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わたしの生い立ち

自己紹介文は記載しましたが、わたしの生い立ちについて書いていこうと思います。


小学生時代

あまり運動とか好きではなくて、ドラゴンボールコロコロコミックが読んだりしてました。田舎暮らしだったので、自転車で友達の家まで行って、田んぼでゴルフなんかしたり、焼き芋とかしたりしました。
あと、当時はスキーが流行っていたので、父親とよくスキーに行ってたりしました。

中学生時代

田舎から新興住宅街に引っ越したために、中学生のクラスが4クラスあって、クラス替は小学生の時はなかったのでびっくりした。
バスケットボール部に所属して、当時は活発に運動していたと思う。
成績は親がそこまで勉強をしろというタイプの親ではなかったので、勉強は中くらいの成績だっと思う。

高校時代

走ることの楽しさを覚えて陸上部に入部した。
高校の中では長距離が早くて校内のマラソン大会は1位だった。
もちろん勉強なんかあまりしていないので普通科文系だった。
高校卒業したら就職しようと思っていたけど、高校2年の2月くらいに足に魚の目が出来て、激痛で走ることが出来ないので悩んだ挙句、手術して除去。その間に将来の人生を考えるようになり、いきなり大学進学を目指す。
猛勉強したどうかわからないけど、自分の行きたい大学に合格した。
(別に私立文系なのでそんなに大したことはない)

大学時代

またもや陸上に入部した。弱小の高校と違い、スポーツ推薦で入部してくる人もいて、本当に足の速い人の凄さを目の当たりにする。
走るのは早くなかったけど、走るのは好きだったので4年間続けられた。
その後、就職活動することになって、就職氷河期の厳しさを実感する。
一流大学ではないので、エントリーシートや履歴書の送付で門前払い(いまでいうところのお祈りメール?)がほとんどだった。
面接を受けれた企業でさえも圧迫面接とかもあり、同級生は就職活動疲れで鬱になり自殺した。
当時、インターネットがブロードバンド化した影響で、ネット証券が出てき始めて、友達の誘いで、Eトレード証券(現SBI証券)の口座を開設した。
就職活動の合間、いまでいうとろこのデイトレしたりして、大学生だったので、少し株価が上がったりして、喜んだりした。若かったために少し証券投資にのめり込んだこともあって信用取引もやったりした。日本駐車場開発の株式分割で少し儲けさせて貰ったのはいい思い出。

金融機関の面接の時に、
「趣味はなんですか?」と聞かれて、
ランニングと証券投資です。」
と答えたことをよく覚えています。今でこそ、スマホやWi-Fiがある時代だから証券投資をしている大学生もそこそこ増えてきてると思うが、当時は絶滅危惧種みたいな大学生だったと思う。
その面接で、日経平均の直近の流れと為替の動きを熱弁した結果内定になった。今の知識や経験と比べると本当に貧相なやり取りだっと思うけど、同じ面接を受けてた人には、話が弾んでいたと言われた記憶がある。
そしてその金融機関に内定になった。ゲテモノ採用みたいな感じだと思う。

社会人初期

その内定をもらった金融機関に就職した。
最初は窓口とか、口座の開設の預金周りの仕事をした。
金融機関では、簿記の勉強が必要だったので、自費で簿記の専門学校にかよった。
簿記の専門学校の先生がパンチがあって、簿記の楽しさを学んだ。
その後、人生を大きく変える事が専門学校で起こる。

簿記の専門学校で何気なく、他の資格のパンフレットを取って読んだ時に、その資格の仕事内容を見てビビッと来たのです。(言い方古いかな?)
その後、自宅に持ち帰りパンフレットを見たら、凄く難しいと書いていた。
だけど、その仕事内容に惹かれた私は、あろうことか、苦労して就職した金融機関を1年以内で辞める決心をして、その資格試験の勉強に繰り出す。
別に金融機関の仕事が嫌だったわけではなくて、その仕事内容に惹かれただけだった。大学時代に貯めていた、貯金と社会人になって貯まったお金を持って専門学校の口座に支払に行ったのを今でもよく覚えている。

