龍泉寺怪童, An Educator
米軍統治下の1952年に初版が発行され、その後20年以上にわたって沖縄の教室で教えられてきたと思われる郷土史の副読本。仲原善忠は沖縄出身の教育者で、歴史教育が専門だった。現在、沖縄の教室からこの本が消えた理由は、ただ単に内容が古いだけではなく、被害者史観を否定するからではないのか? 歴史教育内容論の専門家が原著を紹介しつつ、教室で再び中高生を対象とした副読本として使えるように再編した。本当の沖縄の歴史を、県民のみならず、日本人に知ってもらいたい。
馬鹿な世の中に見られる、腹に据えかねることを書きます。
●航空会社、宿泊施設、飲食店、観光地、都市(海外の場合)など、体験的に格付けしています。
11年間暮らしたアメリカで思うままに書いていたエッセイやブログ記事に加筆しながら公開します。サブタイトルの通り、思い出になったこと、まだ変わらないこと、いろいろありますが、独断と偏見に満ちた体験的アメリカ論です。
社会科(地歴科、公民科)、日本語、英語などを中心に、オリジナルで作成した教材を公開しています。
書名は『「語学教育なんてそんなもん」なんかじゃない 米軍の学校で学んだこと』です。 2021年12月28日発売です。ことばに興味がある方、ことばの教育に従事している方に是非読んでもらいたいです。 ーーー内容紹介ーーー 「語学教育なんてそんなもん」だと言う同僚を尻目に、ペンタゴンの外国語学校で孤軍奮闘した筆者が、ことばの教育の現状と未来について問題を提起する。 小学校から英語を教えたら話せるようになる? カリフォルニア州はもう10年も前にバイリンガル教育をやめ、第
4.廃藩置県へのうごき【解説】 多忙の言い訳はやめよう。フォーマットを確認するのも億劫で、手がつかなかったということもある。 ただ、休んでいる間に、登録をしてくれた読者もいらっしゃったので、久しぶりに手を付けた次第。 さて、沖縄の廃藩置県とは、琉球処分ということで、政府が強権を発動したということだけが教科書ではクローズアップされているが、琉球政府側の頑迷さや姑息さについては何の指摘もない。また、最終段階のことを琉球処分をいうことが多く、一連の流れを指すとは解釈されていな
実は、先月、家族3人がそろって「武漢肺炎」に感染した。全員1日で回復した。症状は3人3様で、その後1週間ぐらいは症状が続いたが、子供の頃に罹った発熱を伴う風邪よりもよっぽど楽だった。 ところが、テレビでは第7派だとか何とか言ってまだ人数を数えて騒いでいる。風邪ひきの人数を数える愚行を、もうそろそろ各国はやめているし、世界陸上を見ても、MLBのオールスターを見ても、誰もマスクなんかしていない。当たり前だ。化学的根拠がないんだから。 最初の頃と違って、うつりやすくはなったが、
3.台湾出兵【解説】 なかなか先に進めない。多忙を極めていたのは前回書いたが、この火曜まで、部活の引率で土日がつぶれ、18日間休みがなかった。ようやく先週末一息ついたのだが、別の原稿依頼に対応していたり、子供を久しぶりに遊びにつれて行ったりして、こちらにまで手が回らず、今日になってやっと重い腰を上げたという感じだ。 ただ、投げ出したわけではない。こういうものは勢いが必要なのだ。 このプロジェクトは、自分では沖縄の将来のために重要だと思っている。歴史を知らない特亜のように
4.農民から収奪していた王国末期の政治 【解説】 王国時代を美化して決して語られない、無能な王府の様子が、わかりやすい実例とともに示されている。これで一揆が起こらなかったのが不思議なくらいだ。琉球政府が何をしたのか、何をしなかったのか。この単純な問いに、専門家は真剣に答えるべきだろう。仮にそれが、日本政府による近代的支配によって180度転換され、農民や下層市民に大いなる希望を与えたという証拠になったとしてもだ。歴史を歪めて美化することに、何の意味もないことに、そろそろ気が付
2.琉球藩設置【解説】 4月から勤務先が変わり、多忙を極めていて先に進めなかった。GWでようやく一息つくという状態で、今後もインターバルがあいてしまいそうだが、コツコツ最後まで仕上げていきたいと思う。 内容に特に問題はない。琉球藩設置の前後に派遣された使節を、明治新政府は大いに啓蒙しようとしたが、琉球側は全くそれを見ても動こうとはしなかった。風雲は既に急を告げていたのだが、危機感はまったくなかったようだ。逆にここで改革に着手する姿勢を見せ、政府の方を揺さぶるような動くがで
1.明治維新に対する琉球政府の対応【解説】 明治維新、廃藩置県、琉球処分という一連の流れは、日本の侵略だというような愚かなことばが歴史の本では垣間見える。当時の沖縄の日清両国への両属状態は国際法上の地位を不安定にし、また欧米に付け入るスキを与えただろう。清国の影響が強いことは事実であったが、帰化人の子孫が上層階級を占めて人々を奴隷のように支配して、それを明治の世の中になっても続けることがどういう結果を招いたかは、簡単に想像できる。李氏朝鮮がそのよい例だ。それでも日本政府は李
