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自分の言動が客観視できているか

前回のコラムは、余計なひと言を言われた側の愚痴的な内容でしたが、ありがたいことに思ったよりも反響がありまして、多くのコメントをいただきました。

今回は、そのコメントでいただいた「メタ認知」というキーワードにインスパイアされた内容となります。

普段使いの単語ではありませんのであまり聞き慣れませんが、「メタ認知」とは自分が認知していることを客観的に把握し制御すること。

つまり、自分が能動的に行っている言動について、もう一人の自分が客観的な立場から、その言動を調整したり調和したりする能力のことを言います。

ということは、余計なひと言を発する人というのは、仮にメタ認知が弱い人、もしくはその能力が低い人と想定してみると、自分の置かれている状況を客観視できていないわけですから、自身が吐き出したいたちっ屁によって周囲の空気を悪くしていること自体に気がついていない可能性があります。

制御できずに言いたいことを吐き出しているのであれば、そもそも目の前にいる人たちの反応については興味がないのかもしれません。

自分が言いたいと思ったことがきちんと吐き出せたかどうかが重要で、その目的が果たせるのであれば満足であって、周囲の空気がどのようになろうともそれは関係ないのかもしれません。

こういう人が上司の立場であると、部下は大変です。

一方的にガーッと言われて、最後にピシャリと閉じられる。

気持ちのやり場のないまま放置されることが多くなるのではないでしょうか。

マウントを取りたがるのも、シニカルな捨て台詞も、すべては自己の欲求を満たすための言動であって、そのはけ口となる部下からするとたまったものではありません。

いくら自分自身が仕事が出来たとしても、いつまでも部下たちは育たないというか、そもそも胸襟を開いてきませんから近づいてきませんので最低限必要以上の関係性は構築されないと思います。

ただ、相手の反応を気にしないのであれば、育たなかったのは部下が悪いのであって、結果自分から離れていくのも部下が悪かったからということになるのでしょうね。

そもそも上司の役割というのは、部下を含めたチームを目的に向けてなんとかすること。そして、なんとかするためにも部下たちのやる気を引き出すことです。

自分と相手の関係性や置かれた状況が見えていれば、大切にしたいのはその場においての情報共有が共感をもってなされているかどうかや、伝えたい内容がきちんと相手が腹落ちできるくらいに伝わったかどうかであって、常に気にかけないといけないのは受け手である相手の反応なはずです。

自分が発した余計なひと言が嫌味であることを認識されていて、またその言葉を受けた相手が嫌な思いをするというその反応さえも認識されての言動だとすれば、その人のメタ認知は弱くはないのかもしれませんが、やはり良い性格の人物とは言えないですよね。

昔、いじわるばあさんという漫画やドラマがありましたが、あれがクスリと笑えたのは茶目っ気があったからです。

余計なひと言を発する側にユーモアを解する気持ちやその場の空気をお互いに作っていくという許容があれば、相手も言い返すことができますし、そうしたやり取りさえをも楽しめる場づくりができるはずなのですけれどもね。

ただ、現実世界でのいじわるばあさんはというと大概は茶目っ気などなく、実際は自身のガードはガチガチに固められていて相手にいじらせるような隙は見せないことが多そうですし、部下には反論の余地が一切与えられませんから困ったものです。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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