比呂池

比呂池写真事務所 フォトグラファー:池戸 比呂志  ニックネーム:比呂池  〒506-…

比呂池

比呂池写真事務所 フォトグラファー:池戸 比呂志  ニックネーム:比呂池  〒506-0854 岐阜県 高山市 若達町1-61  商品・グルメ・住宅・建築・文化財・イベント・グルメ・スタジオ撮影・出張撮影・飛騨高山や白川郷のストックフォト 気象予報士

最近の記事

飛騨高山に春を呼ぶ「春の高山祭」(2/2)

2024年4月18日 1/2は下記からご覧ください。 夜祭スタートを陣屋前広場で撮影した比呂池は、コース終盤の上二之町にダッシュで移動しました。 近年夜祭では、屋台は車道を進み、観客は歩道や白線の外側へと、警察や警備員により、しっかり規制されるので、屋台が通る1時間位前に車道脇で待機すれば最前列を確保できます。 屋台後方の垂れ幕を「見送り幕」と言います。 ストロボを使っての屋台撮影方法は下記のブログをご覧ください。 古い記事ですが今でも同じです。 2020/1/24

    • 飛騨高山に春を呼ぶ「春の高山祭」(1/2)

      2024年4月16日 飛騨高山に春の訪れを告げる「春の高山祭」が、4月14日・15日に催行されました。 高山市内の南側半分が氏子になる「日枝神社」の例大祭で「山王祭」と呼ばれます。 見どころは、ユネスコ無形文化遺産に登録されている屋台行事で、12台の屋台の内1台が修理中で、今年は11台のお披露目です。 「口上」といわれる本部からの指示書を、割竹に挟んで各屋台組へ向かいます。 以前はお囃子をスピーカーで再生していた時代もありましたが、最近は伝統を守ろうと生のお囃子が演

      • 飛騨高山にも春の訪れ 春の妖精フクジュソウが開花

        2024年 3月31日 春の訪れが遅い飛騨高山にもやっと春が訪れました。 高山市周辺の群生地では、フクジュソウをはじめとした早春の花々が咲き始めました。 比呂池は、高山市朝日町と丹生川町の群生地へ行ってきました。 「スプリング·エフェメラル」「春の妖精」とも言われ··· 春先に花をつけた後は、翌春まで地下で過ごす植物の総称です。 フクジュソウを撮影し車に戻ったところ、周囲には「オオイヌノフグリ」が・・・ 左白:タネツケバナ  右青:オオイヌノフグリ 小さな植物

        • 飛騨高山にも春の訪れ 飛騨天満宮の梅が開花

          2024年3月19日 高山市天満町「飛騨天満宮」のウメが開花し始めました。 春の訪れがゆっくりな飛騨高山では、ウメ・サクラ・モモが一斉に咲きますが、飛騨天満宮のウメは高山市内で早く咲くウメのひとつです。 1本の枝にわずか1輪か2輪ですが、春はゆっくりでも着実に訪れています。 しかし、このまま一気に春爛漫とはいかず、明日以降の週間天気予報では雪マークが並んでいます。 開花したウメに雪が積もった写真が撮影できそうです。

        飛騨高山に春を呼ぶ「春の高山祭」(2/2)

          今シーズン最初の桜撮影 「三菱ケミカル富山事業所の河津桜」

          2024年3月16日 昨日3月15日は、富山市でイチバン開花が早いと言われる「三菱ケミカル富山事業所の河津桜」を撮影しに行ってきました。 三菱ケミカル富山事業所様は岩瀬浜の近くで、桜が開花する時期は、ご好意で一般の方が見れるよう敷地への立ち入りがOKとなります。 桜のすぐ横の駐車場が車でいっぱいだったので、ものすごい見物人?かと思ったら、従業員の皆さんの車でした。今朝は比呂池が1番だったようです。 河津桜は駐車場の横に10本くらい並んでおり、両端の2本が4分くらいの開花

