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シンプルさはやさしさとは真逆

前書き


僕が最近書いていたものを今
ふらっと読み返して
ふと気がついた事

それは僕自身が決して
もう誰かにとっての
都合がいいという意味での
「やさしいひと」
ではなくなったということ

「ご自愛ください」
という言葉がすっかり口ぐせとなり
それは人に向けるとともに
まず大前提に、常に自分が
「自分を愛すること」を
自分の生き方の
真ん中に置くようになった事で
僕は自分に軸を置いて
物事や人を見る様になって
さまざまな人や場所との関わりの中でも
自分の考えは段々とブレなくなった

更にひとつひとつの出来事や
人に対する気持ちと向き合う時には
自分の中にある(色んな思考)を
研磨するような。
職人が道具を研ぐようなイメージで
あらゆる物事にまとわりつく
「本質」以外の余計なことを削り落として
シンプルに、シンプルに、
ひたすらシンプルにする作業を繰り返して来て
何かに迷った時には
「好きか、嫌いか」
「合うか、合わないか」
「やりたいか、やりたくないか」
つまりは
【シンプル=純粋な気持ち、素直な考え】
って事で、
このくらい自分のなかにある
いちばん繊細な(核心)を最優先に尊重する。

そしてここまで書いて、
やっと実は今日のタイトルの意味が書ける。

シンプルさはやさしさとは真逆

「子供の純粋さは残酷だ」
というような言葉がむかしからあるけど
これはつまり
「真っ直ぐな言葉というのは
時に人を傷つけてしまう」ということ

ただ傷つくというのは実は

「自分が見て見ぬフリをして蓋をしていること」
"そのもの"を、

余計なことを削り落とした
シンプルな、素直でストレートな言葉で
自分がそれを受けた、刺さったということ。

自分が鏡を見たときに映った姿そのものが
今の自分を映すように
実はそのシンプルな言葉が刺さるということは
鏡の前の今の自分を目にしたということ

you know?

そしてここまで書いたとおり

僕は自分の軸で生きて
本質を大切に
シンプルストレートな思考と
素直な言葉を遣う

だから自分を置き去りにせざるを得ない
犠牲にし合って生きている人たちの中では
もう僕は「やさしいひと」ではない

ただその代わり今の僕には
その「一般的な表面的やさしさ」
を手放せた代わりに手に入れたものがある
それは
とてもとても大きくて
なにより大切で
自分が生まれてからずっと
自分の外側に探し続けてきたけど
手に入らなかったもの

自分に対する本当の愛情

そしてこれが芽生えたことで
これから先はようやく
本当に自分にとって大切な人たちへ
愛情を持って関われるのではないかと
そんな気がしている。

おしまい

2024.05.12
二階堂 新太郎

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