ちょうど良い疑似的な距離感 21.9.17

というわけで、先月図書館から借り、すでに返済期限が切れた本を、時々読み返す日々。

その中に、とある漫画家の育児コミックエッセイがあるのだが、子供が生まれたときから描かれていて、巻を重ねてかれこれ10年以上になる。(一年で一冊刊行)

ずっと読み続けていると、エッセイに登場する子供がまるで知り合いの子のように感情移入してしまう。
それどころか、その子の祖父が亡くなった巻では、思いのほかショックを受けてしまった。

これをなんと言うのだろう。「疑似親戚」感覚??


外国では、養子を迎えて同性婚をしたゲイカップルの話題も聞くが、日本ではそういう事例はまだ例外的と言っていいだろう。
よって、ゲイの方は、パートナーと、もしくはお一人のみで人生を過ごす人も多いと思う。

パートナーがいない僕の場合、この「欠落感」を育児ごっこ、そして物書きごっこで埋めているわけだが、他のゲイの人、特に同世代の人たちはどうしているのだろう。
こちら向けの出会い系アプリを使いこなして「ウェーイ」とかやってるのだろうか。

人の生き方はそれぞれだし、どんな人生を過ごしてもかまわないわけだが、やはりこの世に生まれてきた以上、「人並みの幸せ」――この言い方が適切かどうかはわからぬが――は手に入れたいところ。

「文章を書き続ける」と決めた時点で、それはもう手放さなければならぬものかもしれないが……。

まぁ、いちおう「こっち向け」のモデルケースというか、指針は知りたい。


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