個性についてを思い悩む必要はない それ以上に子供の時から 「自分がどんな種類の生き物なのか」 ということを知ろうとする事が重要で 間違いなくそれがわかれば 自動的に個性についてもわかるようになる 比較も承認もいらない ただ自分を知っていけば 無事に生きられる 二階堂新太郎
SNSなんてなくてもいいって SNSに書いてる私はマイネームイズぼっち 二階堂新太郎 2024.09.20
これからはムカついたら、 全部そのまま もっとオープンに体現、表現していきます。 こちらが寄り添って、 丁寧になればなるほど、 ほとんどの人間たちは こちらを雑に扱ったり、傷つけてくるので。 この歳になってやっと気づきました。 妙な我慢をして、妙ないい人をするのを 辞めます。
こんなにも 自分が好きになったことに対しては 何事にも真っ直ぐな愛情を向けるのは 僕が母から受けられなかった愛情を 誰かから注いでもらいたいからだって事に 何故か急に、ふと気づきました。 変わる事のない愛情は本来なら 親と子の間にあるのだと思いますが 僕はそれを知らないからだと
誰かの気持ちや気分に それは 見ず知らずの誰かや ただ街で見かけたとか すれ違っただけの誰かの。 そういう誰かの気持ちや気分に 想い馳せた時 僕たちは誰しもが 作家なのだと自覚する
変わらない愛情というものを 親からだったり 祖父祖母などの親戚や血縁の中で体感して 身を持ってそれを知っている人なら ちゃんとそれを人にもできるんだろうな。 と こればっかりは本当に羨ましいなと思います。
人の話を聞けない人は 周りのせいにやたらしたがる だからいつまでも子供みたいなことを言う 周りはあなたの親ではないのだから 甘えるのも程々に
シナリオを書く為の時間の中に ただ言葉を並べるだけの時間というのが どれくらい役に立つのかはわからないが ただ個人的な"わたし"という人間の作家性は 今日も鮮明に現れている
僕は死ぬまで俳優だし物書きだけど 多分いちばん生きやすい生き方は どこかの寺の住職として生きる生き方。 でも残念なことに、概ねが新興宗教の世界で 僕が身を置く宗教なんてないんだな。 なにより人の書いた文章は 物語のシナリオとかしか読めないもんで。
自分自身がアラフォー世代になって 周りも40代の方が増えてきて まさに体感した いわゆる"ザ・おじさん化"の1番の原因は 下ネタの使い方に品がなくなるのと 歳下の人に対して 敬意なく"歳下扱い"をし始めること。 品を保つだけでも "ザ・おじさん化"は避けられる様な気がした
まともさって大事だなとつくづく思う。 まともなコミュニケーション まともな人との関わり方 まともな生き方 真面目じゃないのと まともじゃないのは 全然話が違うからな。笑
君が好きなのはわたしじゃなくて 君の好みに当てはめた私じゃない? ほんとのわたしのこと 君はどれくらい知ってるのかな。 どのくらい知ってると思う? この質問が出た時点で この質問に正解を出せる男はいない。 また逆に女もしかり
最早本来の意味を失ったハラスメントは "なんにでもマヨネーズ"と同じ扱いで "なんでもハラスメント"となり 強いては"ハラスメント扱いするハラスメント" 略して「ハラハラ」なるものまでが登場し 「ハラハラって言われないかハラハラする」 という親父ギャグまでもが生まれた#風刺SF