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戦時下、大衆にこんなに注目された戦時紙芝居とはー仕掛けの連続で貯蓄や大和魂の鍛錬を植え付け

国際連盟の対米借款問題: 日本敗戦後、外務省で翻訳された汪精衛政権刊行物

4週間前

JOG(140) 汪兆銘 ~ 革命未だ成功せず

JOG(1273) 頭山満翁と大アジア主義 ~ 孫文、蒋介石、汪兆銘と目指した日中提携

日中戦争の泥沼化とABCD包囲網・日米開戦の歴史を学ぼう【世界で最もためになる近代史の授業 Vol. 24】

¥1,940
8か月前

「名言との対話」11月10日。汪兆銘「我は苦難の道を行く」

争いは話し合いで解決すべしという人。南京政府を作った汪兆銘についてはどう思う?。彼こそは事変を「話し合い」で解決しようとした人。彼の死後、蒋介石によって墓は爆破され、土下座する汪夫妻の石像が建てられた。話し合いで戦争を終わらせようとした人間を土下座させるそんな国が中国だ。

日華事変の正体。盧溝橋事件以後の邦人虐殺

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(9)

戦争と麻薬

1年前

国民党・共産党 of China【中編:北伐と国共の離合集散】

こんにちは。梅花雪月です。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』読みました

2年前

我は苦難の道を行く 汪兆銘の真実

2年前

■【より道‐24】ノモンハン戦争に至るまで③

小磯良平「娘子関を征く」・授業編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑨

日本と「台湾」の複雑さ

【百年ニュース】1921(大正10)4月2日(土) 中華民国正式政府(第2次広東政府)誕生。孫文は前年11月に広州で組織した軍政府を改組,非常国会で大総統となり北京政府との対抗姿勢を鮮明にする。南北中国を代表する唯一の政府と主張するも,諸外国は承認せず。汪兆銘が教育部長として政治の表舞台に初登場。

アジアと日本の歴史⑨ 満州国と汪兆銘政権~その歴史的意義

加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読む

『誰も知らない『西遊記』ーー玄奘三蔵の遺骨をめぐる東アジア戦後史』【序章・目次公開】

Happy Women's Map 清朝北京粛親王府  清王朝最後の王女 川島 芳子 女史 / The Last Princess of Qing Dynasty, Ms. Yoshiko Kawashima

西郷隆盛と会計学

¥100〜
割引あり

【百年ニュース】1921(大正10)6月14日(火) 蒋介石の母,王采玉が死去,享年59。1895夫の蒋肇聡が死去すると,家業の製塩業で子供たちを育てた。広東政府の要人となっていた蒋介石(33)は渓口鎮で母の葬儀を盛大に行い,母を記念し生地に武嶺小学校を建設。墓碑銘には孫文が揮毫。胡漢民や汪兆銘も碑文記す。