komatsum

しばらく好き勝手書きます。更新は年に数回かもしれません。(苦笑)

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最近の記事

今年の7月に娘が生まれた。女の子なのに、僕に瓜二つの顔をしている。 僕は妻の妊娠がわかるまで、子供が欲しいと思ったことは一度もなかった。いや、妊娠がわかってからも、誕生を待ち望んでいたわけではない。ただ、大きくなる妻のおなかをさすっているうちに、時間が経過してしまっただけだ。 僕は本質的に、妻に出会った時からずっと彼女に恋をしている。その深さは思っていたよりも深いようだ。だから、妻と一緒にいたいという海溝の狭間に、赤ちゃんが割り込んできた。数か月前の僕だったら、そう言うだ

    • タイのバスの話②

      次に僕が乗ったバスはスコータイの旧市街から新市街に行くためのバスだった。これはいわゆるソンテウという形式の乗合バス。細かく説明するより、写真を見た方がわかりやすいと思うので、ご覧あれ。(自分では撮り忘れたので、他のサイトから拝借しました) このソンテウはチェンマイにもあったが、田舎のスコータイではちょっと違うところがある。それは、運転手が街中を通る時に、いろんな人に声をかけていくところだ。おはよう。やあ、今日も暑いな。元気かい? 僕はタイ語が全くわからないので、想像に過ぎな

      • タイのバスの話①

        僕はこのタイの旅でいくつかの種類のバスに乗った。だから、まずバスについて語りたいと思う。 もちろん、ほとんどの人はタイのバスに興味なんてないだろうし、興味どころか人生で一度もタイのバスに思いを巡らせることがないことも僕は知っている。でも、僕としては食べたものや遺跡の前に、バスについて書く必要がある気がした。だから、少しばかりバスについて筆を取ることにしよう。 まず、最初に乗ったバスはチェンマイからスコータイまでの長距離バスと言われるバスだった。このバスは日本では最近見か

        • タイのバスの中

          家族と離れて、一人でチェンマイからスコータイに向かっている。一人で海外を旅するのは2年前のフランス以来だ。 そういえば、僕はいつからか旅を必要だと思わなくなった。それは、大きな間違いかもしれないが、どこに行っても、何を観ても日本と変わらないような気がしたからだ。景色というものが昔のように胸を打たない。僕は確実に年を取っている。 おそらく昔のように(と言っても2年前だが)、旅行記は書けないだろう。僕はこの2年間、ウィスキーを飲みすぎたのと、仕事をしすぎたせいで、神経が衰えて

          『狭き門』からの引用

          《人生には、往々にして、われらに禁じられてはいても、せめてそれの許されることを望むことが当然であるような、親しみ深い快楽、こころよいいざないがある。こうした大きな魅力は、徳をもってそれをしりぞけうるといった魅力がないかぎり、なかなか克服しにくいものである》 わたしは今ここに、なんの必要があって弁解などを考えついたのだろう?それは、愛にもまして力強い、より優しい魅力が、ひそかにわたしをひきつけているからだろうか?ああ、愛によって、そして愛を立ちこえて、わたしたち二人の心を導く

          『狭き門』からの引用

          象徴的日記 2017.10.13

          彼の母親は運転が得意だった。彼女自身、それは疑いようのないことだと思っていた。何年も無事故で済ましてきた実績もある。しかし、過去の遺産が彼女に油断を与えた。 その日、車には父親以外の家族が乗っていた。つまり、母親と彼と彼の兄弟だ。それは雨が槍のように地面に投げられている日だった。母親は仕事でひどく疲れていた。昔であれば、このくらい何ともない。彼女はそう自分に言い聞かせていたが、実際、明らかに疲労は表情に表れ、あくびが止まらなかった。 彼は何度も「運転を変わろうか?」と助手席か

          象徴的日記 2017.10.13

          象徴的日記 2017.08.01

          ピエロは大通の真ん中で一人で踊っていた。が、誰もピエロのことなど気にしなかった。子供は拍手ではなく石を、大人はチップではなく軽蔑をピエロに投げた。ピエロだけが今日を特別な日だと思っていた。

          象徴的日記 2017.08.01

          象徴的日記 2017.07.05

          独裁者はミサイルの発射にサインをした。と、すぐさま火花を上げて、この世に不幸をもたらす鋭角状の兵器が空に飛んでいった。 独裁者はこれしか生きていく方法はないと確信していた。その生き方が世界から批判されていることは百も承知だ。 独裁者にはミサイル以外、することがなかった。より大きな存在の怒りを買い、いつか自らの身を滅ぼすにしても。 どうせ人間はいつか死ぬのだ。それならば、いっそのこと、ぶっ放してやれ。と、独裁者はミサイルの発射にサインをした。

