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今になってどうなの? Dear 陽音

私は、「山村留学を2年間も経験した!」
私は、「3年目を継続できなかった、、」

2つの余韻が残っている。

日々、大阪で生活しながらも、「いい、悪い」の話ではなく、
自分を「幸せ」「幸福」につながっているのか?と考えてしまうのだ。

みんなが「留学」と聞くと「挑戦」「チャレンジ」「勇気」などと
ハードルがあり、プラスで捉えやすいイメージが私の中にある。

正直にいうとプラスの面だけでないということ、
そして、考え方によって変わるということ、
それを経験をもとに綴りたいと思う。

「ギャップ」というものに注目する

留学の面白みである「ギャップ」には、
良い面も悪い面も持っている。

長野県の教育を受けていたため、
いい面で言うと「対話型の授業」と言うものに出会い
恩師と言える先生にも出会えたこと、そして異年齢での
共同生活というほとんどが体験したことのない経験をした。
逆に長野県の中学校の授業を受けていたため、
授業の仕方、テストの仕方、評価基準、校則、
全てが自分に対して「刃」を向けているように感じてきた。
大阪ではどちらかと言えば学力は平均的に低く、
「学力至上主義」にとらわれやすい府だということは
わかっていた。
実態は酷かった。自分には全くもって会うことも、合わせることも
自分にとって心から「不」に感じたのである。
自分は大阪でやっていけね〜なと。

しかし、留学のいい面を考えると長野の同僚を
捨てれなかった。
対話ではうまくいって、講義ではうまくいかない自分を
見せたくなかった。
自分の中で「留学」という経験が珍しく、
誇らしく思いたかったのだろう。
今では通知表も1ではないかと思っているくらい
ひどい。
無鉄砲な自分のプライドにもなっていると感じる。

良い面、悪い面は承知の上で修園をする気だったが
予想を遥かにこえ、経験が裏目に出てきた。
自分は人のせいにしやすい「他責思考」の人間でもあり、
考えようによって恨んでしまうような男だ。

人柄、関わり方、雰囲気、全てが体に染み込んでいる、長野県の。
改めて、人間は思っているより弱いということ。

強いと過信しすぎた、自分が負けたのかもしれない。

人のせいにして、気を紛らわすこともできた。
しかし、それは応援していくれている「親や留学生」
「先生」に申し訳なかった。

「親」が留学を進めた、
あの時起きた問題はあの「留学生」のせいだ、
継続を認めてもらえなかった「指導員」のせいだ、

違う、俺が間違っている、

背中を押してくれた人たちに
「申し訳ない」

あの時、俺の選択が間違えていたのか?
問題を起こしたのも自分のせいだ、というのも
今になって違うと思う。

あの時の自分にとって「善」だっただけだ。
あの時の自分のせいにすればいい。

今の自分はそれを通して学んだ。

書いているうちに涙が出てきたが、みんなにも
「波」があると思います。

思春期である自分はnoteをよく読んでいる人であれば
波は記事にも出ていると思う。

それを自分は楽しみたいと思う。
「楽しい」「苦しい」
これだけの感情だけではない。
「快感」「後悔」など人間にはたくさんの
感情を持っている。

「喜怒哀楽を共に」

何度も撃ち崩れそうになっても隣に入れくれた
「親」「留学生」「先生」など
多くの人があって自分がいるということ。

良い、悪いではなく、
全てが人生においての価値になっていると思う。

最後に

この記事を10年後、見返した時に
どんな思いを抱いているのか?
そして、留学経験がどこかしら
生きていることを信じて
今できることを精一杯取り組んでいきたいと思う。