アートとは「ブランド」だと思います。
写真と物語。 物語とは今まで生きてきた中で見つけた社会との関わりかた。 見たもの、捉えたものを書きだしていく。 現実はとかく見えにくいので、よく見ようとする努力も必要で。 目を凝らすためにカメラを向けてみる。
偶然撮ったようなその風景は、今までいかに風景と向き合ってきたかという過去を物語る。 何が写真を撮らせるか、そこにどんな意識があるか。 写真には感覚的なところもあるが、感覚だけで撮れるものは限られてくる。
見えているのに見ていないもの。 それを見るための写真。 仄かに感知しているが完全にはとらえきれていない時の流れ、 それを概念として結晶化する。 概念が時を捉えなおす。
風景はいかにして発見されるか。 記憶から、あるいは知覚から。 時に見たことないはずの風景への既視感。 撮らなければ写真にならないというのは、撮らなければ風景にならないと同義。
個人の体験を普遍へとひらいていく。 写真を撮るあるいは写真を語る。 その体験を共鳴させていく。 誰かが何かを感じればそのつながりを社会に照射することもできる。 写真を手元でとどめておくか少し先へ広げていくか。
作品としての写真、あるいは写真を使ったコンセプチュアルアート。 少なくとも「エフェメラリズム」や「概念としての阪急沿線」というのを冠している限り何がしかの意図があり、写真を通じてそれを操作しているといえよう。