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明治憲法の素顔 Part 1 ④「憲法第3条に込められた象徴天皇制度」

 明治憲法第3条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。この条文によって、天皇を神聖化、神格化していたとされています。敗戦後の昭和21(1946) 年に、昭和天皇がいわゆる「人間宣言」をされたこともあって、一般的にもそう考えられています。
 しかし、表面的にはさることながら、この条文には重要な意味があります。それは、「君主の不(無)答責」ということです。戦前、最も権威のある法学者のひとりであった美濃部達吉は、憲法解説書『憲法撮要』の中で、
この憲法第3条の意味を2つに分けて解説しています。
 ①不敬をもって天皇を干犯することはできない。
 ②天皇はその全ての行為に責任がない。
 ①は字面の通り君主に手出しをしてはいけないということですが、②は、君主は国政に責任を負わないということです。これが君主の「不答責」ということです。
 天皇は政治上の責任を負うことはありませんから、直接政治にタッチできません。国政のトップである天皇が負うべき政治上の責任は、内閣が負うことになります。これを補弼責任といいます。法律は天皇の署名と捺印(御名御璽)がないと発効しませんが、そこには必ず副署(国務大臣の署名)がありました。責任の所在を明確にしていたのです。
 歴代天皇は憲法を守ること、言い換えれば、立憲君主であることを意識しておられました。例えば、昭和天皇が憲法から逸脱して直接政治に容喙されたのは、その60 余年に及ぶ在位期間中、たった3回しかありません。もちろんすべて明治憲法下での話です。1回目は昭和3年、張作霖爆殺事件の処理を誤った田中義一首相に辞表の提出を求めたこと。2 回目は昭和11 年、2.26 事件の時、鎮圧を逡巡する陸軍に対して、「朕自ら近衛兵を率いて鎮圧に行く」と言われ、クーデターを阻止したこと。3回目は、ポツダム宣言受諾の「聖断」を下されたこと。これだけです。
 昭和天皇は、戦争を止めさせることができたのだから、戦争を始めることを止めさせることもできたはずだ、という人がいます。これは大きな間違いです。天皇が親任している政府が開戦を決意したなら、天皇がそれを覆すことは憲法上不可能です。つまり、皮肉な話ですが、昭和天皇が独裁者なら、戦争にはならなかったのです。
 昭和天皇の崩御の際に、その戦争責任が左翼によって取りざたされたことがありました。反日活動家が幼稚な裁判ごっこで、昭和天皇に死刑宣告をするというような醜いパフォーマンスもありました。天皇自身はGHQ のダグラス・マッカーサー元帥に、「私が全ての責任を負う」と言明されたように、「道義的」ともいうべき責任を感じておられたのですが、法的には、昭和天皇に戦争責任はあり得ないのです。
 明治憲法が採用した制度は、天皇はその権威を大きく認められていましたが、決して天皇が主導権を握るものではなく、政治的な実権は、政府が掌握する仕組みになっていました。こうして考えてみると、天皇が内閣に政治を委ねるというのは、新憲法下のシステム、つまり象徴天皇制度に限りなく近いものだったということがわかります。政党政治家が腐敗し、国民が期待を寄せた軍が天皇を祭り上げ、政府の実権を骨抜きにしてしまったところに、昭和戦前期の悲劇の序曲があったということなのです。

連載第14 回/平成10 年7月18 日掲載

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