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子供への話は大人の処方箋

叩かれたら痛いよね?ダメだよ

ほんとこのくらいの話。
実はめちゃくちゃ
人として根本的なことだから
この辺が腹に落ちてる人って
割と自信を持ってる印象あるな、
とふと思った。

自分が人にされて嫌な事を
自分が人にするのは
やっぱり結果自分を傷つけることになるから
私生活の中では特に気をつけた方がいい

相手を叩けば、叩いた手も痛い。と同じこと。

自分はいいけど
相手はダメってしてて
相手にストレス溜まらないはず
ないからね

だからこそ、ご自愛ください。
なんだよね。

例えばよく聞くエピソードで
やはり多いのは男女間の話。

自分は自由奔放に人付き合いもするし
夜中まで異性と2人でも飲み歩くけど
相手にはそんな事は絶対に許さない。

みたいな話。

例えばこれでいくと個人的には
まず恋人やパートナーがいる時に
こんな状況を作らないけど
それはやっぱり例えば
「自分はそうゆうの
別に好きにしたらえんちゃう?」
とは言う人がパートナーだとしても
全く気分のいいものではないだろう
なんていうのは容易く想像できるし
本音を言えば「は?なめとんけ?」
て思うだろうなぁと。

だからつまりシンプルに
人(相手)にされて嫌なことを
自分は人にはしない
という事でしかないんだけど。

それがそのまま
自分を大事にしている。
ということそのものだなと思う。

なんでかって言えば今手前に書いた通りで
殴らないのは殴ったら自分の手痛くなるから。
自分の手が可哀想。自分大事だから。
シンプルにこういうこと。

例えばよくあるのは
「いやわかってるよ?そんなん当たり前に」
て言いながら自分のパートナーが
明らかに良く思わないことをやり続ける。
でもなんで良くないと思われてるって
感じるのかと言えばそれは
本来自分自身もよくないと感じている事で
相手には絶対にして欲しくないことだから。
それなのにこれまたよく聞くけど
「なんやかんやついてきてくれてる」
なんていうのは
厳しい言い方にはなるけど
ただの「依存的な捉え方」なだけであって
そんな状態は長続きしない。

ここまで断言できるのは
幼少期からついこないだまで
人のことばかり優先してきた
過去の様々な長い経験があるから。

そして今は自分の居場所を自分に持って
オンオフの切り替えにプラスして
どんどん自分だけの感覚を護れるように
なってきたから。

だからこそ物事も余計なことに気を取られず
シンプルに捉えられている感覚。

ただ今の感覚に至った根本は
やっぱり自分を本当の意味で
大事に出来る様になったからだなと
本当にこれだけに尽きる。

だからこれからも
子どもに話すくらいシンプルな
人として根本的なところは大切にして
自分を大切にしていこうと思う。

おしまい

2024.04.24(水)
二階堂 新太郎


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