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名古屋の限りある夜の誰も知らない偶発のライブステージに寄せて
ここで音楽は鳴っているんだよ。
1年に何回も行ける場所じゃない。
僕は4回くらいしか行けないと思う。
それでも、音は誰かが観ているステージの上で初めて音楽として鳴っていくんだなって思った。
限りがあるって最高だ。
そんな4回を抱きしめて。それが幸せに生きるっていうことだと思った。
録音なんて簡単にできる。複製だって簡単にできる。
でも、「今日は来てくれてありがとうございました」は、僕
映えと刺さるの反対側においでよ
きっと相変わらず誰にも分からないなって思ってしまう。それは諦めから出発するようなゴールなんだけれど、その途中で僕も私もそう思うっていう人が現れてくれたのが僕のこの10年くらいの道筋を言い当てるのに相応しい言葉なのかもしれないなって思った。
昨夜のライブは、みんなは何を求めているんだろうって思っていた。僕はもうとっくに自分がないのかもしれないとも思った。でも圧倒的に人のために音楽をしていたい。だか
SAKAE SP-RINGと今の音楽活動の目標
「目標みたいなのってあるんですか?」って、久しぶりに観に来てくれた古い友人の奥さんが、ステージを終えた僕に何の気なしに尋ねてきた。
それがなんだかおもしろくて、「それはあるけど、それよりもみんながいいなって思えるような曲を書いて歌っていくこと自体が楽しいよ」って伝えた。
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SAKAE SP-RINGは、僕の1つの憧れでした。言い換えるなら目標だったのかもしれない。
で
僕の歌が、僕以外の誰かの歌になりますように
それでも、知らない景色に踏み込んでいたいと思った。少しの傷を作りながら、予定外と予想外をからげとりながら、だけれど、心はずっと楽しんでいるのが分かるのでした。
京都PUB VOXhall、3マン。ひるんでしまえば挑戦になるような、突き出してしまえば舞い上がれそうな日。ずっと共演したいと思っていた2人のミュージシャンと、同じ日の同じステージに、同じお客さんを前にして演奏できたことが、僕のこれからの
ステージの音の最後の最後の最後の感触を作っているのはもう僕じゃなかったよ
誰かは見ていてくれるって本当なんだって思った。
2022.5.15(日)、大瀧ヌーさんに誘われた名古屋 鶴舞K.Dハポンでのツーマンライブ。
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僕は今年の7月の終わりに、同じ会場でワンマンライブをすることが決まっています。それを見越して、そして、コロナ禍でもどうにかして音楽をやり続けてきた僕のことを見てきて、誘いたいって思ったんだよって、ヌーさんに言われた。
そん
みんなもうとっくに希望を求めているし、そこに向かうための気概も手段も持ち合わせている
動き始めた2022年は、なんだかこれまでと少し違っている感じがする。世の中は相変わらず不安がうごめているのかもしれないけれど、みんなもうとっくに希望を求めているし、そこに向かうための気概も手段も持ち合わせている。
今年初めてのライブが、ほくほくしながら進んでいった。名古屋の吹上のライブスペース鑪ら場で。
演奏するのは好き。そして、誰かに聴かせようとするのは楽しい。そうして、聴いてくれた人が嬉し
10年やっても、コロナ禍を経ても、家庭と仕事をもちながらでも、音楽を続けていくことについて
どうやっても振り切れない悲しみを、それならばいっそ抱いて歩いていかなければならないのが人生だとしたら、音楽はそこに寄り添って共に歩いていこうとしてくれる。
2021年までを抜けてきた2022年の今、とてもはっきりと思うのは、そんな音楽を作って人に聴かせようとすることに幸せがあるということです。
こう思うようになったのは、コロナ禍で窮地に追い込まれた人たちの苦悩を目の当たりにしたり、自分の家族や
未来は今の連続の先でしかないことを忘れずにいたい
新年あけまして おめでとうございます!
昨年はいろいろな形で応援してくださった皆さんに支えられて、生かされていることを実感し尽くした年でした。ここを通して改めてありがとうと伝えさせてください。
今年は蓄えた力を放つ年。焦らずじっくり頑張ります!これからも応援よろしくお願いします!
コロナ禍、オリンピック、フジロック開催を経た2021年晩夏の今の混乱とその融和に向けて ーこれを投稿しても、相変わらず不毛で愛のないやり取りがネット上では繰り広げられるのだろうね それでもー
生きていくために必要か?これは自分が生きていくために本当に必要なのか?
その基準は一人ひとりばらばらで、同じにはなれない。そんな想像を絶する1億2000万の膨大な群衆の中で、大小様々な覚悟で、選択したり選択しなかったりしながら生きているのが今だと思う。
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それぞれの人が自分の仕事に価値や意義や情熱をもっている。人生をそこに賭けてきている人ならなおさら。その上で、
この混乱の世界の中でフジロック2021配信を観て思えたこと
ミュージシャンとフジロックは、音楽と音楽を愛する人(好きな人、それでご飯を食べている人)を守っている。切り取りでは分からないさまざまな人生の文脈が交錯してそこに立っている。
医者が患者を守るように、教師が子どもを守るように、親が子を守るように。
最初はもやもやした気持ちで観ていたけれど、アーティストの悲痛な演奏やMCでの苦しみを見ているうちに考えが変わった。それでもリズムを重ねて音を高らかに鳴
今のライブ会場と、そこに集まる人たち(美談したいわけではない)
名古屋 吹上 ライブスペース鑪ら場。どうしたらインターネットの向こうの人に、生のライブ体験のよさや自分の曲の良さが伝わるのか考えてる。
いい曲を書いて歌っていれば、お客さんが自然と寄ってきてくれる。そんな夢みたいな憧れを、僕はもうもっていないよ。
いい曲を書いて、歌って、なんやかんやいろいろやることが大事。100個くらいあるんだけど、その中で1番ちゃんとそのもののあり様が伝わるのがライブ。