礎に松の角材四本が井桁に組み合わされて数かれ、非戸底にサワラとヒノキで作られた桶が埋っており、当時はこの桶に水が溜められていた事が伺われる
9:08
山内一豊と千代婚礼の地

山内一豊は信長の指揮下で16世紀後半の大部分の戦いに参加した武将
彼の妻、千代は郡上八幡城主の娘
千代は一豊に "私だけを愛すれば、私はあなたが城主になる夢を実現してみせます"と誓う
二人が結婚した時、千代は親から貰った持参金小判十両の事を夫の一豊には告げず秘密にしていた
ある日、地元で馬市が開かれ一豊は素晴らしい馬を見たが高価すぎて誰もがその馬を買う事ができなかった
千代は夫を信長の他の武将たちと引き離す絶好の機会と考え、秘密にしていたお金でその馬を買った
その新しい馬に乗った一豊は信長に注目され、 「織田の武将の中でこの馬を買う者がいないのは織田家の恥になる
お前がこの馬を買ってくれてよかった」と高評価
此をきっかけに一豊はどんどん出世
近江国浅井郡唐国城主となり、それから長浜城・掛川城の城主となった
彼は後に徳川家康へ忠誠を誓い、1600年に岐阜城への攻撃と関ヶ原の戦いでの功績で一豊は四国の高知一国を与えられその城主となった
そんなパワースポット
9:09

婚礼の地碑の直ぐ後ろにある池
特に名称はない様だ
なんかちっちゃな滝が流れていた
9:10
ぎふ金華山ロープウェイ乗場

岐阜公園と金華山山頂を約三分で結ぶロープウェイ乗場
往復1300円、片道800円
此処はケチって片道切符を購入
すると十五分おきに出発するとの事で乗車を急がされる
で売店や展示物を見る暇もなく乗場へ
少し待たされる…
売店見れたんじゃね?
でゴンドラに乗ると案内スタッフが乗ってくる
淡々とマニュアルを話す女性スタッフ

もう少し笑いでも取れるアナウンス出来ないかな〜と思いつつ景色を楽しむ
そんなこんなで到着
9:19
山頂駅

降りると直ぐにリス村がある
まだ開いていないが有料施設だ
往復券を購入した者には割引があるらしい

9:23
大金龍大神神社

次に現れたスポット
小さな社が祀られている
説明はなく、縁結びの神と書かれた旗が立ってるのみ
俺には関係ないご利益だな
でもとりあえずお参りしておく
後で知るが此処ってかなりのパワースポットだったらしい
9:25
金華山展望台

展望台があるからってルートを外れて登ってみた
うん…なかなかの景色だけど、金華山の頂上に岐阜城あるのに此処必要ですか?
絶対に岐阜城天守閣からの方が高所で良いに決まってるじゃん
まぁ〜天守閣に入らない人は此処からの景色を楽しめるから有りなのか(´・ω・`)
何はともあれ四方の景色を撮って降りる
ちなみに展望台の下には軽食店

まだ開いていないが…
そしてルートに戻って〜
9:28
一ノ門

東の城郭の上部に続く道に沿って設けられた多くの大きな防御門最初の一つ
道の右側に障壁を形成していた大きな岩は高台の番所の基礎であると考えられる
城壁の大部分は崩壊しまが城壁が立っている間、訪問者は城の建設に使用された大きな岩に感銘を受けたでしょう
機械のない時代にこのような土塁を造る事ができたのは莫大な富と権力を持った領主だけでした
現地案内板の日本語説明と英語説明
内容が全然違う
英語説明の方が詳しく書かれている
9:30
馬場跡

一ノ門から続くこの通路で1650年から1750年の間に作られた岐阜城の地図によるとこの長く平らな地域は馬を繋いだり囲い込んだりする場所として使用されていたと考えられる
1717年にこの城を訪れた尾張藩の関係者によると重臣や賓客はここで下馬して馬を置き、城の上部へ歩いていったという
岐阜城歴代城主表が掲示されている
9:32
堀切

