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写真が美術文脈で作品として弱い理由
今朝の写真についての考察から。
芸術的な創造という行程において写真はそもそもプロセス的に、構造的に、他の表現方法よりも弱いのではないか。だから美術と認められるまでに時間を要したし、コンセプチュアルでストーリーテリングなものしか「作品」になりにくい。
— 田中常丸 (@tokimarutanaka) April 4, 2023
芸術的な創造という行程において写真はそもそもプロセス的に、構造的に、他の表現方法よりも弱いのではないか。だから美術と認められるまでに時間を要したし、コンセプチュアルでストーリーテリングなものしか「作品」になりにくい。
つまり村上隆の言うような質量(圧力)の持たせ方に無理が生じる。簡単に言うと押せば撮れてしまうというその構造上。音楽や絵画や彫刻や小説ではそうはいかない。それが写真の芸術的追求を静止させる。だから多くの作家がコンテンポラリーやコンセプチュアルにいかざるを得ない。
そしてデジタルになって写真の簡易性と操作性は進化し過ぎて、ますます質量を持たせることができなくなった。もちろん音楽や立体制作の現場でもデジタルの恩恵はある。しかし写真は作品の強度として核であった現像とプリントというプロセスを無くしてしまった。
村上隆はご存じの通り日本を代表する現代美術作家であるが、芸術闘争論という自書の中で、良い作品の要素として4つのポイントをあげている。
ここで言う「良い作品」とは、例えば美術館などに収蔵されるレベルの歴史的価値のある芸術作品という意味を含んでいる。
その四つは
1、構図
2、コンテクスト
3、圧力
4、個性
である。
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