ヴィシー留学記 あるバーにて(2017.03.10)

金曜日の夜、ヴィシーの小さなバーには多くの男女がいて、彼らは浴びるように酒を飲んでいた。この田舎町では、酒を飲むこと以外に楽しみがない。室内にはマイケルジャクソンやアースウィンド&ファイアーなどの70~80年代の音楽が大音量でかかっていた。色々な人種の若者が、そのビートに合わせ、体をよじらせたり、手を叩いたりしていた。

僕は二人の韓国人の女の子とその場所にいた。彼女たちは酒に弱いくせに、飲み始めたら潰れるまで飲む。だから、僕は彼女たちの保護者として、彼女たちを見守らなければならなかった。

ずいぶんと酒が入って、気持ちのタガが緩み始めた時、ひとりのフランス人が彼女たちに話しかけてきた。彼は背こそ高くなかったが、筋肉質で、Tシャツの上からでも胸筋が盛り上がっているのがわかった。彼はしばらく無難な会話をした後、鼻から吸うタバコを彼女たちに勧めた。僕は彼女たちに「やめた方がいいよ」と言った。彼女たちも「いらない」と断った。

彼は一瞬肩をすくめたが、話題を変えて、会話を続けた。彼女たちはそれを楽しそうに聞いていた。もちろんフランス語の勉強でもあった。僕も楽しく聞いていた。しかし、もう良いタイミングだろうと思うと、彼は彼女たちに突然耳打ちをした。

「今日、僕と一緒に寝ないかい?君たちはとても綺麗だよ」
彼はそう言ったらしいが、僕には一切聞こえなかった。彼はしばらくして去っていった。テーブルには彼の電話番号が残っていた。

すぐに彼女たちは憤慨して、彼が言ったことを僕に暴露した。
「フランス人の男は本当に最低。私たちのことを一晩限りしか考えていない」

僕は彼女たちの怒りに同調しながら、注意を促した。
「たしかに僕たちとは価値観が違うからね。気をつけなよ」

その後、僕たちは朝に罷免された韓国大統領の話をした。僕の隣に座っていた女の子は韓国にいる時にデモに参加したという。

「朴槿恵は嘘ばっかりついた。何ひとつ本当のことはなかった。私はセウォル号事件の時に本当に悲しくて、いてもたってもいられなかった。短い時間で多くの人が死んでいくのをテレビで見た。彼らの命は助けられたはずだった。でも、彼女はその間、何の声明も出さなかった。彼女が何をしていたのかは、私たちにはわからない。でも、言わないってことは良くないことに違いない。彼女は嘘ばっかりついている」

僕は彼女の正義感に驚いたが、どこか共感できなかった。それどころか、顔が少し青ざめていくのを感じた。彼女はそんな僕に感情的に言葉をつづけた。

「もし自分がセウォル号に乗っていたら・・・もし自分の兄弟が乗っていたら・・・と私はテレビを見て何度も想像した。そうしたら、自然に涙が流れて、いてもたってもいられなくなった。君はそういう想像はしないの?」

「・・・あまり得意じゃないと思う」

「ねぇ、よく考えてみて。今のままだったら、私たちは将来、今のような腐った政府の元で暮らしていかなきゃいけない。それは自分の幸せを放棄するってことよ」

僕たちはこんな真面目なことを酔いながら話していた。僕はこの話題に関しては、うまく返事ができなかった。自然と会話が続かなくなる。そのタイミングを見計らって、またフランス人が彼女たちに話しかけてきた。彼女たちはとても美人だった。しかし、全てのフランス人たちは彼女たちに鼻であしらわれた。

閉店間際には、一人のハンサムな中国人が僕らのテーブルにやってきた。彼の狙いも当然、彼女たちだった。彼は悪い人には見えなかった。もちろん根拠はない。同じアジア系だからか、彼のフランス語が上手ではなかったからか、彼の専門が数学だったからか。いずれにせよ、僕も彼女たちも酒に酔っていた。

僕はなんだか気が良くなって、ビールのピッチャーを中国人のために注文した。そして、すぐにみんなでそれを飲み干した。店内にはまだ多くの人が残っている。騒然として、タバコの臭いも体にまとわりつく。もうみんなが話している声をわずかでも聞き取ることはできなかった。音量が知らない内に大きくなったのかもしれない。

店を出ると、中国人と一人の韓国人の女の子が夜の闇に消えた。残された方の一人の女の子は僕に「大丈夫かな?」と言った。僕は「きっと彼なら大丈夫だと思う」と言った。でもよく考えると、フランス人でも中国人でも日本人でも安全な理由などない。韓国人の大統領だけが嘘つきとは限らないように。

僕は月が輝く中、その女の子を送っていった。彼女は僕に丁寧すぎる程のお礼をした。僕は「また月曜日に」と言った。彼女も「また月曜日に」と言った。こうして僕らは別れ、それぞれの家に帰った。

このようにして、僕の学問は滅びた。もうすぐ日本に帰らなければいけないと思ったときに、夜風が道を通り過ぎた。僕はそのあまりの冷たさに身震いした。