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俳優はどうやって作品内で自己表現すべきか?

演技で「自己を表現する」とは?

俳優は演技で「自己を表現」します。
俳優自身の感情を解放し、役の人物を自分らしく、自分自身の個性で演じようとし、場合によっては演出家に「自分はこのセリフは言えません」とか「このセリフ、言いにくいのでこう変えてもよいですか?」などと言ったりすることも時にあります。活き活きと自分らしく演じるために!
 
でもちょっと待ってください。そもそも俳優の仕事って何でしたっけ?
 
それは「脚本に登場する架空の人物を演じること」・・・自分自身の身体と心を使って脚本上に存在する「架空の人物」として観客の目の前に現れること。 ひと言でいうならばそれは「他者を演じる」ことです。

あれ?「他人を演じること」と「自分らしく演じること」・・・これって矛盾しませんか?

でもこの2つってどちらも演技に必要不可欠なんですよね。
だって脚本に書かれた架空の人物をちゃんと演じるから脚本が意図する感動や笑いを観客に伝えることが出来るわけだし、
自分らしくイキイキと演じるからこそ人物が魅力的になるのですから。

「自分だったら」で役作りすると…。

「他人を演じること」と「自分らしく演じること」・・・この2つが両立する芝居をしている俳優さんもいるし、「役」か「自分」かどちらかになってしまっている俳優さんも多いです。
最近は世の中的にも「個性」や「自己を解放する」や「自分らしく」が良きこととされるときが多いので、とにかく闇雲に「自己を表現」しようとする俳優さんが多いかもしれませんね。
 
脚本を読み込む際に「私だったらこう感じる」「オレだったらこうする」で読みこんでゆく俳優さんが比較的多いようですが、そうやってセリフのニュアンスや役の人物像をどんどん「自分ナイズ」してゆくとどうなるか?・・・例えばその役が医者だとして、演じられたその人物は「医者」っぽい印象ではなく、限りなく「俳優」っぽい印象になってゆきます。
 
テレビドラマとかを見てると、画面に映ってる人物たちが全員タレントさんにしか見えない時ってありませんか?w
 
だってそれを演じてる自分は「俳優」だったり「タレント」だったり「モデル」だったり「子役」だったりするのですから、自分ナイズして自分自身の感じ方で演じてしまったらそれは当然どんどん「医者」の感じからは遠ざかってゆきますよね。

逆に「自分を殺して」役作りすると…。

逆に、完全に「医者っぽく見えるように振舞おう!」とする演技法で臨むタイプの俳優さんもいます。
先ほどの自分ナイズするタイプの俳優さんが「主観的」に役を演じようとするのの真逆で、医者ってこういう感じだよねーという風に「客観的」に役を演じようとするわけです。
 
この方法で脚本を演じると、たしかに脚本の意図からはズレてゆきません。ただ演技が紋切り型になりやすく、シーンがなんとなく作り物っぽい印象になるんですよね。
やはり自分を殺して、感じてもいないこと・考えてもいないことを演じると、あたりまえですが目が死ぬというかw、人物像がイキイキしないんですよね。魅力的なディテールが発生しにくいのです。
 
そしていま「医者ってこんな感じだよねー」とか「サラリーマンってこんな感じだよねー」とか「政治家ってこういう感じだよねー」とか「キャバ嬢ってこんな感じだよねー」みたいなスタンスで演じるのって・・・ちょっと時代的にNGな感じはあります。
その俳優が持っている「偏見」が直で演技に反映してしまうので、その演技が「差別的なニュアンス」を帯びてしまうワナがあるからです。
もちろん俳優自身が差別する気が無かったとしても、よく知らない存在を演じるとおかしな芝居をしてしまうものです。気をつけたいですね。
 
では「脚本通りの人物を、自分らしく演じる」にはどうしたらよいのでしょうか? いろいろ調べたところ、それらを両立させている俳優さんたちはおおむね、以下の3段階のアプローチで役作りをしているようです。
1段階づつ具体的に解説してゆきましょう。

段階1:脚本を「脚本家視点」で読み込む。

脚本を読み込む際に、多くの俳優さんが「自分だったら」という主観的スタイルで読み込んでいると思いますが・・・まずいったんそれをやめてみて、で「脚本家の視点」で読み込んでみましょう。

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