尾根の通路を遮断する様にV字型の切れ込みに掘られた堀
中世山城に多くみられる人工の砦である
この様な塹壕は城に続く道を横切って掘られ、侵入者を防ぐ為に崩壊するのに簡単な木製の橋が架けられていた
戦時には橋を落として防御したと考えられる
江戸時代には切通と呼ばれていた
9:34
刀利天狗

木下藤吉郎が蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か七名を従えて、岩戸口から稲葉山城の潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている場所
この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという
以来、千成瓢箪発祥の地とされており、勝鬨をあげたのが天狗岩といわれる場所で現在は刀利天狗の祠が建っている
9:35
二ノ門

岐阜城の上流を守る一連の大きな二つ目の防御門
この門はもともと山から数㍍下った階段の下に位置しており、元の石垣の一部が見られる
ここを潜ると二の丸に入る
9:36
下台所

二の門の内側に設けられた施設
信長の家臣達が暮らし、食事をしていた場所である
現在はその面影などなく、堂宇や塚が建っている

まだ此処から岐阜城天守閣が一望できる
その景色はなかなかのもんである
9:37
閻魔堂

1358年5月、土岐頼康が四代目守護職として岐阜県土岐郡から穀倉地帯の美濃へ進出し、岐阜市下川手に革手城を築いた際に鬼門・悪病よけと美濃の繁栄を祈願し、閻魔堂を建立し安置したと伝わる木造閻魔王坐像
この座像は岐阜城が落城するまでは川手村の閻魔堂に安置されていたが、その後は僧職の家で保管
1975年9月に岐阜市に寄贈
翌年に岐阜市の鬼門除けとして金華山頂岐阜城二の丸跡に室町時代初期の建築様式に合わせて建設された閻魔堂に安置された
市指定重要文化財である
9:38
岐阜城題目塚

金華山は戦国時代より多数の戦没者を出しており、その霊を慰める為、名もなき法華経の信者により建立された
いわゆる供養塔である
これも二の丸に建っている
9:41
太鼓櫓跡

上台所らしい
旧稲葉山測候所が建っている
そこから逸れて降りると〜
9:42
井戸跡

山頂に井戸を掘るのは難しく、また下から水を運ぶのは非効率的なので岩をくり抜いて貯水槽が作られた
そこに雨水を集めて貯めて、城が攻撃を受けた場合、飲料水として利用
これらの追加の貯蔵庫により内部の守備隊は長期にわたる包囲を生き延びる事ができた
なるほどそう云う井戸なのか…
湧いていない水には興味はない
9:45
山頂部の石垣

戦国時代に造られた石垣や城主の権威を誇示する巨石列の巨石が現存
天守閣周辺の石垣は算木積みを彷彿させる積み方
信長期より更に後に積まれた可能性があるとの事
9:46
お城時計

大名時計・和時計とも云う盤面に十二支が刻まれている十二支時計
西洋の機械時計が日本に入ったのはフランシスコザビエルが周防国の大内氏に献上したのが最初であり、当時は壁掛け式で操作も複雑であった
この為、日本の時計師は工夫と改良を重ね、日本独自の十二支を目盛りとする櫓時計を作りあげ、その精密さは世界一であった
1872年11月、太陰暦が太陽暦に改められ、和時計は製作されなくなったとの事
9:47
天守閣

1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長公の孫・秀信が西軍に味方した為、東軍に攻め入られ、激戦の末に落城
その後、天守閣・櫓等は加納城に移されたと伝わる
現在の天守閣は1956年に復興
鉄筋コンクリート造り三層四階構造で岐阜市のシンボルとなっている
そんな天守に入ってみる
9:48
一階

鎌倉時代の1201年、幕府の執事二階堂山城守行政が軍事目的の為にここに初めて砦を築いたと伝えられているが稲葉山城として 日本史に大きく登場してくるのは斎藤道三以後の事である
斎藤道三は1539年に稲葉山城を修築して入城
続いて子の義龍、孫の龍興が城主となりました
1567年、織田信長は斎藤龍興と戦って稲葉山城を落し、新城主として入城しました
信長は稲葉山城を岐阜城と改め、楽市場を保護し、天下布武の朱印を用いるなど天下統一の本拠地となる
一階では岐阜と信長公その治世、岐阜命名の由来、信長公の先進的な政策等の展示
黄金の信長像のレプリカも展示されている
また一階では百名城のスタンプが捺せる

