見出し画像

戦争と麻薬

昨日は22時からワインを飲み始め、23時からの「不滅の恋人」を見たあと、酔いに任せて寝落ちしてしまい、起きたら3時だった。睡眠時間3時間。睡眠薬なしならこんなもんだ。「不滅の恋人」は20話完結で昨日は19話だったので次が最終回である。来週となると29日になるが、年末特番があったら放送は飛ばされるので、あるかどうかわからないが、最終話だけ年明けなんて中途半端なのでたぶん放送はあるのだろう。来週に期待したい。
読書の方は「インドヒマラヤのチベット世界」を読み終わったので、引き続きティム・ジョンソンの「チベットの祈り、中国の揺らぎ」を読み始めたところである。この本は、チベット問題を重層的に描き、中国問題全般や国際関係を映し出す鏡ととらえるスタンスで、人間や社会の根幹に関わる問いを各所にちりばめ、多方面へのインタビューで構成されたノンフィクションである。取材対象はダライ・ラマ14世から、チベット人共産党員、2008年の暴動に関係した人、北京に住むチベット人活動家、ヒマラヤ越えに挑んで亡命する人、亡命先からチベットに戻る人に至るまで多岐にわたる。中国政府も宗教的地位を認めるチベット仏教界ナンバー3(宗派が違うので一概にナンバー3とは言い難いが)のカルマパ17世(2000年にインドに亡命)や約10年もの獄中生活を経て僧衣を脱いだ故パンチェン・ラマ10世の娘からも貴重な話を聞き出している。ダライ・ラマの提唱する宗教的寛容、人道問題や環境保護への配慮は世界の人々の共感を呼んでおり、中国政府はソフトパワーにおいてダライ・ラマの足元にも及ばず、そのプロパガンダは冷めた目で見られている。「ダライ・ラマが戦いを挑んでいるのは現代中国のどの部分か」、「中国のふるまいを注視すること」と著者は問いかけている。一方で、ダライ・ラマに依存しすぎるチベットもジレンマを抱えている。ダライ・ラマ亡き後の未来はなかなか見えてこない。また、中国の金・情報に及ぶ「パワー」は増すばかりだ。経済力を誇示して強引な外交を展開し、サイバー攻撃にも関わっていると言われる。チベット問題を通して、中国政府は「安定維持」を理由に言論を統制し、民主化の芽を摘もうとするが、それを中国人は望んでいるのか。共産党政権にとっての脅威はダライ・ラマというより、もはや容易に服従しなくなった国民ではないか、力を持ち始めた中国が、自らの在り方を一層問われていることを浮かび上がらせる。
読書の前に今日の分のブログを投稿しておいた。今回は依存症の話である。私の場合、アルコール&薬物依存症であるが、アルコールに関しては、昔通院していた病院の院長が、アルコール依存症は生活習慣病だと主張していたが、それは違うと思う。その病院の場合、患者の平均年齢が高く、長年飲酒してきた結果、依存症になったのなら生活習慣病と言えなくもないが、依存症=アディクションは使用した期間に関係ない。若くてもアルコール依存症になる。厚生労働省の厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト「e-ヘルスネット」を見ると、若者の飲酒は減少傾向にあるものの、若者の飲酒は中高年と比較してアルコール依存症等のリスクが高くなる。15歳以下から飲酒を始めた場合、21歳以上から飲酒を始めた場合と比べ、3倍以上アルコール依存症になる確率が上がる。また、最近の傾向としては、男女間の飲酒行動の差が減少傾向にあり、男性との差が調査ごとに減少し、いまでは殆ど消失しており、別の調査の結果では、20代前半では女性の方が飲酒率が高くなるなど、女性の飲酒が大きな問題になっていて、確かに昔は少なかった女性のアルコール依存症者が増えている。例えば、週に3回以上飲酒する習慣飲酒者は、男性では51.5%(平成元年/1989)から、35.1%(平成23年/2011)に減少しているが、女性では6.3%から7.7%と逆に増加していて、特に出産・育児年代に当たる20代30代では、それぞれ4.1%⇒8.3%、8%⇒11.9%と増加傾向が大きい。
