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フランスの温泉地Vichyの旅①(歴史と宿編)


パリから列車で3時間ちょっとの場所にある、温泉が涌き出る街Vichy(ヴィシー)。フランスで初めての年越しはここVichyで過ごすことになりました。

★Vichyまでの移動編★


ヴィシーの街と温泉水

中央にあるのがスルス公園。

Vichy(ヴィシー)はフランス中央部のオーベルニュ地方に位置する温泉保養地。ナポレオン三世によってスルス公園を中心に街が開発され、多くの観光客や湯治客で人気のスパリゾートとなった。毎年6月(年によって変わる)にはナポレオン三世祭りが開催され、仮装パレードなどで街中が賑やかになるそうだ。

ヴィシーはフランスで唯一火山性の温泉が湧き出るそうで、温泉水には豊富なカルシウム、銅、鉄分、ナトリウムなどが含まれており、肌の再生や活性の促進を促すらしい。そのため古代ローマの時代から人々はヴィシーの温泉水を利用していたとの事だ。ヴィシー周辺から湧き出る源泉は数多くあり、そのうち6つの源泉が飲料可能。スルス公園に立つ源泉ホールでは5種類の異なる源泉がくみ上げられており、観光客でも自由に飲むことができる。ヴィシーにはヴィシーウォーター、化粧水、お菓子など温泉水を利用した商品が多くある。

温泉についてだが、日本の温泉街とは雰囲気は異なり、誰でも気軽に入れる温泉施設はなく、代わりにスパのようなちょっとお高めな施設がヴィシーにはいくつか存在する。

別府温泉がすきな私達からすると、温泉につからずに飲むという温泉の利用法に驚いた。もちろスパに行けばお湯につかる事は出来る、、と思うが、私達がヴィシーを訪れたのは年末(2021年の12月29日~2022年の1月1日)だった為、ほとんどの施設が閉まっていて、唯一空いているスパは予約が一杯で今回の旅ではスパを利用できなかったのだ。ほかの施設やお店も閉まっている所が多く、年末に地方に旅をするべきではなかった!とこの旅で学んだ私達であった(;´д`)。


ヴィシーの地図

ヴィシーは縦長に広がる小さな街。端にあるヴィシー駅から温泉施設が集まるスルス公園(Parc des Sources)までは15分ほどで行ける距離だ。

駅からスルス公園をつなぐパリ通りと、プレジダン・デュメ通りがメインストリートとなっている。

ヴィシー駅


<パリ通り>
宿に向かうためメインストリートのパリ通りを進む。


 


宿 Hôtel des Thermes Les Dômes

写真右側の建物がホテル。中央のドームはLe grand etablissemen Thermalという史跡。

宿に到着し、さっそく受付でチェックイン。受付には30代ぐらいの男性がいて笑顔で迎えてくれた。しかし彼は英語が苦手なようで、私は勉強して詰め込んだフランス語をなんとか搾り出しながらチェックインをした。

<ヴィシー土産 パスティーユ>
受付横に並んでいるヴィシー土産のキャンディをみつけ、片言のフランス語でこれが欲しいと伝えゲットする。

ヴィシーで涌き出た温泉水で作られたキャンディー(Pastille)。喉にもいいみたいで色々な味がある。とても美味しくて旅中バカスカ舐めていた(*´∀`)♪ノンシュガーで嬉しい。

キャンディーというより固めのラムネに近い。物によって固さや大きさが違った。


 ヴィシーには観光客はもちろん、健康のために長期滞在する人が多く、部屋にはキッチンがついていた。

部屋には冷蔵庫に電子レンジ、コーヒーポット、トースターにケトルと色々揃っている。 

 土足OKだが、どこでも靴を脱ぐ私達(;´д`)

 浴槽付きのシャワールーム。シンプルだが清潔。アメニティ系は何もなかった。(聞けばもらえるのかな?)


