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サロンのお菓子、フリアンて?

サロンということばがありますが、サロンはもともと女性が主催していた会で、芸術家や作家、当時の流行職業の人たちが集まって議論を交わしたり、朗読したり、演奏したり多岐に渡っていろいろ披露されていた場所です。

有名なところでは、17世紀サブレ公爵夫人のサロンというのがあり、そこで出されていた焼き菓子が美味しかったとかでそのクッキーをサブレと呼ぶようになったという説があります。これとは別にノルマンディーの海辺の砂(sableサーブル)からその名前がついたという説も。実際ノルマンディーに行くと、入れた途端紙袋にバターがしみつくようなサブレを沢山売っています。

18世紀には、ルイ15世の寵姫だったポンパドールのサロンや、革命時のロラン夫人(ジロンド派であったが、山岳派によって処刑)、その後は、アントナン・カレームを見出した政治家タレーランの愛人で、才気あふれる作家でもあったスタール夫人(ナポレオン3世と対立してスイスのネッケル家―父親はルイ16世の財務官だったーに帰ってしまうが)なども有名。そしてサロンは、19世紀初頭のロマン主義時代、全盛期を迎える。俗にTout Parisと呼ばれる名士たちが10名から30名くらい、ブルジョワの館に集まり、芸術や芝居、舞踏、会話(政治、アート、カルチャー、社会について)を楽しんだのです。パリでサロンが開かれた地域は、主に4か所ですが、招待された人たちの社会的地位や職業が異なります。 

*フォーブル・サン・ジェルマン(貴族階級、エリート)

*フォーブル・サントノレ(リベラル派のエリート)

*ショッセ・ダンタン(グラン・ブルジョワ=銀行家、医者、弁護士)

*ル・マレ(おちぶれ?貴族)  

サロンは人との交流の場でもあり、従ってキャリアにも影響する重要な場所でもありました。しかし、サロンに通いたくても招待されなければ出入りできません。開催時期は、12月から4月の冬から春。この他の季節は、地方のVille d’eau(水の町)と呼ばれる温泉のある地域で、彼らが所有するお城や館において、避暑も兼ねて開催。例えば、オーヴェルニュ地方のヴィシーなど。ここはナポレオン3世が建てた瀟洒な温泉の建物が今でも残っている。セレスタンというちょっとしょっぱい温泉水(飲料用をボトルで売っている。なぜかバルセロナでこれを飲みながら食事するというのが一時流行ったらしいです)が有名。ナポレオン3世が愛人と歩いていたときに、犬を連れた正妻とばったりあったという逸話が残されています。(笑)

そうそう、ヴィシーといえば、チェック柄の缶に入ったパスティーユが有名ですが、チェック柄のことをフランス人は、ヴィシーと呼びます。

パリのお菓子手帖より

サロンで欠かせなかったのが、お菓子!女主人たちは、贔屓の店に注文するか、女中につくらせる。ブルジョワたちの誇りはそんな女中を持つことでもあったのです。そのサロンで供されていたプティ・フールたちをFriandフリアンと呼んでいました。日本だと、なぜかフィナンシェをフリアンとしているお店も見受けられますが、フランスにはないですね。Friandは、形容詞でもあり、何々が好きな、とか好物な、という意味もあるから、フリアンはみんなが好きなお菓子っていうイメージなんでしょうかね?

マカロン類


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