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気になる文章の語尾

転々と引っ越してきた人生を送ってきたため、様々な地域の言葉に触れてまいりました。

幼少期の海外を含め、社会人になってもあちこち引っ越していますし、職場は各所に点在しているため、同じ会社に所属していても日々の巡回先の地域によって言葉が全然違います。

郷に入っては郷に従えと、変に迎合して気持ち悪い関西弁を使用して、却って敬遠されていた同僚を見てきたこともあり、私はと言えば、どこに行っても標準語を使用するというルールを適用して今日に至ります。

そんな中、日常的な会話であれば、記録されることもないですし、そのまま流してしまえば済むのですが、LINEなどでやり取りをする際に、標準語を使用していつも気になって忌避していることがあります。

おそらくは標準語を話す人が直面する事柄なのではと勝手に思っています。

それは、口語体の文章の語尾が「〇〇だしね。」となることについて。
そういうつもりはないにもかかわらず、言葉尻が「し」と「ね」で終わってしまうことが、何となく居たたまれない気持ちになるのです。

しかも、話している時と違って、文字は視覚的にも記録的にも残ってしまいますから。

そもそも、これって標準語なのかなと調べてみると、やはり標準語でした。

文法的に解説しますと、
・ 「だ」は 助動詞で断定の意を表し、
・ 「し」は 接続助詞で、この場合一つの事柄や前の事柄を条件として、後の事柄が成り立つことをいい、
・ 「ね」は 間投助詞で、文中や文末に用いて同意を求めて、返答を促す意を表す、
とのこと。

例えば、「良かったじゃない、皆頑張ってきたんだしね。」という文章には、
・ だ - 「頑張ったんだ」という断定
・ し - 「頑張ったし、良かった」という成り立ち
・ ね - 「そうだよね」という同意
という三つの意が含まれているということです。

シンプルな3つの平仮名それぞれにきちんと意味が含まれているって、本当に日本語って凄いなと思います。

ところが、この文字を組み合わせることで、忌避したい文字も浮かび上がってしまうため、記録に残るLINEなどでは他の言葉に言い換える習慣がついてしまっています。

例えば上記の文章だと、「良かったじゃない、皆頑張ってきたからね」のようにいちいち表現を変えて文字を打ち込んでいます。

どうやら同じような感覚の人は世の中にいるようで、過敏に反応しているのは私だけではないんだということを知って何だか安心しています。

語尾の「ね」だけをカタカナ表記することで、嫌になる感じを回避されているという人もいらっしゃるようですしネ。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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