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「環境整備」と「掃除」の違い

ご存知、一倉定先生の考え方であり、当社の方針のひとつでもある「環境整備」について。

当社の経営方針書の「環境整備の徹底」という方針のページに「環境整備は掃除ではなく、お客様サービスにおける大事な仕事です。」という記載があります。

掃除も環境整備も、行為の結果としては綺麗にした環境が得られます。

しかし、掃除は作業です。作業の目的が綺麗にすること。

環境整備は「気づき(の感性)を得るため」の実践です。

実践の目的は、徹底した正しい行動を積み重ねること。

その結果として「自分の中に正しいプログラム(考え方や習慣)」を作り込んでいくこととも言えます。

気づきは「比較」から得られますから、「正しい環境を知っておくため」に要らないものを捨てたり、ものの置き場所を決めたり、ものを磨き込んだりといった具体的な正しい行動の積み重ねをするのだと理解しています。

以前のコラムで「365日間の環境整備と、そこで感じたことについての日々のメール配信の実施」について触れましたが、現在進行形で実践しているスタッフがいます。

開始して60日くらい経過しても、メールでは「今日もトイレの掃除を実施しました」と報告があります。

いくら返信メールで掃除と環境整備は違うのだと諭しても、悲しいかな、なかなか文面だけだとこちらの趣旨を伝えきることができません。

コロナ禍に入る前であれば、一緒に環境整備の実践ができましたから、その実践の中で様々なことを伝えることが可能でした。

それらを教えることなく、いきなりメールを始めてもらっていますから、求めるのも酷なことではあるのですが、やはりどうにかして分かってもらいたいと思うのが人の性です。

何度指摘しても、「今日も掃除を・・・」と送られてくるメールを読んでいると、「分かっていてわざと書いているのかな」「多分オレのこと嫌いだな」とか、「そもそもこっちの返事読んでないだろ」という疑念も湧いてきて、しまいには「もう返事書くのやめようかな」なんて無力感も出て来る始末。

これがひょんなことから、ある日を境に「トイレの環境整備に取り組んでおります」と表記が変わりました。

きっかけは何かなと考えてみると、思い当たるのはその前日のメールのやり取りでした。

自宅のトイレの環境整備を実践されているのですが、その日のメールでは、「今日は親がトイレの掃除をしていたので、自分はドアや窓を開けて換気を実施した」というものでした。

私が返したメールは、下記のものとなります。

親御さんがされるのは、トイレの「掃除」。あなた(ここは個人名が入ります)が実践しているはずなのは、トイレの「環境整備」です。

親御さんが掃除をしたかどうかではなく、あなた自身が徹底して環境整備を実施したかどうかが、この日々のやり取りの趣旨となります。

心変わりをされた要素は、ひょっとしたら全然別にあるのかもしれませんが、ようやく違いが何かを掴んでくださったのだと信じたいです。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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