環境整備の徹底③ 行動が環境をつくる
前回のコラムでは、気づきとは比較から生じるという話をしました。
汚い部屋に住んでいる人は、本来の部屋の状況が分からないため、それまで部屋になかった新たなゴミの存在に気づくことができないということです。
また気づきというのは環境面だけではなくて考え方にも同じことが言えて、「理想の自分」や「成りたい自分」「在りたい自分」のイメージを持っておくことで、今現在の自分との比較が可能となり、その気づきが自身の成長につながるという話で、これが環境整備の基本の考え方なわけです。
それでは、こういった話を実際のサービスにどのようにつなげていくのか、というのが今回のテーマとなります。
前回、電車の中でお年寄りに席を譲った方がいいと頭では分かっているのに、結局席を譲らなかった人の例え話をしました。
人間というのは、正しい考え方を知っているかどうかではなく、何を信じているかどうかをもって行動してしまうのですよね。
自分の信じている考え方のとおりの行動をして、その行動の積み重ねとして今の環境を自分の周りにつくり上げていくわけです。
そして、これが肝となる部分なのですが、より良い環境を得たければ、より良い行動を積み重ねていかないといけないんです。
ですから、当社の「環境整備の徹底」という方針書のページには、沢山の正しい行動が「環境整備の基本」として掲載されています。
それこそ、言ったら悪いですが、幼稚園の子に教えるような挨拶の仕方も載っています。
朝、出社したら「おはよう」と言う。
呼ばれたら「はい」と言う。
読んでいる人は皆さん知っているのですよね。
でも、この基本のページで問いたいのはそういうことではないのです。
「知っているかどうか」ではなくて、それをちゃんと「やっていますか」ということなのです。
「形から入って心に至る」という言葉がありますよね。
当社の環境整備の指導者の師匠でもある、曹洞宗円福寺住職・藤本幸邦師の有名な詩の冒頭に
というフレーズがあります。
この詩は、よく小学校の玄関の下駄箱の前などにも貼られていますが、おそらく学校としてはとにかく子供たちに靴は脱ぎっぱなしにせずに揃えなさいということが言いたいわけです。
そして、靴を揃えるという習慣を身につけた子供たちは、いつの間にか家に帰っても友達の家に遊びに行った時も自然と自分の脱いだ靴を揃えるようになっていくのですよね。
挨拶だって同じです。
これも本人任せにしておくと、その人の思考の在り方がそのまま反映されてしまいます。
自分本位の考え方の人の挨拶は、自分が挨拶をしたかどうかが基準となります。
相手本位の考え方の人の挨拶は、自分の声が相手に届いたかどうかが基準となることでしょう。
前者の場合は、自分の声が自分にさえ聞こえていればいいという考えですから、当然ながらお客様宅などへ訪問させると「あんたのところのスタッフは挨拶ひとつしない」とクレームへとつながる要因となります。
ですから乱暴かもしれませんが、今あなたが信じている間違えた考え方についてはどうでもいいですから、とにかく会社として決めている「正しい行動」をしてくださいということなのです。
こうして正しい行動をひたすらやり続けることによって、正しい環境が得られるようになりますし、正しい環境が得られたことで結果的に、「この方が良かったのだな」と正しい考え方もが身につくようになっていくはずです。
環境整備というのは本来はこうして読み物として読んだり、座学で話を聞いたりするものではなく、実践として行動することが一番良い習慣が身につく近道なのです。
具体的な行動についてはまた次回に。
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