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あぜ道の話

コラムも100回以上書いていると、いい加減ネタ切れというか同じような内容の繰り返しになってきてしまいます。

以前、ひとりで仕事や案件を丸抱えしてしまって、部下の共感を得られずに孤立してしまうリーダーの傾向と対策について触れましたが、今回は先人の教えをなぞっていきたいと思います。

10年以上前に私が社長になったばかりの頃に、ひとり飛び回っては空回りをしていて、そんな時に合宿所の大浴場での私の行為を上司に見咎められて、「今のお前にぴったりの言葉だ」と渡されたのが松下幸之助さんと部下とのエピソードです。

見咎められた行為というのは、思い出すのも恥ずかしいのですが、大浴場の真ん中に大きな浴槽があり、そこに上司が入っておりました。私はというと体を洗っており、洗体後に浴槽の対岸側にあるサウナに入りたかったものですから、ショートカットをして上司の入っている湯船にザブザブと波を起こしながら入って、浴槽の中を突っ切って渡り歩いていったのでした。

「合理的なのは分かるけど、せっかちにもほどがある」と苦笑されながら湯舟の中の上司に注意されたのを覚えています。

そして後日渡されたコピーが次のようなものになります。

昭和の初め、松下幸之助が23歳の青年を工場の責任者に抜擢したときの話。

思わぬ大役に張り切った青年は期待に応えようと、朝早くから夜遅くまで仕事に集中しました。

ところが、やがて現場から、「今度の工場長は無茶をする」「仕事がきつくてついていけない」という訴えが届くようになりました。

そこで幸之助は、田園地帯の中に立つ自宅に青年を招きました。やってきた青年が「田んぼのあぜ道を歩いてきた」と話すのを聞き、「それが本当の道というものだ」とこう諭しました。

「なあ君、わしは君の仕事を見ていると、どうもあの泥田の中をまっすぐに突き抜けてくるような気がするんや。それでは足も汚れるし着物も汚れる。靴もいたむし歩きにくい。せっかく田んぼの周りには、ちゃんとあぜ道があるんやから、そこを通ったほうが少しは遠回りでも、結局は早道やし、楽なんと違うか。君の目的は、わしの家に来ることやから、その目的を達するのに、泥田の中を来るか、あぜ道を通ってくるか、仕事も同じだと思うが、どうかね、君」

あまりに成果を急いでいた青年は目からうろこが落ちる思いがしました。

仕事に対する熱い思いも必要だが、思いに共感が得られなければ空回りに終わる。

まわりと一緒に最適な「あぜ道」を探し、歩むことの大切さを幸之助は説いたのでした。

おそらくは、私が湯舟の中をザブザブと突っ切る姿が泥田の中を歩む姿と重なって、その姿勢がそのまま仕事にも反映されていたのを感じ取られて、わざわざ渡してくださったコピーでした。今はそのありがたみを当時よりも強く感じています。

今でも時折読み返していますし、自分のことは棚に上げつつも、少しずつ伝える側に回っていきたいと思っています。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

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