ヴィシー

食べ物日記@ヴィシー

誰も行かないだろうフランスの田舎町の食べ物日記。よく食べよく学んだ5ヶ月間でした笑

La Bistrot de Pierrot★★★★★

日替わりランチがコスパ高すぎる

Resto L’escale Vichy★★★★★

オーベルニュ地方のチーズのソースのムール貝が美味しい

Pâtisserie lafrati★★★★

一番お世話になったケーキ屋さん

Le comptoir du c

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【第5回】だいたい250日後ぐらいに腎臓結石で緊急外来に運びこまれる留学生(Poripori2)

四日目

当然であるが語学学校は、語学力に自信がない者が行くところである。然らば、フランスの語学学校に集う者たちはフランスで生きていく為、不足している己のフランス語力を鍛えるという、ただそれだけを目的として来ると普通は思うだろう。しかし、フランスの大きい語学学校(大学付属の学校は除く)の多くが、数か月の滞在ぐらいでは生活に飽きることは絶対ないような有名な観光地にそれぞれ作られていることを考えてみれ

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バウバウ!(訳:スキ、ありがとう!)
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【第4回】だいたい250日後ぐらいに腎臓結石で緊急外来に運びこまれる留学生(Poripori2)

 三日目
 パリに1週間滞在した後に、私は既に登録を終え、受講料も払っている語学学校があるヴィシーという街に向かった。近代史に詳しい人ならご存じかもしれないが、二次大戦中、この国が隣国ドイツにパリを占領されて降伏した後、ナチス・ドイツの傀儡であったフィリップ・ペタン将軍による暫定政権が置かれた場所(彼らにとっては屈辱的な歴史が刻まれている場所)としても有名である。私は、この地でおよそ三か月に渡りフ

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あなたのスキ、わすれません(半目で)
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15,000才の水とギンガムチェック

オーヴェルニュ地方と言えば火山地帯であったため、その火山灰でできた土地である。だからその土からできる建物も黒い!ミシュランで有名な町、クレモン・フェランの大聖堂が黒いのはこのせいである。そんなオーヴェルニュ地方は、火山の地層を15,000年もかけてろ過された水が湧き出るので水が豊富。ボルヴィックやシャテルドンなど日本にも輸入されている。有名な温泉地ヴィシーの天然炭酸水も。この水は重炭酸塩が入ってい

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Merci beaucoup🍷
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シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈14〉

 ナチスドイツの傀儡政権であった当時のフランス・ヴィシー政府が打ち出した、対ユダヤ人政策にもとづいて、ヴェイユは教職を追われた。その身の置き所を失った彼女を、一時期自らの農場で預かっていたカトリックの農民哲学者、ギュスターヴ・ティボンは、後に彼女から託されたノートを編さんして出版し、それをきっかけとしてシモーヌ・ヴェイユの名が広く世に知れわたることになる。
 その書物の解題に、ティボンは次のような

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ヴィシー留学記 あるバーにて(2017.03.10)

金曜日の夜、ヴィシーの小さなバーには多くの男女がいて、彼らは浴びるように酒を飲んでいた。この田舎町では、酒を飲むこと以外に楽しみがない。室内にはマイケルジャクソンやアースウィンド&ファイアーなどの70~80年代の音楽が大音量でかかっていた。色々な人種の若者が、そのビートに合わせ、体をよじらせたり、手を叩いたりしていた。

僕は二人の韓国人の女の子とその場所にいた。彼女たちは酒に弱いくせに、飲み始め

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ヴィシー留学記 シャロルー(2017.3.1)

フランスに来てから、2週間が過ぎた。ヴィシーは北海道に比べて、ずいぶんと温かい。もちろん町の人は「寒い、寒い」と言っている。でも、僕にとってはずいぶんと温かい。

ただ、水曜日にシャロルーに行った日あたりから、天気は急に下り坂になった。長くて細い雨が降り、渦を巻く風が吹き始めた。僕はそのせいで少しだけ体調を崩した。今は、もう一度、自分のリズムを取り戻さなければいけないと思っている。

シャロルーは

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ヴィシー留学記 リヨン(2017.02.26)

リヨンの市街を流れるローン河の水を眺めて、自分は今石堤の下、河原の小砂利を蔽う青草の上に、疲れた体を投倒している。
毎日なにもしないが非常に疲れた。体も心も非常に疲れた。フランスに来てから早や二週間あまりになる。もう旅路の疲れと云う訳でも有るまい・・・。

これは僕の日記ではない。永井荷風の『ふらんす物語』における一節である。僕は残念ながら、今となっては荷風の気持ちを全く理解できない。

リヨンを

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ヴィシー留学記 クレルモン・フェラン(2017.02.22)

ヴィシーに着いてから4日が過ぎた。相変わらず、夜と朝が繰り返し、過ぎ去っている。これは日本でも変わらない。いや、日本だけでなく、世界中のどこでも変わらないことだ。

水曜日の午後、またアクティヴィティでクレルモン・フェランという街を訪問した。ヴィシー散策と同様に、その参加者のほとんどは日本人で、ガイドの説明を高野先生が通訳するスタイルも変わらなかった。僕はフランスで日本語を使うことについて、もう何

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ヴィシー留学記 3日目後編(2017.2.20)

午後も3時半まで授業があった。その後、学校が主催するアクティビティ「ヴィシー散策(visite de Vichy)」に参加した。

参加したのは20人近かったが、そのうちの15人ほどは日本人だった。北星大学の学生がほとんどで、高野先生も同伴されていた。彼らは常に日本語で話していた。僕は出来る限り日本語で話したくないので、ベトナム人のヴァン、ドイツ人のアルベルタ、それから日本人の琴美とフランス語で話

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