永禄9年(1566)6月8日は筒井順慶が松永久秀の軍勢に占拠されていた大和の筒井城を奪還した日。前年11月に奪われていたが三好長慶が死没したあと三好家内で久秀と対立した三好三人衆と結んで奪還を目指していた。この後も久秀との争いは続いて翌年には戦火で東大寺大仏殿が焼け落ちる事態に。
天正12年(1584)8月11日は大和郡山城主の筒井順慶が36歳で死去した日。信長傘下で明智光秀の与力。本能寺の変後に光秀と秀吉両者から誘われた順慶の様子から日和見の諺を洞ヶ峠を決め込むという。史実は洞ヶ峠に行かず秀吉に恭順。傍から見て誤解を招く態度かどうか客観視は難しいですね。
【金色の昆虫】今年3月、奈良の大和郡山市にある筒井順慶墓(覆堂)にお参りした時、外の柵のところにこんなものがくっついていました。 昆虫の抜け殻(?)みたいですが、金色の絵の具みたいな色で、自然界にこんな色があるのかとびっくりしました。一体これが何かご存じの方はいますか??
作家の筒井康隆先生からお手紙を頂きました!! 先生が53年前に小説『筒井順慶』を書くために同族会を取材された時の様子が、当時の同族会報に載っていたので、それをnoteで公開することを承諾して頂きました。これで筒井順慶について、もっと世間に知ってもらえそうで嬉しいです!🌺✨