3.王朝末期の財政【解説】 文の繰り返しを解消して読みやすいように整理し、文章末の借金の件は、仲原が米価を提示しているので、今日の価格で換算し、読者がわかりやすいようにしておいた。 最期の幕末、日本の各藩も財政難は同じだった。各藩は商人からの借金で首が回らなくなり、「財政再建団体」のように、財政を地元の大商人に司らせ、その「指導」で質素倹約に勤めていた大名もいたほどだ。しかし、琉球との違いは、農民が豊かであったということだ。仲原は「苛斂誅求」の中身は書いていないが、王朝末
2.貧士と富農【解説】仲原は、富農の繁栄と社会活動、運に左右される老書生の人生を冷静な筆致で紹介し、王朝末期の「社会の矛盾」を通じて、無言のうちに滅びるべくして滅んだ琉球王府の無能と無責任をあぶりだす。蛇足かも知れないが、そのあたりは少し強調しておいた。王朝時代を振り返ると、どうしても美化して語られがちである。 筆者とあるプロジェクトで、某難関私立大学の過去の入試問題を分析しているのだ。「琉球史」が何問か出題されていた。ご多分に漏れず、尚巴志の統一、中継貿易の繁栄まではよか
1.王国末の社会の矛盾【解説】 沖縄の歴史を目にすると、王国時代を美化したがる傾向がある。勿論、郷土に誇りを持つことは悪いことではない(それでいて愛国心がないのは不思議な矛盾だ)が、現実を見ずに、嘘でまみれた王朝絵巻をありがたがり、あたかも薩摩や明治政府やアメリカ軍がそれを破壊したかのように描くのは、明らかに誤りだ。まるで韓国のテレビドラマの時代劇を見ているようだ。近代以前のかの国の下層階級の姿は、当時の愛国的な韓国人の政治家をして「豚と同じ」と言わしめているのだ。しかし、
【解説】 この章も、第13章同様、日本史の教科書の明治維新の個所をまとめたものだ。しかも、一気に戦国時代から明治維新の入口までをまとめている。史料として提示されたキリシタン大名の印章も意図がわからない。沖縄とのかかわりもほとんどない。 ここもは、後日まとめる際にはほぼ割愛することになると思うので、原文だけを提示しておく。繰り返すが、このプロジェクトでは、郷土史としての沖縄史に焦点を当てたいからだ。 【原文】 第十五章 明治維新と沖繩 一、旧日本と新日本 戦前の日本は
5.フランス、ロシア、オランダとの条約【解説】 沖縄にペリーが来たことは、教科書の片隅に書かれていることもあるのだが、その他の国については、見たことがない。郷土史レベルでは、当然取り上げられるべきことだろう。仲原の筆は、フランスのやり口をやんわりと非難している。筆者の知識のないところだし、史料もすぐにはまとめられないので、文を整理をするにとどめた。 琉仏条約について、沖縄の極左新聞のひとつ『琉球新報』が2015年2月8日付で「琉仏条約、仏にも原本 『琉球は独立国』」という
4.ペリー来航と琉米条約の締結 【解説】いよいよペリー来航である。興味深いエピソードが盛り込まれているが、多少加筆して、わかりやすくする必要があった。しかし、ペリーの通訳として同行したサミュエル・ウィリアムズが、漂流民を日本に送り届けようとして、異国船打ち払い令のために果たせなかったモリソン号(その後、蛮社の獄につながる)に乗船したことなど、リサーチするまで知らなかったこともあり、まとめながら関心を深めた。 全体としては仲原の記述をベースにしているが、例によって文の順が適切
3.最初の宣教師とその挫折【解説】 ベッテルハイムについては本人が膨大な記録を残しており、ロマンやファンタジーを抜きにした、科学者の目を通して見た当時の琉球のありのままの姿が、重要な一次資料となっている。ベッテルハイムは、ユートピアに来たつもりが、悪政はびこる奴隷制社会に来た、簡単に言えば、「バジル・ホールに騙された」と思っていたことだろう。接待を受けたホールと、まぁ、琉球にとってはPersona non Grataであるべきベッテルハイムとでは、もちろん、滞在期間も違えば
2.イギリス艦隊の沖縄訪問【解説】 この個所は、外国人による客観的な当時の琉球描写が非常に興味深い。しかし、その反面、ここで仲原が図らずも指摘しているように、琉球王国側のしたたかな戦術もあって、そういう点も見逃せない。琉球にやって来た英国人が、世界史で教わる出来事と接点があることで、生徒に興味を持たせることもできるだろう。ナポレオンが琉球の話を聞いていたのは、徳川幕府がオランダ風説書でナポレオンのことを知っていたという話を思い起こさせた。世界は狭くなりつつあったのだ。 こ
1.江戸時代に沖縄を訪れたヨーロッパ人【解説】 江戸時代のいわゆる鎖国と開国に軌を一にして、琉球にも欧米人が来航している。これは地方史レベルの話ではあるが、開国への胎動期に、太平洋岸に出没した欧米船のことを歴史教科書は記載しているのに、琉球へのそれは書かれていない。ペリーが沖縄を訪れていることすら、中学レベルでは書かれていないことも多い。来訪者の詳細な航海記も残されているのだから、もう少し触れられてもよいような気がする。 仲原の記述で、初めて知ったことも多かった。非常に興