専門学校時代その後

いざその資格の受験勉強が始まると、すごいボリュームと難しさで苦労した。だけど、自分がやりたいことをやっていたためにきつかったけど、楽しかった。
1回目の試験の時は明らかに実力不足だった。
2回目の試験の時は合格する気満々だったが、少し点数が足らなかった。
ここで人生のどん底を感じた。
3回目は焦ることなく試験を受けたが、合格する気配はしなかった。
4回目は問題なく試験も解けて、合格しそうな予感がした。
結果、4年半くらいかかってその資格に合格した。

合格した時のことはよく覚えているが、あまりうれしくはなかった。
なぜかというと、ちょうどリーマンショック後であり、就職が出来ない状況であった。またしても、就職氷河期だった。
一部の若い優秀な人が優先的に就職していき、私は社会人経験がないものにひとしかったために、ここで人生2回目のどん底を経験。
その後、時給780円で本屋でアルバイトをしたり、少し実務経験を積んだりした。しかし、自分が思い描いていた試験合格後の姿ではなかった。それでもその仕事をやりたかった自分は、就職した人たちに負けないようにと必死に勉強した。
その後数年がたって、いきなり日本全体が売り手市場になり始めた。
自分の業界も売手市場になり、あれだけ苦しかった就職がいとも簡単にできた。
就職するとき、東京で就職するか、地方で就職するか悩んだが、知り合いの勧めもあり、自分のゆかりがない地方で就職した。

北陸で就職

親元を離れて、縁もゆかりない土地で仕事をし始めて、最初は物凄く寂しかった。その後就職と同時に結婚していた妻も一緒に合流し、新婚生活が始まった。
仕事内容は自分にとってみれば満足の連続だった。仕事が出来ない期間が長かったために、仕事がある喜びがあったので必死に働いた。
上司も同僚もいい人で、地方事務所の良さがあった。
多分東京で働いていたら自分は消耗していて、今何をしているのか想像つかない。当時またもや就職氷河期だったので、先に地方に流れついた知り合いであったり、都市部で就職できなかった同世代の同僚も多くて楽しかった。
その後、子供も生まれて、子供が2歳になるタイミングで地元へUターンしまました。

地元へUターン

Uターンて言葉正しいのかどうかは分からないけど、地方から地方へUターンしました。妻と私の実家は車で1時間もかからないくらいのところなので家族は近い方がいいと思い地元の市へ引っ越した。
だけど、北陸にいた事務所も人出不足でそこから4年間くらい単身赴任的な感じで仕事をしていた。
その単身赴任時代の間で、図書館で本を借りて、読んでExcelでメモをすることを4年くらいやり続けた。図書館の棚にある興味のある本はほとんど借りたものになってしまい、それからはファーブル昆虫記とか全然興味のない分野の本を読んだりした。多分3,000冊以上は借りたと思う。
書店のアルバイト時代も仕事中にしこたま立ち読みしていたりしていたので、触れた本の数は10,000冊は超えているんじゃないかと思う。
今となれば、この沢山の書籍が自分を下支えしてくれるのではないかと思う。

人生を振り返って

人生のターニングポイントは沢山ありますけど、一番影響大きいのは証券投資を学生時代に始めたことだと思います。
数字の世界?に惹かれて金融機関に就職して、今の資格に至る経緯の核になってるのは証券投資だと思います。
やりたい仕事を見つけてやりたい仕事につけたのは、たまたま運がよかっただけかもしれませんし、諦めが悪かっただけかもしれません。

だけど若い時に、こういう経験が出来たことは凄く大きかったと思います。

こんな変なおじさんも世の中には生きてるんだよと思っていただけら幸いです。

もしよろしければスキやフォローよろしくお願いいたします。




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