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飛騨高山に春を呼ぶ「春の高山祭」(1/2)
2024年4月16日
飛騨高山に春の訪れを告げる「春の高山祭」が、4月14日・15日に催行されました。
高山市内の南側半分が氏子になる「日枝神社」の例大祭で「山王祭」と呼ばれます。
見どころは、ユネスコ無形文化遺産に登録されている屋台行事で、12台の屋台の内1台が修理中で、今年は11台のお披露目です。
「口上」といわれる本部からの指示書を、割竹に挟んで各屋台組へ向かいます。
以前はお囃子
飛騨高山にも春の訪れ 春の妖精フクジュソウが開花
2024年 3月31日
春の訪れが遅い飛騨高山にもやっと春が訪れました。
高山市周辺の群生地では、フクジュソウをはじめとした早春の花々が咲き始めました。
比呂池は、高山市朝日町と丹生川町の群生地へ行ってきました。
「スプリング·エフェメラル」「春の妖精」とも言われ···
春先に花をつけた後は、翌春まで地下で過ごす植物の総称です。
フクジュソウを撮影し車に戻ったところ、周囲には「オオイヌ
「白川郷 荻町」 日本の原風景、重伝建&世界遺産
比呂池が撮影した重伝建シリーズ12
シリーズ12は、世界中から多くの人々が訪れ、日本の原風景とも言われ、重伝建と共に世界文化遺産にも登録された「白川郷 荻町」です。
昭和10年(1935年) ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来村し、切妻合掌造り家屋を「スイスに似た自然環境、建築学上合理的でありかつ論理的である。」と絶賛し、世界に紹介しました。
昭和20年代後半~30年代 庄川流域の電源開発を
「冬の大放物線」 平湯大滝結氷まつり打上花火
岐阜県 高山市 奥飛騨温泉郷では、この冬も「奥飛騨冬物語」と題していくつかのイベントが行われました。
比呂池は、そのひとつ「平湯大滝結氷まつり」の打上花火の撮影に数回行ってきました。
平湯大滝結氷まつり(2024年2月15日~25日)
平湯大滝は、乗鞍岳(標高3026m)の北側に位置し、高さ64m・幅6m、飛騨3大瀑布・日本の滝100選に選ばれ、厳冬期には巨大な氷柱となり、イベント期間中はラ
「小浜西組」 京の食文化を支えた鯖街道起点の町
比呂池が撮影した重伝建シリーズ10
「小浜」は古から若狭の中心地で、海外や日本海沿岸の各地とつながる「海の道」の湊町として、そして、都へ塩や海産物を運ぶ「陸の道(鯖街道)」の基点として栄えました。
日本海を手前に日本地図を見ると、小浜が日本の中心であることがわかります。上陸すれば京都はすぐ近くです。
江戸時代になると小浜城が築城、城下町が整備され、東・中・西の3組に分けられました。
現在の
飛騨高山 「荒れる!」 二十四日市
飛騨高山の冬の風物詩、毎年1月24日に開催される「二十四日市」です。
撮影はカラーですが、モノクロ変換してみました。
昔は旧暦12月24日に行われる歳の市でした。
市街地中心の本町商店街と安川商店街で行われ、民芸品・日用品・地元グルメ等のお店が並びます。
毎年二十四日市の当日は、天候が荒れると言われますが、今回は雪が強く降る時もありましたが、飛騨高山としてはこの時期らしい天候になりました。
「美濃市 美濃町」 卯建の上る町並み
比呂池が撮影した重伝建シリーズ8
美濃町は、「上有知」(こうずち)と言われ、平安~鎌倉時代に上有知氏と名乗る武士がいたことに由来します。
1911年(明治44年)古来から美濃紙の生産地であったことから「美濃町」と改名され、
1912年(明治45年)岐阜~美濃町間の電車が開通し輸送量が増え製紙業は活況を呈し、
1923年(大正12年)越美南線が開通し最盛期を迎えました。
現在の美濃町の町割りは
信州北國街道「海野宿」 宿場から養蚕への変遷で魅力を増した古い町並
比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑥
長野県東御市 海野宿は、1625年(寛永2年)中山道と北陸道を結ぶ北國街道の宿場町として開設されました。
北國街道は、佐渡の金銀を江戸へ輸送、北陸諸大名の参勤交代、善光寺への参拝の道として賑わいました。
明治時代になると宿場は衰退し、生糸の生産が盛んになりました。
立派だった旅籠の建物を生かして養蚕をし、2階屋根の上に温度調整をする小屋根(気抜き)を造ったので
「近江八幡市 八幡」 和船が行き交う八幡堀と近江商人の町並み
比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑤
近江八幡は琵琶湖の東岸、1585年(天正13年)豊臣秀次公によって八幡山下町が開町されたときに始まります。城下町をつくり商工業を保護したため人々が集まりました。
八幡山城が廃城となった後も、人々は商業を通して全国に活躍の場を広げ、近江商人の本拠地として、今日につながっています。
町並みは、明治22年開業した八幡駅(現:JR西日本近江八幡駅)から北西に2km程