"自分たち"という 3人以上が集まって 〈ペア〉から【グループ】としての意識が 芽生えた途端 そこに関わる者を"よそ者"として扱い 意にそぐわなければ排除しようとする。 僕ら人間にはそういう恐ろしい習性がある。 ということもこの数百年いまだに 形を変えて描かれ続けている。#本質
個性についてを思い悩む必要はない それ以上に子供の時から 「自分がどんな種類の生き物なのか」 ということを知ろうとする事が重要で 間違いなくそれがわかれば 自動的に個性についてもわかるようになる 比較も承認もいらない ただ自分を知っていけば 無事に生きられる 二階堂新太郎
俳優がやるべきことは 自分を見せること、魅せること、 ではなく 自分が誰かに寄り添うこと。 俳優は他者の人生を生き それを表現するのが仕事。 今の日本の俳優で活躍している人たちの顔を よく見てみたらよくわかる。 美男美女であること以上に、 人に寄り添う"心強さ"を皆持っている
「気安く話しかけて来てんじゃねえよ」 っていい台詞だな。 偽善のブラックホールに呑まれずに済む台詞。 正しいよ、生き物として。 至極真っ当。至極真っ当。
最早本来の意味を失ったハラスメントは "なんにでもマヨネーズ"と同じ扱いで "なんでもハラスメント"となり 強いては"ハラスメント扱いするハラスメント" 略して「ハラハラ」なるものまでが登場し 「ハラハラって言われないかハラハラする」 という親父ギャグまでもが生まれた#風刺SF
シナリオを書く為の時間の中に ただ言葉を並べるだけの時間というのが どれくらい役に立つのかはわからないが ただ個人的な"わたし"という人間の作家性は 今日も鮮明に現れている
SNSなんてなくてもいいって SNSに書いてる私はマイネームイズぼっち 二階堂新太郎 2024.09.20
「婚期を逃す女性の7つの特長」とかの 最後に書かれてる解決策が "自分と向き合うこと"って書かれてるのを見て 結局万事"自分と向き合う"一択なんだな って見てて改めて思った。 それか無視して逃げるか。 一応2択か。 つって
最近、映像作品とか音楽を相手や肴に お酒を飲めるようになってきたのだけど 宇多田ヒカルで酒飲める様になったのは 個人的には控えめに言って佳き歳の取り方。 本当あくまで個人的な好みの話。 って これを今の時間に書くと いま昼から飲んでるのがバレるんだよな
私の場合、何かを拗らせた大人ではなく むしろ生まれつきの所とか 幼少期からの様々な影響からあった カルマみたいなものから 自力で脱却したところ。 ただ脱却したところで、 ベースの性格までは変わらないってか むしろなんか強くなって補強された。我
優しさは何故か 食いものにされたり 笑い物にされたりするのがこの世界の常識で だから人々は子供の頃にあった優しさを 絶望と共に捨てながら歳を取っていく この世界がプログラムなのだとすれば なんとも醜い心(みにくいこころ)の奴が作った 美しさとは程遠い"世界"という作品なのかと
俳優で作家なんて いちばん雲をつかむ様な 掴みどころのない存在を生業として生きる ということは 逆にいちばん地に足がついた生活がないと ダメなんだぞ。と自分に対して思う。 これは佳き表現、創作のために。
ひとり大喜利を不定期で開催してるんだけど お題と答えをただ言葉だけ書いて 投稿しようと思って書いてみても 途端にまったく面白く無くなるの すごい不思議なんだよな
これからはムカついたら、 全部そのまま もっとオープンに体現、表現していきます。 こちらが寄り添って、 丁寧になればなるほど、 ほとんどの人間たちは こちらを雑に扱ったり、傷つけてくるので。 この歳になってやっと気づきました。 妙な我慢をして、妙ないい人をするのを 辞めます。
誰かの気持ちや気分に それは 見ず知らずの誰かや ただ街で見かけたとか すれ違っただけの誰かの。 そういう誰かの気持ちや気分に 想い馳せた時 僕たちは誰しもが 作家なのだと自覚する
僕は死ぬまで俳優だし物書きだけど 多分いちばん生きやすい生き方は どこかの寺の住職として生きる生き方。 でも残念なことに、概ねが新興宗教の世界で 僕が身を置く宗教なんてないんだな。 なにより人の書いた文章は 物語のシナリオとかしか読めないもんで。
自分自身がアラフォー世代になって 周りも40代の方が増えてきて まさに体感した いわゆる"ザ・おじさん化"の1番の原因は 下ネタの使い方に品がなくなるのと 歳下の人に対して 敬意なく"歳下扱い"をし始めること。 品を保つだけでも "ザ・おじさん化"は避けられる様な気がした