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放課後ホンネの日本史【完全版】

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『大阪新聞』(現在は『産経新聞』に紙面統合)に連載していた歴史読み物です。情報の修正を加えた「完全版」で公開します。
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記事一覧

放課後ホンネの日本史・プロローグ

 本稿は、平成10年4月から147回の長きにわたって、今はなき老舗の夕刊紙『大阪新聞』教育欄…

なにわの近現代史 Part 1 ①「大阪港物語」

 ウォーターフロント開発の波が大阪にも押し寄せ、一昔前まではフェリーターミナルでしかなか…

なにわの近現代史 Part 1 ②「市民の足の変遷」

 モータリゼーションの波と、地下鉄の路線拡張に押されて、惜しまれながら大阪市電最後の路線…

なにわの近現代史 Part 1 ③「明治の『万国博覧会』」

 昭和 45(1970)年に千里丘陵で行われた「万博」。世界から大勢の人が大阪へやって来ました…

なにわの近現代史 Part 1 ⑤「特別支援教育のはじめ」

 明治 33 年(1900 年) 9 月13 日、今の本町4丁目にあった浄土真宗・浄久寺の本堂に新しい…

なにわの近現代史 Part 1 ⑥「 陸軍と警察の対立」

 明治 17(1884)年1月4 日、一人の巡査が西区にあった松島遊郭を巡回していると、突然「生…

なにわの近現代史 Part 1 ⑦「元祖アイドル・娘義太夫の大スター」

 上方落語の『軒づけ』に登場する連中や、『寝床』でへたくそな一節を披露するの旦那さんに象徴されるように、歌謡曲が大衆に広がるまで、浄瑠璃(上方では専ら義太夫節を指します)は庶民の娯楽のひとつでした。中でも娘義太夫(今日では女流義太夫、女義といいます)は、明治中期から大正期にかけて、絶大な人気を誇っていました。若くて美しい女性が、情を込め、時には髪を振り乱して語る姿は昨今のアイドル顔負けで、多くの男性ファンが魅了されました。時には楽屋や自宅におしかけ、彼女たちの乗った人力車を、

なにわの近現代史 Part 1 ⑧「 和歌山へ急げ!~電鉄抗争」

 昭和4(1929)年6 月20 日付の『大阪朝日新聞』にこんな見出しが踊りました。「私鐵のピカ…

なにわの近現代史 Part 1 ⑨「史上唯一の『浪速シリーズ』」

 大阪のチームでプロ野球日本一を争ったことが、過去に一度だけあります。昭和39(1964) 年…

なにわの近現代史 Part 1 ⑩「大阪生まれの総理大臣を知っていますか?」

 大阪府出身の宰相がひとりだけいるのを知っていますか。昭和20(1945)年10 月9 日に73 歳で…

明治憲法の素顔 Part 1 ①「明治憲法と内閣総理大臣」

 大日本帝国憲法(以下、「明治憲法」)が発布されたのは、明治22(1889)年2月11 日のこと…

明治憲法の素顔 Part 1 ②「明治憲法と統帥権」

 我が国の平和と安全を守る自衛隊の「最高司令官」は、内閣総理大臣です。総理大臣は、衆議院…

明治憲法の素顔 Part 1 ③「内閣の命運と軍部大臣」

 明治憲法下でも、内閣総理大臣は組閣に際して、原則的には自分の意のままに閣僚の人選を行い…

明治憲法の素顔 Part 1 ④「憲法第3条に込められた象徴天皇制度」

 明治憲法第3条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。この条文によって、天皇を神聖化、神格化していたとされています。敗戦後の昭和21(1946) 年に、昭和天皇がいわゆる「人間宣言」をされたこともあって、一般的にもそう考えられています。  しかし、表面的にはさることながら、この条文には重要な意味があります。それは、「君主の不(無)答責」ということです。戦前、最も権威のある法学者のひとりであった美濃部達吉は、憲法解説書『憲法撮要』の中で、 この憲法第3条の意味を2つに