温泉水のヴィシーウォーター

ホテルの各階には自販機があり、ヴィシーのミネラルウォーターを見つけたのでさっそく試してみた。

(写真右)シンちゃんカップにはヴィシーウォーター。隣のボトルにはパリからもってきた水道水。味の違いがありすぎて驚く。。 

ヴィシー(セレスタン)ウォーターは、数あるヴィシーの温泉水の中で一番飲みやすいセレスタンという種類の温泉水。天然微炭酸水で、ミネラル成分のバランスがよく重炭酸塩を豊富に含んでいるらしい。

実際に飲んでみると、確かにうっすら塩の味がした。炭酸は弱めなのでごくごくのめる。初めはちょっと慣れなかったが、結構くせになる味。(別府で飲んだ温泉水とは比べ物にならない程飲みやすい(笑))ここでしか買えない!と思い毎日飲んでいたが、その後パリのスーパーで普通に見つけて、よく飲むようになった(笑)


宿周辺

私達が滞在している宿は、ホテルとナポレオン三世によって建てられたスパ施設(Le grand etablissement Thrmal)の史跡がくっついている街一番の大きな建物だ。そこにはお土産やさんなどのお店もいくつか入っている。

お土産やさんが入っている建物は夜でも開放されていたので覗いてみた。

 ヴィシー土産のキャンディーが並んでいる(*^^*)色々な入れ物があり可愛い。

ヴィシーのキッチン用品。

ヴィシーカラーは青のようで、涌き出る温泉のイメージからきているのだろうか。すがすがしい爽やかなイメージだ。菜箸置き(写真中央の大きいスプーン)がちょうど欲しかったので買いたかったが、このお店は最後まで開くことはなかった。。


 <夕食>
ヴィシー初日の夕食は唯一空いていたバーで食べたフィッシュ&チップス、と巨大パフェヾ(@゜▽゜@)ノ。

さて今日は早めに寝て明日またヴィシーの街を見て回ろうと思う。

 次回へ続く。

 
パリからヴィシーまで(交通編)★


ヴィシーの歴史


お土産やさんが並ぶ建物の通路の壁に、ヴィシーの歴史も書かれていたので紹介する。今年(2021年)の夏にヴィシーが『偉大な温泉郷』として世界遺産に登録されたからだろうか。ヴィシーをもっと知ってもらうためにこのようなインフォメーションが街の至るところで見ることができた。(毎回のことだが、フランス語初心者の私が訳しているので正確な訳でないこともある。)若干長くなるので歴史に興味のある人はどうぞ(*^^*)

1410: Louis 2 de Bourbonによって南東にある村の要塞の基礎工事が行われた。
1523:Charles de Bourbonによってこの地は押収される。周辺の町と統合されヴィシーの住民はおよそ700人に増えた。
1569:入浴の風景画。フランス中央部の一般的な入浴。
1812:ナポレオン1世によりスルス公園が作られた。
1816年 Hugues Roze-Beauvaisの書いたヴィシーの温泉施設。
(写真左がグランドフロアー、右が2階。)

1821:マリーアントワネットの長女であるAngouleme公爵夫人によって、当時では最先端の石材でできた温泉施設が設置された。ヴィシーの住民はおよそ800人、訪れる観光客(湯治客)は500人にも増えた。
1861-1866 :ナポレオン3世が湯治をしにヴィシーに訪れる。
ナポレオン三世の功績 : アリエ川の縮小と同時に、スルス公園、街道、別荘、教会、司祭館、まちやくば、郵便局、カジノなどの設立をした。そのお陰で住人は3700人と増え、観光客(湯治客)は16000人と賑わう観光名所となった。
週刊誌 "L'univers illustré"にてナポレオン三世がスルス公園を散歩する記事があげられた。(1862年7月17日の記事)
 1898:農業会社?の借賃の一新(訳がよくわからなかった)またはリニューアル。
温泉施設にファーストクラスの設立、グランドカジノの設立。
スルスホールにブティックFer a chevalを建設、
スルス公園に縦700mに及ぶ画廊、円形の野外ステージを建設。
住民14000人、観光客58000人。
1927: リニューアル&拡大工事
温泉施設のファーストクラスの拡大(1930)
建築家Charles letrosneによって設計された温泉施設の建設
Bains Callou(1933)
Bains Lardy(1937)
住民 20000人、115000の観光客。
1940  第二次世界大戦でドイツ軍がパリに迫った為フランス政府はボルドーに移された。やがてすぐにフランス北部を占領された為、首都をヴィシーに移した。

写真上:フィリップ・ペタン(当時フランス陸軍参謀総長)がホテル( hotel du Parc)  のバルコニーから手を振っている写真。
写真下:フィリップ・ペタン(当時フランス国・フランス共和国首相)とピエール・ラヴァル(副首相)が任期を終えて(?)当時のペタン氏の私邸だったPavillon sevigneから出ていく写真。 (Pavillon sévignéはその後ホテルになり2002年からは民家になり現在も存在する。)

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