9:54
二階

1569年に宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れ、その壮麗さに驚いた事を書簡に記して本国ポルトガルへ送り、西洋にまで岐阜城の事が知られる様になりました
その後、織田信忠・神戸信孝・池田元助・池田輝政・豊臣秀勝が岐阜城主となりましたが1600年、岐阜城主織田秀信は西軍の豊臣方に味方して東軍の徳川方と戦い、福島正則・ 池田輝政に攻められて開城
二階では信長の居城の変遷・岐阜城の再現CG映像も楽しめる
9:58
三階

1910年、木造の模擬城が建てられたが1943年に焼失
その後、観光岐阜のシンボルとして、また安土桃山時代の華麗な城郭を再現したいという岐阜市民の熱意と浄財により1956年に現在の天守閣を再建されたのは先述通り
更に1997年に大改修工事を行い、織田信長 の頃の壮麗な天守閣の姿を再現した
甲冑・六曲屏風等が撮影禁止の展示物
ロープウェイの往復券を拾う

俺は片道切符しか購入してないから勿論俺のではない
コレをパクれば俺は楽して降りれるが…
とりあえず預かる
10:01
四階

岐阜城天守閣最上階
天井画が素晴らしい
四方からの景色を楽しんで降りる
一階まで降りると拾った往復券を受付に預けて、これにて天守閣見学終了
直ぐに往復券紛失のお知らせのアナウンスが流れた
10:07
岐阜城資料館

岐阜城天守閣から東の一段下がった位置に郭があり、米や塩・味噌を蓄えておく蔵と弓矢を備えた倉が建っていたと考えられている
1975年、瓦葺き・白壁造り・二階建の隅櫓形式に復元した資料館を建設
中ではNHK大河ドラマ麒麟がくるで使われた衣装や小道具が展示されている

ただそれだけ(´・ω・`)
10:11
金華山御嶽神社

明治以前の岐阜公園内に有った丸山神社境内の御嶽神社が1917年に金華山の山頂に移築されたもの
御祭神には御嶽大神と呼ばれる国常立命・大己貴命・少彦名命を祀っている
この脇には〜
10:12
水手道

岐阜城の正面の登城路であった七曲登山道に対し、裏側にあたる登城路である
関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いで東軍についた池田輝政は、この道から攻め込んだとの伝承があります
本来は長良川沿いから登っていましたが、現在の丸山から登るルートに大正期の改変により付け替えられました
これこそが本来なら登城で利用しようと思っていた瞑想の小径である
さぁ〜下ろう
10:17
裏門

一mを超える巨大な石が転がっているのは裏門を構成する巨石列の名残り
巨石列は巨大な板状の石を立て並べたもので信長によって改修された岐阜城の大きな特徴である
門付近の通路脇など限られた場所に造っており、山麓居館の通路や山上部一の門近くで見る事が出来る
城の玄関ともいえる表門だけでなく、搦手門にも巨石列を造り、権威を誇示していた
非常に大きな石を使った巨石列の他に、この付近には小振りな石を積んだ石垣も残っており、斎藤時代の稲葉山城の痕跡と考えられる
ふ〜ん…(´・ω・`)
10:18
ビューポイント

ワザワザ看板が立っていたので見てみた
近くに鷺山・百々ヶ峯
遠くには伊吹山・養老山脈がみえます
との事
へぇ〜どれがその山々なのかの説明はないのね
そして此処から下る下る

途中、登城者とスレ違うもかなりキツそう
登りはロープウェイにして良かったと心から思った(^ω^;
10:32
水場

ちょうど中間点辺りで湧水していた
そこから少し下ると丁度よい水溜りが出来ていた
なので水浴び

少し体力回復しました♪
それにしてもキツい
ロープウェイの往復券をパクっておけばよかったと心から後悔するw
10:49
丸山

伊奈波神社旧蹟
中世以前、稲葉山(金華山)は伊奈波神社の 社地であり、斎藤道三による稲葉山城の築城により現在の場所へ遷されたと伝わる
特にこの丸山は重要な場所で江戸時代には伊奈波神社の摂社・丸山神社として復活し、昭和初期頃まで社殿も存在していた
現在も象徴的な烏帽子岩が残り、毎年例祭が行われている
丁度、馬の背登山道との分かれ道のポイント
休憩しているおば様達が邪魔でした…
10:56
三重塔

