社内でドッジボールをしたがる人
皆さん、キャッチボールとドッジボールの違いは分かりますよね。
まずは競技の違いというか、その目的が違います。
キャッチボールは、お互いが取りやすい球を投げ合って、その球筋の感触を確かめ合うもの。
投げ合いながら、お互いの調子も確かめ合いますし、何なら会話を重ねることで、関係性も積み上げていくことでしょう。
対してドッジボールは、敵味方に分かれて敵の陣地から相手メンバーを一掃することが目的です。
投げる方は仕留めるという明確な意図をもって球を投げますし、投げられた方は球技名のとおり球を避ける(ドッジ)か、投げ返すために相手の球を掴み取り、奪ったその球で反撃します。
いわば戦争です。
この二つの球投げを職場内におけるコミュニケーションに置き換えた時に、果たしてどちらの方が相応しいのかというのが今回のテーマになります。
当然ながら前者のキャッチボールですよね。
お互いのことを理解し合おうという意思が前提にあって、相手のことを考えながら球を渡し合う。
これを対話と言います。
お互いに足りないものは何なのか、どうしたらより良くなるのか、相手本位に、そして主体的に考えながら深めていく関係性。
ところが、ほとんどの人が平和なキャッチボールを望む中で、たまにドッジボールを仕掛けてくるような輩が存在します。
優しい球が来るかと思えば、突然至近距離から豪速球を当てに来る。
受け手にはしっかりと痛みが残りますし、当てられた本人はもとより、同じ陣地内、すなわち同じ拠点内にいる人たちも「次は私が当てられるかも」というヒリヒリとした緊張感とストレスのもとに晒されることとなります。
これまで見てきた、こうしたドッジボールをしたがる人というのは、意外と真面目な方に多い傾向にあり、何よりも正しいことを言っていたりするというのも厄介です。
ところが、正論を豪速球で投げてくるものですから、どうしても受け手は受け止め切れないですし、何ならその言葉の真意よりも当てられた時の痛みの方が強く残ってしまうのですよね。
また、例えこちら側から優しく投げ返してみたとしても、奪い返された球は再び相手の攻撃用の武器となるわけですから、更に意地悪なボールとなって投げ返されてくることでしょう。
揚げ足を取ってきたり、言葉尻を捉えられて、さらに嫌なことを重ねて言われるというのがそれに当たりますよね。
そもそも、本来であれば豪速球を投げている本人も、相手陣地を一掃しようという明確な意図をもって投げている人は少ないと思うのです。
職場なのですから。
もし、そんな意図をはじめから持っているのだとしたら、それは言い換えてみれば「戦争」を仕掛けてきているワケですから、だったらこちら側としても抵抗して戦うしか自分の身を守る術はなくなってしまいます。
ただ、考えてみてください。
本来は同じ目的集団というか、同じ社内の人間同士なんですよね。
同じ組織の人間同士が、相手を潰そうという明確な意図をもって戦争を仕掛け合うということになると、それは正にあの半沢直樹の世界観です。
あれはドラマとして観ている分にはまだマシですが、それでも最後にスカッとするまでの長丁場は視聴者ですら結構なストレスに晒されますし、ましてや当事者であったりその周囲にいる人たちからしたら、日々あんな罵り合いを聞かされ続けるのだとしたら、最低最悪の労働環境だと思います。
これまでも何度となく繰り返して述べてきましたが、相手のためを思っての声かけなのであれば、それはキャッチボールのごとく、選ぶ球種や投げ方など受け手のためにいくらでも工夫が出来ると思っています。
実際にやるとしても、拠点内でのキャッチボールは可能ですが、ドッジボールみたいなあんな大きな球を本気で投げたら備品も窓も破壊されてとんでもない状態になりますよね。
言葉でもそれは同じです。
物理的には破壊されないかもしれませんが、関係性やメンタル面ではズタズタに破壊されていきます。
ですから、社内や所内においてドッジボールをするというのは単なる迷惑行為でしかありませんし、今自分はどのように球を投げようとしているのかを意識しておくことはとても大切なことだと思っています。
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