          今シーズン最初の桜撮影 「三菱ケミカル富山事業所の河津桜」

          「白川郷 荻町」 日本の原風景、重伝建&世界遺産

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ12 シリーズ12は、世界中から多くの人々が訪れ、日本の原風景とも言われ、重伝建と共に世界文化遺産にも登録された「白川郷 荻町」です。 昭和10年(1935年) ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来村し、切妻合掌造り家屋を「スイスに似た自然環境、建築学上合理的でありかつ論理的である。」と絶賛し、世界に紹介しました。 昭和20年代後半~30年代 庄川流域の電源開発を目的に、村内にいくつかのダムや発電所が建設され固定資産税は増え村財政は豊かになり

          「白川郷 荻町」 日本の原風景、重伝建&世界遺産

          「冬の大放物線」  平湯大滝結氷まつり打上花火

          岐阜県 高山市 奥飛騨温泉郷では、この冬も「奥飛騨冬物語」と題していくつかのイベントが行われました。 比呂池は、そのひとつ「平湯大滝結氷まつり」の打上花火の撮影に数回行ってきました。 平湯大滝結氷まつり(2024年2月15日~25日) 平湯大滝は、乗鞍岳(標高3026m)の北側に位置し、高さ64m・幅6m、飛騨3大瀑布・日本の滝100選に選ばれ、厳冬期には巨大な氷柱となり、イベント期間中はライトアップされます。 画像は過去撮影の結氷した平湯大滝です。 厳しい寒さが続く

          「冬の大放物線」  平湯大滝結氷まつり打上花火

          「宿根木」 日本海航路の廻船基地として繁栄した佐渡島の港町

          比呂池の撮影した重伝建シリーズ11 「宿根木」(しゅくねぎ)は、新潟県 佐渡島 南西部の港町です。 集落の海側には日本海からの強い潮風を防ぐ「竹垣(風垣)」が築かれています。 江戸から明治時代にかけ、日本海航路(北前船・千石船)の廻船業の基地として、船主や船大工が集住しました。 一時期は佐渡の富の1/3を集めた言われるほど繁栄しましたが、明治中期になると、長距離輸送は鉄道網にシフトし廻船業は衰退していきました。 1ヘクタール程度の狭い低地に家屋が密集し、多くの建物が

          「宿根木」 日本海航路の廻船基地として繁栄した佐渡島の港町

          「小浜西組」  京の食文化を支えた鯖街道起点の町

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ10 「小浜」は古から若狭の中心地で、海外や日本海沿岸の各地とつながる「海の道」の湊町として、そして、都へ塩や海産物を運ぶ「陸の道(鯖街道)」の基点として栄えました。 日本海を手前に日本地図を見ると、小浜が日本の中心であることがわかります。上陸すれば京都はすぐ近くです。 江戸時代になると小浜城が築城、城下町が整備され、東・中・西の3組に分けられました。 現在の小浜西組の古い町並は、1888年(明治21年)の大火以降の建物が主体で、商家町・

          「小浜西組」  京の食文化を支えた鯖街道起点の町

          「東海道 関宿」 江戸から数えて47番目の宿場町

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ9 「関宿」は東海道五十三次の宿場のひとつで、旧東海道の宿場町の多くが往時を留めていない中で、歴史的な町並みが残されていることから、1984年(昭和59年)東海道で唯一の重伝建地区に選定されました。 町並みは東追分から西追分まで約1.8km、街道の両側に町屋が続きます。 一本道なので道に迷うことはありませんが、平坦だと思っていた道路はアップダウンがあり想像以上にハードでした。 関宿の東の入口にあたり、右側が東海道、 「一の鳥居」をくぐり左

          「東海道 関宿」 江戸から数えて47番目の宿場町

          飛騨高山 「荒れる!」 二十四日市

          飛騨高山の冬の風物詩、毎年1月24日に開催される「二十四日市」です。 撮影はカラーですが、モノクロ変換してみました。 昔は旧暦12月24日に行われる歳の市でした。 市街地中心の本町商店街と安川商店街で行われ、民芸品・日用品・地元グルメ等のお店が並びます。 毎年二十四日市の当日は、天候が荒れると言われますが、今回は雪が強く降る時もありましたが、飛騨高山としてはこの時期らしい天候になりました。