モノは違うが、ベトナム戦争では、アメリカ軍兵士の15%がヘロインの中毒に陥っていた。事態を重く見たアメリカ政府は急きょ「薬物乱用防止対策局」を設立。そこで行われたリハビリプログラムによって、中毒に陥った兵士たちのヘロイン再使用率は5%未満にまで抑えられた。ヘロインというのはキング・オブ・ドラッグで、再使用率は実に90%以上で、一度やったら死ぬまで治らないと言われてきたが、このヘロインの常習性を断ち切ったプログラムが、悪習慣に関する研究で注目されている。人間の行動や習慣を変える方法を研究している南カリフォルニア大学の心理学部のウェンデイ・ウッド教授によると、「同じ習慣が何度も同じセッティングや環境で繰り返された場合、その習慣はうまく変えることができるのです」と説明している。つまり、問題はセッティングと環境だ。いつか見た動画で、アディクションの反対はコネクションだと演説していた人がいて印象に残っている。アルコールとヘロインは全然違うじゃないかと思われるかもしれないが、アルコール依存症になると、飲酒によって脳からモルヒネ様物質が分泌される。いわゆる脳内麻薬というやつで、報酬系だ。モルヒネを精製してできたものがヘロインである。ちなみに、最も危険度の高いドラッグはアルコールと言われている。
話題は変わってしまうが、「戦争と麻薬」は切っても切れない関係にある。覚醒剤が第二次大戦前後の日本帝国軍部との抜き差しならぬ深い関わりがあったという点はよく知られた事実である。軍は覚醒剤を大量生産したのだ。戦闘用の麻薬としてである。覚醒剤の薬理作用には、人を元気にする、恐怖心をなくさせるという効果がある。特攻隊の「別れの盃」に覚醒剤が入っていただけではない。例えば、海軍のK中尉はB-29を続けて五機も撃墜したすこぶる優秀なパイロットとして有名だったが、出撃前に覚醒剤を注射されていたことを後に述懐している。また、戦前の日本はある時期世界一のアヘン生産国であった。生産地は満洲である。佐野眞一が書いた「阿片王」という本があるが、満州事変以降の大陸において阿片王と呼ばれた里見甫のことを書いている。これはウィキペディアにも載っている話だが、里見甫は三井物産のもとで関東軍と結託し阿片取引組織を作り、1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂の副董事長(事実上の社長)に就任する。ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、1939年、上海での阿片密売を取り仕切る里見機関を設立。ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に回した。また、里見機関は、関東軍が極秘に生産していた満州産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。この活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤や、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された。戦後は1946年3月に民間人第一号のA級戦犯容疑者としてGHQにより逮捕され、巣鴨プリズンに入所する。1946年9月、極東国際軍事裁判に出廷して証言を行い、同月不起訴となり無条件で釈放される。1965年3月21日死去するが、千葉県市川市国府台の總寧寺にある里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」を書いたのは岸信介である。ちなみに「里見は、電通が今のような広告会社になったきっかけを作った一人である」とした佐野眞一の一文があるが、興味のある方は佐野眞一の「阿片王」を読んでいただきたい。
ベトナム戦争では、あまりにも有名なソンミ村の虐殺を含めてベトコンや民間人を殺戮するためにアメリカ兵はヘロインを投与されていた。また、東ティモール紛争では、CIAの研究と入れ知恵で特殊なドラッグが民衆を殺戮するテロリストたちに配られ、使用されたと言われている。もちろん、キリスト教徒でない人間にも罪悪感なしに平気で誰彼かまわず人殺しをできるようにするためである。イスラム系ゲリラを支援するためにアフガニスタンで最初にCIAがやったことは、麻薬をめぐる極秘作戦であり、麻薬輸送のルートをつくることだった。これは後に武器輸送のルートとなった。アフガニスタンのニームルーズ州、パキスタンのバローチスターン州・連邦直轄部族地域、イランの国境が交錯する地帯で、アフガニスタン東部のジャラーラーバードから南部のカンダハールを経て南西部のザランジ南方へと続く三日月形の国境地帯はゴールデン・クレセントと呼ばれ、タイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯のゴールデン・トライアングルとともに世界最大の麻薬密造地帯である。また、イスラム国ISの戦闘員は「カプタゴン」(アンフェタミン)を摂取していたようだ。アンフェタミンとは覚せい剤である。「戦争と麻薬」のことを書き出すとキリがない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?