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普通に戻っていく秋の寂しさを埋めるように人は文化を醸成したきたのだから

暑いねってだけでもう十分弾けそうなくらいに満ちた夏が終わって、秋に移っていく途中。満ちていたものが普通になることに寂しさがある。

先人が秋に催してきたいくつもの文化活動は虚無に向かう心を満たすために生まれてきたのかもしれない。

人を肉体を剥がした一つ一つの心だと捉えたとき、その心には衣食住足りても満たされないものがあるのだろう。それを補うようにさまざまな文化が生まれてきたのかもしれない。

ドイツの哲学者ニーチェの著書に、宗教、哲学、芸術は、人間を自然へと回帰させることで人間らしさを取り戻させようとするものだと読んで妙に納得したことがあった。こと音楽に関しては、その中でも精神に直接語りかけることで人間が人間に回帰していくと。

文化は不要不急か、なんて議論もあったけれど、僕の今のところの答えは、とりあえずなくても肉体は生きていけるけど、ないと心が死ぬし、人間は究極は心と身体の2つからできているから片方が死ぬと半身不随状態で歩き続けることになりますという感じです。

というわけで、秋が秋たらしめてきたので、何か楽しみを作らなければいけないのだと分かった。音楽が好きな僕は、コロナ前なら秋の音楽フェスを観に行ったり出演したりと、楽しく忙しい日々を送っていたのだけれどそれが今年はほぼないことに気づいた。レコーディングに取り組んでいてそれは一喜一憂しながらも確実にいい作品になる階段を踏んでいってはいるが、どっちかというとすごくストイックな競技に出場する感じに近いので文化を嗜むという気持ちとは程遠い。

読書の秋、食欲の秋、芸術の秋なんて名付けて精神的な満足を保ってきた日本人の先人たちの織りなす知恵といったら、もうそう考えると感心してしまう。食べると太るし、音楽鑑賞は常で自分にとっては真新しさがないので、プラスアルファで楽しみに加えようとするなら読書かなとなった。

幸い部屋には気になる本が10冊くらいは積んであって全部平行読書という名の積読(飽き性)が横たわっているから、読んで心を満たそうと思う。

Twitterなどで眺めるだれかの心の内や鋭利なニュースの見出しや記事もそれぞれ味わい深いけれど、まとまった上に精査された言葉が並ぶ本というのは、今になってその価値を一層高めていると思う。

僕は意識的にほとんど本を読んでこなかったなんとも無知無学な学生時代を送ってしまった人間だけれど、幸い母親が幼少期に溢れんばかりの本を読み聞かせしてくれていた(らしい)のと、小学生時代に学校の取り組みの中で当たり前に年間100冊ほどの本に触れてきたので、本自体に抵抗感は少ない方だと思う。また、読むのが遅すぎたので、少し前に齋藤孝先生の「超速読」という著書を読んで速読術を身に付けたこともあって読むのが好きになった。

やっぱり人間が人間らしく心を保つには、楽しみが必要ですよね。文化には楽しみが詰まっている。未だに文化は不要だといっている人とはもう仲良くはできないと思うけれど、なんとか生き延びてこの分断され尽くした社会を少しずつ繕い直していきたいです。

みなさまもどうか健やかに。

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