          飛騨高山 「荒れる!」 二十四日市

          「美濃市 美濃町」 卯建の上る町並み

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ8 美濃町は、「上有知」(こうずち)と言われ、平安~鎌倉時代に上有知氏と名乗る武士がいたことに由来します。 1911年(明治44年)古来から美濃紙の生産地であったことから「美濃町」と改名され、 1912年(明治45年)岐阜~美濃町間の電車が開通し輸送量が増え製紙業は活況を呈し、 1923年(大正12年)越美南線が開通し最盛期を迎えました。 現在の美濃町の町割りは、1600年(慶長5年)金森長近公が城下町を建設したことに始まります。 町並み

          「美濃市 美濃町」 卯建の上る町並み

          甲州早川「赤沢宿」 いにしえからの信仰の道 身延往還の講の宿

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑦ 全国の重伝建地区は126地区(令和5年現在)で、成り立ちにより8種類に分類されています。分類のひとつ「宿場町」は数多くありますが、「講中宿」の分類は赤沢宿が全国でも唯一です。 赤沢宿は、日蓮宗総本山の身延山から、霊山の七面山を結ぶ参道(身延往還)途中の講中宿として中世から栄えました。 江戸時代初期、家康の側室お万の方が七面山を登詣したことにより女人禁制が解かれ、また、山岳信仰の「講」が盛んとなり参詣者は増えました。 明治初期には、参詣

          甲州早川「赤沢宿」 いにしえからの信仰の道 身延往還の講の宿

          信州北國街道「海野宿」 宿場から養蚕への変遷で魅力を増した古い町並

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑥ 長野県東御市 海野宿は、1625年(寛永2年)中山道と北陸道を結ぶ北國街道の宿場町として開設されました。 北國街道は、佐渡の金銀を江戸へ輸送、北陸諸大名の参勤交代、善光寺への参拝の道として賑わいました。 明治時代になると宿場は衰退し、生糸の生産が盛んになりました。 立派だった旅籠の建物を生かして養蚕をし、2階屋根の上に温度調整をする小屋根(気抜き)を造ったので、更に立派な3階建の様に見えます。 1888年(明治21年)信越本線が開通しま

          信州北國街道「海野宿」 宿場から養蚕への変遷で魅力を増した古い町並

          「近江八幡市 八幡」 和船が行き交う八幡堀と近江商人の町並み

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑤ 近江八幡は琵琶湖の東岸、1585年(天正13年)豊臣秀次公によって八幡山下町が開町されたときに始まります。城下町をつくり商工業を保護したため人々が集まりました。 八幡山城が廃城となった後も、人々は商業を通して全国に活躍の場を広げ、近江商人の本拠地として、今日につながっています。 町並みは、明治22年開業した八幡駅(現:JR西日本近江八幡駅)から北西に2km程度離れていたことから近代化の影響が少なく歴史ある町並みが残りました。 また、秀

          「近江八幡市 八幡」 和船が行き交う八幡堀と近江商人の町並み

          「豊田市 足助」 伊那街道の中継要所として栄えた商家町

          比呂池が撮影した重伝建シリーズ④ 「豊田市 足助」は、尾張や三河から信州へとつながる伊那街道の中継地にあたり、物資の運搬や通行の要所として栄えた愛知県北東部の商家町です。 1775年(安永4年)の大火後に再建され、江戸時代後期以降の建物が数多く残っています。 平入と妻入の町屋が混在し、白漆喰の外壁が特徴です。 当初は紙を扱う商家でしたが、時代と共にいろいろ手がけた足助を代表する大商家です。敷地内には16棟の建物があり多くは修理途中ですが、街道沿いの主屋が部分公開されて

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