          象徴的日記 2017.07.05

          象徴的日記 2017.07.04

          『彼自身によるロランバルト』という本がある。この本は、自分の思想や価値観、評価がバラバラに非連続で並べられるという構成からできている。そこには時間的にも、意味的にも連続しているものはない。ただ分割された断片の集積である。構成から考えるに、バルトは自分のことを非連続で、バラバラの存在だと思っていただろう。このことは私もよく理解できる。人間というのは、時と場合によって態度が変わるし、それに応じて思考も変わるから不安定な存在だ。一貫していない。ただ、それが機械ではない、人間の特徴で

          象徴的日記 2017.07.04

          象徴的日記 2017.06.14

          「幸い命に別状はありません。数か月で回復できるでしょう」とドクターは言った。戦場で銃弾が貫通した彼の下腹部からは、意識が遠のくほどの出血があったが、確かに致命傷は避けていたようだった。そして、ドクターの言うとおり、彼の体は時間と共に回復した。しかし、傷口は塞がっても、歩いて足を地面に付けるたびに、腰のあたりから、鈍い無音の痛みが全身に反響する。もう元のようには歩けないだろう。すると、彼は徐々に色々なことが億劫になり、心は塞ぎ、窒息していった。今の生活の場所は、主にベッドだった

          象徴的日記 2017.06.14

          象徴的日記 2017.06.05

          確かなことかはわからないが、トランプが大統領になったのは、ヒラリーが相手だったからだと言える。実際に多くの人が新しい破壊の政治を望み、その結果の当選ということは否定はできない。しかし、実際は期待以上にヒラリーに対する嫌悪があった。でも、一体、ヒラリーの何がそんなに嫌われたのか?既存勢力とのつながり、不審なメール、ありきたり感…もちろん全てが絡み合っている。ただ一番重要なことは、彼女だったということだ。 どこの世界でも人々はスーツを着て、酒を飲みながら、週末の競馬のことやテレビ

          象徴的日記 2017.06.05

          象徴的日記 2017.05.03

          夢から覚めて、トイレに行くと、モディリアーニの絵が飾ってあり、パリの真っ赤なカフェにもう一度行くことができた。その赤さは、女の色でも、光の色でも、壁の色でもあるのだが、何より血の色であり、ぬるいビールと相まって、とにかく苦く感じるのだった。ふとあなたに書いた手紙と書かなかった手紙を思い出した。もうフランス語は話せない。どうしてかはわからない。ただ赤いカフェにいて、顔の見えないあなたに向かって、トイレから通じない言葉を投げかけている。モディリアーニが描いたのは実際の人物をモデル

          象徴的日記 2017.05.03

          象徴的日記 2017.04.12

          朝鮮出兵に赴いた農民は、自分がなぜ戦わなければならないのかわからなかった。彼はただ穏やかに、祖国で暮らしたいだけである。愛する人といれれば、それで充分な男であった。しかし、その幸せのためには、戦いに参加しなければならなかった。彼は運命に従うほかなかったのである。 そんな意欲の低い男でも、朝鮮兵が見えると、矢のように一目散に駆けていった。それはまるで月が男を魅了したようであった。そして、ある程度の距離まで近づくことに成功すると、相手も彼の存在をしかと認めた。しかし、そこで一瞬

          象徴的日記 2017.04.12

          象徴的日記 2017.4.9

          その一手を打った時に、局面が大きく変わったことに棋士は気づいていた。単なる凡ミスだった。しかし、それは致命的だった。その後、棋士にできたことはなんとか延命するための措置に過ぎなかった。 ただ、相手も甘くない。ミスを見逃すことなく、その対局は順調に終局に向かっていった。棋士はもう途中から負けることは覚悟していた。それでも最後まで負けを認めたくなく、できることを少しでもしたいと思った。対局は自分の人生の中で最も大切な時間だから。彼は哀れさを自覚しつつ、身を切られるような思いで、

          象徴的日記 2017.4.9

          ヴィシー留学記 あとがき

          ある日、インド人の男はハイネケンを飲みながら、僕にこんな話をした。 「僕はもう結婚はしないことに決めたんだ。」 「どうして?」 「3年前に手痛い失恋をしてね。僕はその時、もうこんなことは経験したくないと思った。」 「そっか・・・僕も同じような経験があるよ。」 「・・・そうか」 「君はその人と長く付き合っていたのかい?」 「うん。長かったよ。彼女はコロンビア人だった。とても優しくてね、頭の良い人だった。でも、彼女は突然国に帰ってしまった。僕を置いてね。」「・・・理由もなく?」

          ヴィシー留学記 あとがき

          Journal à Vichy(2017.03.20)

          Vichy est une petite ville. Elle était jolie. Elle était parfaite. J'habitais dans une petite chambre. Elle était agréable. Si possible, je voulais passer plus de temps dans elle. La classe, elle était la meilleure. Elle m'a appris beauco

          Journal à Vichy(2017.03.20)