木々の緑の中に朱色が一際鮮やかに映え、岐阜公園のランドマークとして市民に親しまれるこの塔は大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として企画され、1917年に岐阜市が建立
塔の考案は日本建築史学の創始者と言われ、明治神宮や築地本願寺等を設計し、建築界で初めて文化勲章を受章した伊東忠太氏
2005年に国の登録有形文化財に登録
そんな特に有り難みのない塔
10:58
第六庭園

千畳敷と呼ばれていた遺跡で2015年の調査で新たに発見された庭園
巨石列と石道で区画した池があり、その中央には巨石を埋め込んだ景石が配置されている
池底は川原石や赤いチャート、貴重な緑泥片岩を敷いて鮮やかに化粧されていた
水は巨石列の上部から池へと注がれ、溢れ出た水は水路を通って一段下の石垣前で地下に浸透させていた様だ
メタバースで当時の風景が楽しめるらしい
11:01
庭園跡と金箔飾り
居館には庭園がいくつも造られていた
巨石列と石垣で区画された池もその一つ
発掘調査では景石の他、池底を飾った色鮮やかな石、多くの金箔瓦が確認された
瓦の出土状況から庭園の上部に金箔瓦を葺いた建物があったと推測
フロイスは「二階には奥方の部屋」があったと記している事から金箔瓦はその屋根を飾っていたと考えられる
11:03
山麓城主居跡

多くの庭園跡や金箔飾り瓦の使用がみられる事が大きな特徴である居館跡
中央を流れる槻谷の谷川とその左右に段々に配置された平坦地から成っ居館跡
各平坦地は石垣や巨石列・巨石の石組みで区画されている
一番下の平地から最奥部までの標高差は三十m近くあり、谷状地形や周囲の岩盤を巧みに利用して見せる事を意識した立体的な空間を作り出している事が明らかになった
へぇ〜
11:14
日中友好庭園

岐阜公園の施設の一部
1989年に岐阜市と中華人民共和国 杭州市の友好都市提携十周年を記念して作られた庭園である
中国情緒溢れるデザインの門や土塀・庭園・杭州市の名所である西湖を模して作られた池等がある
これにて岐阜城観光終了
もう汗だくで喉カラッカラである(^ω^;
11:27
古井の滝

水の資料館裏に流れる滝
水量は少ないものの汗を流すのにはちょうど良い
シャワー代わりに滝行する
もうスマホの充電が切れかかってたので動画はなし
後で知るのだが、此処は普段空滝らしく、雨の翌日に現れる幻の滝らしい
更にこの近くに凌雲の滝と松蔭の滝があるらしいが、車を停める所が無かったので素通りしてしまった
来年リベンジだな
12:14
極うどん たくあん

屋号に惹かれて訪れたうどん屋さん
タクアンは嫌いだけど極うどんと謳われたら素通り出来ない
店内に入ると結構な客でほぼ満席
直ぐに席に通されたのでぶっかけうどんを注文する
注文してから結構待たされ、やっと運ばれてきたのはぶっかけじゃなくて冷かけうどん

このエリアは冷かけをぶっかけと云うのなら仕方ない
早速一口食すと麺はコシがあるものの表面が柔らかく、ネチャッとした口当たり
不味くはない
でも極みって訳ではない
ちなみに九時からモーニングがやっていて、サンドセットを出しているらしい
来年は此処でモーニングもありだな
13:37
船山の冷泉

偶然、此処の存在を知ったので急遽寄り道した使われずの冷泉
沢蟹が沢山沈んでます(^ω^;
でも構わず入浴♪
硫黄の味と匂いをした17.9℃の冷鉱泉

かなり冷たいけどメッチャ気持ち良い♡
こういうのが好き♪
そんな川沿いの湯船のすぐ後ろには薬師堂が建てられている
霊泉だったんですね♫
なんか元気になれた気がします(*´ω`*)
14:05
薬師堂

