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文学等芸術

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文学批評、寸評、感想などに関する事柄が中心の記事です。
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記事一覧

島木健作『癩』

島木健作『癩』を読了した。感銘甚しくこの作品の…、言葉につまる。ここで今の思いを述べるべきではないと思ったが、やはり僅かでもこの衝迫を綴っておこうと思う。

添付投稿で動悸の起床時の苦痛を言及しているが、それを寸分違はず描破している場面を貼付する。動悸の懊悩である。

「動悸の懊悩」と言ったが、「動悸」について、日常において「動悸がする」などと口にするように、それ自体

は何かの症状の予兆的扱いに

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原民喜からみる死と文芸

キリストのように美しく、静謐に満ちた文章を原民喜は綴る。甘美と荘重の夢幻(これは夢幻であるに違いないのだが、形而上の幻であり、その意味で非現実では無いのだ。)は代償としての死が伴う。原民喜は妻の死以降の作品は遺書の如きものであったとのべ、壮烈な最期を迎える。

こうしたパラダイムシフトには病気、死がある。柳田邦男は病気や死により社会から爪弾きを余儀無くされた者達を異邦人とよび、異邦人だけが創造でき

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『カラマーゾフの兄弟』1

 『カラマーゾフの兄弟』
 ドストエフスキー畢生の大作。古今東西幾多の賢人がこの作品に感銘を受け崇めてきた。かのウィトゲンシュタインはこれを50回読んだという逸話は有名である。
 「カラマーゾフ」という言葉はトルコ語及びロシア語の合成語であり、その意味するところは「黒く塗られたもの」。すると、「黒く塗られた兄弟」の物語となるが、ここで「兄弟」は同胞たる人類を暗示している。人間は清濁併せもつ存在であ

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詩聖杜甫の願い

 詩聖の名を冠する杜甫は最後まで科挙に合格能わなかった。最難関である進士の科の及落を決めるのは詩賦であり、冠絶する天稟をもつ杜甫が合格出来ぬはずはなかった。
 科挙には貴族子弟が無条件で合格し官僚となる制度があり、この制度(制度化されていた)によって合格し官僚となった者は「任士」と呼ばれた。そして、試験官の中には任士出身の官僚がいた。彼等は自分達の好みにあったものしか合格させない傾向があった。故に

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芸術の解釈について

 その作品を鑑賞し感じた解釈は、本質的にありうべき可能性の一つとして受容されなければなりません。何故ならば、一つの思想なり芸術なりに一つの固定化された解釈が権威的文脈をもって一対一で示されるならば、思想や芸術はその拡がり、多様性を失ってしまうからです。
 フランツ・カフカの『変身』では、主人公グレゴール・ザムザは突然毒虫に変化してしまいますが、あの作品の主題は、近代個人主義により現実的存在である自

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自殺は悪か-対話篇-

 「昨今ちょっと有名になって、自分は繊細で常にプレッシャーと戦い続けてると勝手に勘違いし自殺するアホな芸能人が増えてきたが勘違いしてはいけない。世の中に自殺を美化させた彼らとメディアは糾弾されるべきと俺は思う。
 昨日も受け持ちの障害者が急変して生死を彷徨ったがなんとか今は持ちこたえている。彼が死んでも社会の生産性にも死という概念にも何も影響を与えない。
 まぁ俺たちからすれば自殺をするやつはアホ

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ドストエフスキー『悪霊』概説

 豚の中に入った悪霊どもが湖に落ちて溺れ死に、悪霊を取り除いてもらった者はイエスのもとに座して救われる。「ルカ福音書」をエピグラフとして用い、西欧の近代思想に溺れ、とり憑かれた革命家たちが悲劇に見舞われ、残ったロシアの人々は浄化されキリストと共に生きるという明確なヴィジョンの下に重ねられているが、内容はドストエフスキー五大長編の一つだけあり、そう単純な図式で創出された作品ではない。
 かつて日本赤

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『金閣寺』

 ある面において、僕は三島由紀夫も僕と同じ様なものを抱えていたのだと思っている。僕は自分に迫ってくる美の崩壊というものを極度に恐れては恐周章狼狽していた。そしてそれは彼も同様であったと思う。金閣寺の美は戦後の混沌から無縁であり、超然と屹立し、その威容と美を誇っていた。
 三島は自分の中に、自らにとっての絶対的かつ理想的美の形象を見出していた。それは、その絶対的美は、彼にとって決して手の届かないもの

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芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしつかりとおろせ。お前は風に吹かれてゐる葦だ。空模様はいつ何時変るかも知れない。唯しつかり踏んばつてゐろ。それはお前自身の為だ。同時に又お前の子供たちの為だ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。
(遺稿)『闇中問答』

しかしあんまり哀しすぎる。
犬が吠える、
虫が鳴く、
畜生! おまへ達には社交界も世間も、ないだろ。着物一枚持たずに、俺も生きてみたいんだよ。
吠えるなら吠えろ、   
鳴くなら鳴け、
目に涙を湛へて俺は仰臥さ。  
さて、俺は何時死ぬるのか、明日か明後日か……
中原中也

萩原朔太郎の生き様

 自然、涙がでた。この涕涙は生理現象は凡ゆる言説を超越し今の私を湛えている。
 読者はこれを見、せつな人間的情愛を覚え、感傷に触れ交感の念を昂らせるであろう。だがその瞬間には自らのパンを食らう。そこに各人の"生活"があるからだ。
「生活」。萩原朔太郎は生活の河に底流している全的現象を流露している。
 私は今この時になってはじめて萩原朔太郎の天稟を捉えた。否、「天稟」なる形容は彼を侮辱する。何故なら

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『中国現代文学珠玉選 -小説02』

 表題の書は文字通り中国現代文学の名編を収載したものである。ここでは、その中から王魯彦『秋夜』という作品を紹介したく思う。
 死に彩られた小説。それがまず印象された。死は作品世界に於いて円環を形成し、その楔は主人公に常に纏わりついて離れない。謂わば、主人公は死の世界に包囲されている。彼は幽界の中で現実との結合を消失し死と地続きの特殊な場所にいる。そしてそれは内面化された主人公の精神である。
 

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天童荒太『永遠の仔』論-繋がり-

 

 天童荒太『永遠の仔』(1999 幻冬舎)

 氏が抱いている大きなテーマの一つに「家族」があります。そして、「家族」の喪失によって引き起こされるであろう精神的傷を、孤独、トラウマ、虐待、差別、愛情の欠如…といった問題として具体化させ、社会に対する痛切なメッセージとして投げ掛けるのです。個々の内面を深化させ、その深奥に潜んでいる未分化な情念を細密な描写で捉えつつ、巨視的な立場から個人の問題を

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ドストエフスキー『白痴』

「無条件に美しい人間を創造しようとした」
 上記ドストエフスキーの言葉が有名な『白痴』の主題は、現代ロシア社会に無条件に美しいイエスキリストのような存在が登場したとしたら、(その存在は「白痴」の主人公ムイシュキン公爵。白痴であり「ユローディヴィな存在」。注:『罪と罰』ソーニャの存在はロシアの言葉でいうところのいわゆる「ユローディヴィ」(痴愚者。狂信的、陶酔的、白痴的な神がかり的な存在。ドストエフス

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