そんな冷泉のすぐ裏に祀られている薬師堂
堂内に祀られているのはもちろん薬師如来像だが、薬師様の足元には何故か西郷どん

境内には石仏群が祀られ、その一画に市指定文化財の薬師堂の石幢が立っている
いわゆる六地蔵だ

説明書きは一切ない為、詳細は不明
ネットで調べても詳しい事は分からなかった
さて先を急ぎますか(´・ω・`)
15:07
大森神社の大杉

かつて大森神社の社域には数多くの大木が茂っていたが昭和三十四年九月の伊勢湾台風によってほとんどの大木が失われた
幸いこの大杉は難を逃れ、今も樹勢は旺盛である

寄るつもりはなかったけど、たまたま前を通り、その大きさに魅了してつい降りてパワーをもらう
素晴らしい杉の木でした♡
15:39
神土不動滝

県道62号からすぐの立地に流れる落差5mの直瀑
滝壺も浅くて滝行向けのなかなか良い滝だったので打たれてみた♪
やっぱり滝行ってサッパリできますね(*´ω`*)
15:51
つちのこ館

滝行後、県道を北上してると目に止まった施設
あのつちのこいます!と大々的に嘘をついている看板が目に留まる

施設にものすごく興味を持って降りたら、東白川村って全国的にも有名なつちのこの里だったんだね
ニュースやらメディアで何度か見たのが此処だったのか

一階は売店になっていて、二階がつちのこ資料館みたいだ
有料なので入らなかった
で一階の売店を物色する

それにしてもツチノコ目撃例って多いのね
つい夢中で目撃ノートを立ち読みしちゃった
で喉乾いてたのでトマトジュースを購入する

うん、濃厚なトマトジュース
エネルギーチャージできた感じです(≧ω≦)♪
16:05
白川

つちのこ館の裏に流れる綺麗な川
それに向かって設置されたブランコ
なんとなく漕ぎたくなったので久し振りにブランコに乗った

スリルはイマイチだったけどまあまあ楽しかった♪
16:19
つちのこ公園

つちのこ尽くしの東白川村
どんな公園だろうと訪れてみたらキャンブ場だった
やっぱりつちのこの手配書も設置されていた
いわゆる懸賞金て奴だ

それにしてもつちのこの絵が神格化していてなんとも言えない
なんか本当に居るんじゃないかって気がしてきたわ
16:21
槌の子神社

つちのこ公園のすぐ近くに祀られている小さな神社
一体なんの御利益があるんだろう

面白いな〜東白川村(*´ω`*)♪
16:30
乙女の滝

三本に分かれている白川の支流に懸かる落差3mの滝
スルーするつもりだったけど道路から見えてアクセスが簡単だったので寄ってみた

うん…な滝だね…
16:39
曲坂不動滝

東白川村に三つある不動滝の一つ
落差5mの直瀑
もう一つはつちのこ公園の先にあったみたいだけど、時間の都合上カットした
16:43
道の駅茶の里東白川

たまたま通りかかった道の駅
あれ…俺…此処に来た事あるな〜
俺、東白川村に来た事あるな〜
何で前回、槌の子巡りしなかったんだろw
17:28
長野県突入

本当は付知峡や苗木城に行く予定にしてたけど、思いの外に時間を喰ってしまって割愛
でいつもの木曽街道R19を使って信州入り
最終目的地の県に突入
でも此処からがまだ長いんだよな〜(^ω^;
19:01
デリシア伊那インター店

今宵の寝床も近いので晩飯買いに立ち寄る
サラダとトロロ蕎麦、そして缶酎ハイ購入する
買物終えて外に出ると空にカラスの大群が飛んでいた

カラスってこんなに群れる鳥だったんだ
19:33
道の駅大芝高原

今宵の寝床と思っていた公園よりかなり手前にあった道の駅
この長野に来れなかった三年の間に新しい道の駅が出来ていたのだ
施設的には以前からあったと思うからこの三年の間に道の駅に登録したんだろうね
何は疲れました
サラダと蕎麦で晩飯です

目的地に着いたのでアルコールも解禁で晩酌です
嗚呼やっと帰って来れたんだな(*´ω`*)

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